ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:jikkinsho:s_jikkinsho10-73

文書の過去の版を表示しています。


十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事

10の73 醍醐の桜会に童舞おもしろき年ありけり・・・

校訂本文

醍醐の桜会に、童舞おもしろき年ありけり。源運といふ僧、その時、少将公とて、みめもすぐれてよく、舞もかたへにすぐれて見えけるを、宇治の宗順阿闍梨見て、思ひあまりけるにや、あくる日、少将公のもとへいひやりける

  きのふ見しすがたの池に袖濡れてしぼりかねぬといかで知らせん

少将公の返事、

  あまた見しすがたの池の影なれば誰(たれ)ゆゑしぼる袂(たもと)なるらん

といへりける。時にとりて、めづらしかりけり。

中院僧正1)、見物し給ひけるが、これを聞きて、「いみじ」と思ひしめて、同じ入道右府2)に対面のついでに、このことを語り出で給ひて、「やさしくこそ思え侍りしか」とありければ、入道殿、「歌は覚えさせ給はん」など、のたまひけるを、「そればかりは、などか」とて、「少将公がり、宗順阿闍梨つかはし侍るに、

  きのふ見しにこそ袖は濡れしか

と詠めるに、少将公

  荒涼(くわうりやう)にこそ濡れけれ

と返して侍りし」と語り給ひけるに、たへがたくおかしく思えけれど、さばかりの生き仏の、ねんごろに言ひ出で給ひけることなれば、忍び給けるとなん。ずちなくおはしけり。

和歌の道は顕密・知法の碩徳にはよらざりけりと、なかなか、いとたふとし。同じ僧正なれども、昔の遍昭、今の覚忠などには似給はざりけり。

およそ、高き賤き、心の引かん方につけて、能はいかにもあるべきなり。無能の人は大きなる恥なるべし。なればにや、布袋和尚の十無益を書き給へるなかに、「文武不備、心高無益」とあり。和尚は弥勒の化作なり。

そもそも、人、たとひ和歌・管絃すぐれたりとも、才幹のおろかに、風月の欠けぬれば、なほしあなづらはしく、かろがろしく思ゆ。

唐の太宗の臣、王珪申していはく、「人臣、学業なければ、心賢なりといへども、昔の言葉、古(いにしへ)の振舞ひを知らず。あに大なる任をつかさどらんや」といへり。ゆゑに、蘇秦は股(もも)を刺して眠りをおどろかして学び、董生は帷(とばり)を垂れて、外を見ずして勤めけり。また太宗は貞観三年にはじめて、孔子の廟堂を建てて、周公旦と孔子とを先聖として、顔回を先師とせり。これ、文を重くし給へるゆゑなり。

しからばすなはち、史書・全経をも学び知り、詞華・翰棠をもたしなみて、旧記に暗からず、古き跡を恥ぢずして、君道にもかなひ、身徳ともせんこと、まことの至要なり。

ただし、また次ざまの人は、させる才芸に足らずとも、心をきてのさかさかしき、世にある道にとりて、第一の能なり。さまざまの芸能も、まづ心操ととのへてのうへのことなり。されば、相経にも、無尽の相どもをいひて、終りには「但し貧福心にあり」と書けり。

翻刻

七十五醍醐の桜会に童舞おもしろき年有けり、源運と/k121
      云僧其時少将公とてみめもすくれてよく、舞もかた
      へに勝れて見えけるを、宇治の宗順阿闍梨みて、思あ
      まりけるにや、あくる日少将公のもとへ云遣ける、
        きのふみしすかたのいけに袖ぬれて、しほりかねぬといかてしらせん、
      少将公返事
        あまたみしすかたのいけのかけなれは、たれゆへしほるたもとなるらん
      といへりける、時にとりてめつらしかりけり、
      中院僧正見物し給けるか、是を聞ていみしと思しめて、
      同入道右府に対面の次に、此事を語出給て、やさし
      くこそ覚え侍しかと有けれは、入道殿哥はおほえさせ給/k122
      はんなとの給けるを、それはかりはなとかとて、少将公かり宗
順阿闍梨つかはし侍るに、
        昨日みしにこそ袖はぬれしか
      とよめるに、少将公
        くわうりやうにこそぬれけれ
      とかへして侍しとかたり給けるに、たへかたくおかしくおほえ
      けれと、さはかりのいき仏の、ねんころに云出たまひける事な
      れは、忍給けるとなん、すちなくおはしけり、和哥の道は顕密
      知法の碩徳にはよらさりけりと、中々いとたうとし、同僧
      正なれとも、昔の遍昭今の覚忠なとには似給はさりけり、/k123
      凡高き賤き心のひかん方に付て、能はいかにも有へき
      なり無能人はおほきなる恥なるへしなれはにや布袋和尚
      の十無益をかき給へる中に、文武不備心高無益とあ
      り、和尚は弥勒の化作なり、
      抑人縦ひ和哥管絃勝れたりとも、才幹の愚かに、風
      月のかけぬれは、なをしあなつらはしく、かろかろしく覚ゆ、
      唐太宗の臣王珪申て云、人臣学業なけれは心賢なり
      といへとも、昔の言は古の振舞をしらす、豈大なる任をつ
      かさとらんやと云り、故に蘇秦はももをさして眠を驚かし
      てまなひ、董生は帷をたれて外をみすして勤めけり、又大/k124
      宗は貞観三年に始て孔子の廟堂をたてて周公旦と
      孔子とを先聖として、顔回を先師とせり、是文を重く
      し給へる故也。然則史書全経をもまなひしり、詞華翰棠
      をもたしなみて、旧記にくらからす、古き跡を不恥して
      君道にもかなひ、身徳ともせん事実の至要也、但又次
      さまの人は、させる才芸にたらすとも、心をきてのさかさかしき、
      世にある道にとりて、第一の能也、さまさまの芸能も、まつ心操
      ととのへての上の事也、されは相経にも無尽の相ともを云
      て、をはりには但貧福心に有と書り、/k125
1)
定遍
2)
源雅定
text/jikkinsho/s_jikkinsho10-73.1461169380.txt.gz · 最終更新: 2016/04/21 01:23 by Satoshi Nakagawa