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今昔物語集

巻14第29話 橘敏行発願従冥途返語 第廿九

今昔、□□□□□御代に、左近の少将橘の敏行と云ふ人有けり。和歌の道に足れり。亦、極たる能書にてぞ有ける。然れば、相知れる人共の云ふに随て、法花経をぞ六十部許書奉たりける。

而る間、敏行、俄に死ぬ。「我は死ぬるぞ」とも思はぬに、忽に怖し気なる者共走り入来て、「我れを搦めて引張て将行けば、天皇過(とが)に行はるとも、我等許の者を此く搦めて将行くは、頗る心得ぬ事也」と思て、搦めて将行く人に、「此れは何なる錯(あやまち)に依て、此(かく)許の目をば見るぞ」と問へば、使答て云く、「我れは知らず。只、『慥に召て来』と有る仰を承はりて、召て将参る也。但し、汝は法花経や書奉たる」と。敏行の云く、「書奉たり」と。使の云く、「自の為には、何許か書奉たる」と。敏行の云く、「我が為にとも思はず。只相知れる人の語に依て、二百部1)許は書奉たらむ」と。使の云く、「所謂る、其の事の愁に依て、召さるるなめり」と許云て、他の事を云はずして、歩び行く間に、極て怖し気なる軍共の甲冑を着たる、眼を見れば電の光の如し。口は焔2)(ほむら)の如し。鬼の如くなる馬に乗て、二百人許来会へり。此れを見るに、心迷(まど)ひ肝砕けて倒れ臥ぬ心地すれども、此の引張たる者に痓(すく)められて、我れにも非で行く。

此の軍共、敏行を見て、打返て、前に立て行く。敏行、此れを見て、使に、「此れは何なる軍ぞ」と問へば、使の云く、「汝ぢ、知らずや。此れは、汝に経誂へて書かしめし者共の、経書写の功徳に依て、極楽にも参り、天上人中にも生まるべかりしに、汝が其の経を書くとて、精進に非ずして、肉食をも嫌はず、女人とも触ばひて、心にも女の事を思て書き奉りしに依て、其の功徳に叶はずして、嗔の高き身と生れて、汝を嫉むで、『召て我等に給へ。其の怨を報ぜむ』と訴へ申すに依て、此の度は召さるべき道理に非ずと云へども、此の愁に依て、非道に召されぬる也」。

敏行、此れを聞くに、身を砕が如くに思えて、亦云く、「然て、我れを得てば何にせむとて、此くは申すにか有るらむ」と。使の云く、「愚にも問かな。彼の軍の持つる刀釼を以て、汝が身をば先づ二百に切り割きて、各一づつ取らむとす。其の二百切に、汝が心、各切毎に有て、痛み悲まむとす」と。敏行、此れを聞くに、堪難き心、譬へむ方有らむや。悲びて云く、「其の事をば、何にしてか遁るべき」と。使の云く、「更に我が心に及ばず。況や、助くべき力無し」と。

敏行、更に歩む空無くして行くに、大なる河流れたり。其の河の水を見れば、濃く摺たる墨の色にて有り。敏行、「怪しき水の色かな」と見て、「此れは何なる水の墨の色にては流るるぞ」と使に問へば、使の云く、「此れは汝が書奉たる法花経の墨の、河にて流るる也」と。亦云く、「何なれば、此く墨にては有るぞ」と問ふに、使、「心清く誠を至して、精進して書たる経は、併ら龍宮に納まりぬ。汝が書奉たる様に、不浄懈怠にして書たる経は、広き野に棄置つれば、其の墨の雨に洗れて流るるが、此く河に成て流るる也」と。此れを聞くにも、弥よ怖るる心限無し。敏行、泣々く使に云く、「尚、何にしてか此の事は助かるべき。此の事教へ給へ」と。使の云く、「汝ぢ、極て糸惜けれども、罪極て重くして、我れ力及ばず」と。

而る間、亦使走り向て、「遅く将参る」と誡め云へば、其れを聞て、此の使共、滞り無く前に立てて将参ぬ。

大なる門有り。亦、引張たる者、亦、枷・鏁を蒙れる者、員知らず。十方より将参れり。集て所無く満たり。門より見入れば、前の軍共、眼を嗔からかして舌舐づりをして、皆我を見て、「疾く将参れかし」と思たる気色にて徘徊(さまよ)ふ。此れを見るに、更に物思えず。

而るに、敏行、使に云く、「尚何が為べき」と。使、「四巻経を書奉らむと云ふ願を発せ」と、窃に云ふに、今門を入る程に、敏行、心の内に、「我れ、四巻経を書て、供養し奉て、此の咎を懺悔せむ」と云ふ願を発しつ。其の程に将入て、庁の前に張居へつ。

政人有て、「此れは敏行か」と問へば、使、「然也」と答ふ。「訴へ頻也。何ぞ遅く将参る」と云へば、使、「召取たるに随て、滞無く将参たる也」と答ふ。政人の云く、「彼の敏行、承はれ。汝ぢ、娑婆にして何なる功徳か造たる」と。敏行、答て云く、「我れ、更に造れる功徳無し。只、人の語ひに依て、法花経を二百部書奉たりし」と。政の人の云く、「汝ぢ、本受たる所の命は、今暫く有るべしと云へども、其の経書奉たる事、不浄懈怠なるに依て、其の訴へ出来て、此く召されぬる也。速に彼の訴申す輩に、汝が身を給て、彼等が思ひの如く任すべきなり」と。

敏行、恐々(おづおづ)申さく、「我れ、『四巻経を書き供養し奉らむ』と願を発せり。而るに、未だ其の願を遂げざるに、此く召されぬれば、只此の罪贖(あご)ふ方有らじ」と。政の人、此れを聞きて驚て、「然る事や有る」と、「速に帳を引て見よ」と行へば、大なる文を取て見るを、敏行、髴(ほのか)に見るに、我が罪を造し事、一事を落さず注(しる)し付たり。其の中に、功の徳の事交らず。其れに、此の門入つる程に発しつる願なれば、奥の畢に、「四巻経書き供養し奉らむ」と注されにけり。

文引畢つる程に、「此の事有けり。奥にこそ注されたれ」と申し上れば、「而るにては、此の度は暇免し給て、其の願を遂げしめて、何にも有るべき事也」と定められぬれば、前の軍、皆見えず成ぬ。政の人、敏行に仰て云く、「汝ぢ、慥に娑婆に返て、必ず其の願を遂げよ」と云て、「免されぬ」と思ふ程に活(いきかへ)れり。

見れば、妻子泣き悲み合へり。二日と云ふに、夢覚たる心地して、目を見開たれば、「活にたり」とて喜び合たり。願を発せる力に依て免されぬる事、明なる鏡に向たる様に思えて、「我れ、力付て清浄にして心を至して、四巻経を書き供養し奉らむ」と思ひけり。

而る間、漸く月日過て、心地例の様に成て、四巻経を書奉るべき料紙を儲て、経師に預けて、打ち□□□□3)係させて、書奉らむと企つる間、尚本の心色めかしくて、仏経の方に心入れずして、此の女の許に行き、彼の女を仮借(けそう)し、「吉き歌を読なむ」と思ふ程に、冥途の事皆忘て、此の経を書奉らずして、其の受けたりけむ齢の程にや至けむ、遂に失にけり。

其の後、一年許を隔てて、紀の友則と云ふ歌読の夢に、敏行と思しき人に会ぬ。敏行とは思へど、形貌譬ふべき方も無く、奇異に怖し気也。現に語りし事共を云ひ立てて、「四巻経を書奉らむと云ふ願に依て、暫の命を助て返されたりと云へども、尚心の怠に、其の経を書奉らずして失にし罪に依て、喩ふべき方も無き苦を受る事量無し4)」。「『其の料紙は君の御許にぞ有らむ。其れを尋ね取て、四巻経を書き供養し奉るべし。事の有様は君に問ひ奉れ』となむ、大音を挙て泣々く宣ふと見えつる」と語るを、友則聞て、亦我が夢を語て、二人指向て泣く事限無し。

其の後、神を取出でて、僧に渡て、夢の告に依て尋ね得たる由を懃に語る。僧、紙を請け取て、誠の心を至して、自ら書写して供養し奉りつ。

其の後、亦、故敏行、同く二人の夢に来て、告て云く、「我れ、此の功徳に依て、堪難かりつる苦、少し免れたり」と云て、心地吉気に、形も初見しには替て喜たる気色にてなむ見えける。

然れば、愚なる人は、遊び戯れに引かれて、罪報を知らずして、此如くぞ有けるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本「二部」。後の敏行の発言に「二百部」とあるのにより訂正。底本頭注「二部宇治拾遺二百部ニ作ル」。
2)
底本異体字「㷔」
3)
底本頭注「打チノ下宇治拾遺ツガセ鎅の四字アリ」
4)
以下、脱文があり、意味が通じない。底本頭注、「量無シノ下宇治拾遺ニヨレバ数行ノ脱文アリ」。『宇治拾遺物語』第102話参照
text/k_konjaku/k_konjaku14-29.txt · 最終更新: 2015/09/13 13:51 by Satoshi Nakagawa
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