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今昔物語集

巻6第5話 鳩摩羅焔奉盗仏伝震旦語 第五

今昔、天竺に、仏1)、摩耶夫人を教化せむが為に、忉利天に昇り給て2)、九十日が間在ましける間に、優填王3)、仏を乞ひ奉て、赤栴檀の木を以て、毗首羯摩天を以て工として、造り奉れる仏在ます。

而る間、仏、九十日畢て、忉利天より閻浮提に下り給ふに、金・銀・水精の三の階有り。仏、其れより下り給ふを、此の栴檀の仏、階の許に進み迎ひ合給て、実の仏を敬ひ給て、腰を曲(かが)め給ひければ、世の人、此れを見て、尊び奉る事限無し。何況や、仏、涅槃に入給て後は、此の栴檀の仏を世挙て恭敬供養し奉る。

而る間、鳩摩羅焔4)と申す聖人在ます。心の内に思ふ様、「天竺には、仏出給へる所なれば、此の栴檀の仏在さずと云ふとも、教法多くして、衆生、利益を蒙らむ事少なからじ。此れより東に震旦国有り。其の国には、未だ仏法無くして、衆生、皆暗に値へるが如し。然れば、此の仏を盗み奉て、彼の震旦に渡し奉て、普く衆生を利益せむ」と也。

既に此れを盗み奉て、将渡り奉る。「人や追来て止めむと為らむ」と思へば、夜る昼る止まらずして、堪へ難く嶮き道を、身命をも惜しまずして、盗み奉て行く也けり。仏、此れを哀て、昼は、鳩摩羅焔、仏を負ひ奉り、夜は、仏、鳩摩羅焔を負ひ給て、行き給ふ。

而る間、亀茲国と云ふ国有り。此の国は、天竺と震旦との間、各遥に離れたる国也。来りし方も然り、今行く末も未だ遠し。然れば、「今は追て来らむ人も有難し。暫く此の国に息まむ」と思て、其の国の王、能尊王の許に至ぬ。能尊王、此の鳩摩羅焔に値て、事の趣きを問ひ給ふ。聖人、意趣を具に語り給ふ。王、此の事を聞、貴び給ふ事限無し。

而るに、王の思給はく、「此の聖人を見るに、年極て老たり。来りし道の堪へ難さに、身羸(つか)れ力衰へたらむ。亦、行く末の道、遥に遠し。願ふ所は貴けれども、本意の如く、此の仏を震旦に渡し著け奉らむ事、極て有難し」。然れば、王、思得給へる様、「此の聖人に我が娘を合せ取て、子を生ましめて、其の子有らば、父の聖人の思ひの如く、此の仏をば震旦に伝へてむ」と思給て、聖人に此の由を語り給ふに、聖人の云く、「王の仰せ然るべしと云へども、我れ、永く心に思はざる事也」と云て、此れを受けず。

其の時に、王、泣々く聖人に宣はく、「聖人は願ふ所貴しと云へども、極て愚痴に在ましけり。設(も)し、戒を破て地獄に堕る事は有りとも、仏法の遥に伝はらむ事こそ、菩薩の行には有れ、我が身一つを思ふ事は、菩薩の行には非ず」と宣て、強に勧め給へば、聖人、「王の言、実也」とや思給けむ、此の事を受け給ひつ。

王、娘亦一人有り。形、端正美麗なる事、天女の如し。此れを悲び愛する事、譬ひ無し。然りと雖も、仏法を伝へむ志深くして、泣々く此の聖人に合せつ。

聖人、既に娶(とつぎ)て後、懐妊する事を待つと云へども、懐妊する事無し。王、怪で、密に娘に問て宣はく、「聖人の娶ぐ時、何なる事か有る」と。娘、答て云く、「口誦する事有り」と。王、此れを聞て宣はく、「此れより後、聖人の口を塞て、誦せしむる事無かれ」と。然れば、娘め、王の言に随て、娶ぐ時、聖人の誦せむと為る口を塞て、誦せしめず。

其の後、懐妊しぬ。聖人は、幾く程を経ずして、死給ひぬ。此の聖人、王の言、実なれば、娶ぐと云へども、本心失はずして、無常の文を誦し給ける也。其の文に云く、「処世界如虚空。如蓮華不著水。心清浄超於彼。稽首礼無常尊云々」。此れに依て、懐妊せざりけるを、口を塞がれて、誦せずして、懐妊しにけり。

既に男子を生ぜり。其の男子、漸く勢長して、名をば「鳩摩羅什」と云ふ。父の本意を聞て、此の仏を震旦に渡し奉りつ。震旦の国王、亦此の仏を受け取て、恭敬供養し給ふ。惣て国挙て此の仏を崇め奉る事限無し。

鳩摩羅什をば、世に「羅什三蔵」と申す。心聡明にして智恵明なる事、仏の如し。父の本意の如くに、此の仏を震旦に渡し奉り給て、多くの衆生を利益し、亦、『法華経』を結集し、加之、多の経論を訳して、世に伝へ給ふ事は此の三蔵也。

然ば、正教を末世まで学する事は、偏に此の三蔵の御徳也となむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
3)
優陀延
4)
鳩摩羅炎
text/k_konjaku/k_konjaku6-5.txt · 最終更新: 2016/10/09 22:48 by Satoshi Nakagawa
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