天治二年八月十日あまりのころ、伏見斎宮¹⁾、野宮におはしましけるに、「群行も近く成ぬ」とて、中御門右大臣²⁾・花園内大臣³⁾など、さるべき人々、にはかに参会したりける。

夜更くるほどに、月のくまなきを見捨てがたくて、おのおの出でもやられぬ折節、女房、箏を爪音(つまおと)やさしくかき合せて、御裳濯川(みもすそがは)の御出立もむげに近くなりぬ。伊勢まで、誰か思ひおこすべき。うち乱れたる御遊びは、今夜こそ」と言ひ出でたれば、「まことにしかるべきこと」とて、右大臣、催馬楽歌ひ、内大臣、琵琶弾きて、御簾の内の箏の音に、調べかはしたるさま、いといひ知らず。

楽ども数を尽しけるほどに、内大臣、「かたき物忌なれば、明けぬさきに」とて、出でられければ、「轅(ながえ)を先にす」と詠じて立たれける。

帰るも、止るも、たがひに名残惜しかりけり。

六十五天治二年八月十日あまりの頃、伏見の斎宮野々宮におはし
      ましけるに、群行も近く成ぬとて、中御門右大臣花園内
      大臣など、さるへき人々俄に参会したりける、夜ふくる程に月の
      くまなきをみすてかたくて、各出もやられぬおりふし、女房
      箏をつまおとやさしくかき合て、みもすそ川の御出立も無／k106

      下に近く成ぬ、伊勢まて誰か思をこすへき、打乱たる御
      遊は今夜こそと云出たれは、まことに可然事とて、右大臣
      催馬楽うたひ内大臣比巴引て、御簾の内の箏の音に
      しらへかはしたるさま、いといひしらす、楽とも数をつくし
      ける程に、内大臣かたき物忌なれは、不明さきにとて出ら
      れけれは、なかへをさきにすと詠して立れける、かへるもとま
      るも互になこり惜かりけり、／k107