十訓抄 第六 忠直を存ずべき事
6の31 また憂悦ともに深くせざるためし一証これあり・・・
校訂本文
また、憂悦、ともに深くせざるためし、一証これあり。
昔、唐土(もろこし)に北叟といふ翁あり。賢く強き馬を持ちたり。これを人にも貸し、われも使ひつつ、世を渡るたよりにしけるほどに、この馬、いかがしたりけむ、いづちともなく失せにけり。聞きわたる人、「いかばかり歎くらむ」とて、訪(とぶら)ひければ、「悔いず」とばかり言ひて、つゆも歎かざりけり。
「あやし」と思ふほどに、この馬、同じさまなる馬を多く具して来にけり。いとありがたきことなれば、親しき疎(うと)き、喜びを言ふ。
かかれども、また「悦ばず1)」と言ひて、これをも驚く気色なくて、この馬、あまたを飼ひて、さまざまに使ふあひだに、翁が子、今出で来たる馬に乗りて、落ちて、右肘をつき折りにけり。聞く人、目を驚かして問ふにも、なほ、「悔いず」と言ひて、気色も替へず、つれなく、同じさまにいらへて過ぎけるに、そのころ、にはかに国に軍(いくさ)おこりて、兵を集められけるに、国中さもあるもの残りなく出でて、みな死ぬ。この翁の子、かたはになるによて、もれにければ、片手は折れたれども、命はまたありけり。
これ、賢きためしに申し伝へたり。今もよき人は、ことごと動きなく、心軽からぬは、この翁が心にかよへるなとぞ見ゆる。
内外典に教ふるところ、みな2)人の心をもつべきやうなり。昔より、良き名をも立て、悪しきためしにもいはるる、ただ心ひとつのいたすところなり。
かの新豊の老人が、雲南の軍を逃れたりけるは、みづから肘をうち折りけるゆゑなり。これは自然のことなり。いと、ありがたかりしことなり。
前中書王3)の「菟裘賦」、
喪馬之4)老、委倚伏於秋草
夢蝶之公、任是非於春叢
と書かれたるは、このことか。
翻刻
是物ヲウラヤムマシキ心ニヤ、又憂悦トモニフカクセ サルタメシ一証是アリ、 三十三昔モロコシニ北叟ト云翁アリ、賢クツヨキ馬ヲモチ タリ、是ヲ人ニモ借我モツカヒツツ世ヲワタルタヨ リニシケルホトニ、此馬イカカシタリケム、イツチトモ ナク失ニケリ、聞ワタル人イカハカリ歎クラムトテ 訪ヒケレハ、不悔トハカリ云テツユモ歎カサリケリ、 アヤシト思フホトニ此馬同サマナル馬ヲ多クシテ キニケリ、イトアリカタキ事ナレハ、シタシキウトキ喜ヲ 云、カカレトモ又悦ト云テ是ヲモオトロクケシキナクテ/k90
此馬アマタヲ飼テサマサマニツカフ間ニ、翁カ子今出 来ル馬ニ乗テ、オチテ右肘ヲツキオリニケリ、聞人目 ヲオトロカシテ問ニモナヲ不悔ト云テ、気色モ不替ツ レナク同サマニイラヘテスキケルニ、其比俄国ニ軍ヲ コリテ兵ヲ集メラレケルニ、国中サモアルモノ残ナ ク出テ皆死ヌ、此翁ノ子カタハニナルニヨテモレニケレハ、 片手ハヲレタレトモ命ハマタアリケリ、是賢キタメシ ニ申伝タリ、今モヨキ人ハ毎事ウコキナク、心カルカラ ヌハ、此翁カ心ニカヨヘルナトソミユル内外典ニヲシフルトコ ロ三十人ノ心ヲモツヘキ様也、昔ヨリヨキ名ヲモタテ、ア シキタメシニモイハルル、只心ヒトツノ至ストコロ也、彼新/k91
豊ノ老人カ雲南ノ軍ヲノカレタリケルハ、自臂ヲウチ 折ケル故也此ハ自然事也、イト有カタカリシ事也、前 中書王ノ菟裘賦、喪馬老委倚伏於秋草、夢蝶 之公任是非ヲ於春叢トカカレタルハ此事歟、或文云、/k92