十訓抄 第六 忠直を存ずべき事
6の29 廉直といふは言ひつることをさなきよしにあらがひせず・・・
校訂本文
廉直といふは、言ひつることを、さなきよしにあらがひせず、知らざることを知れり顔にもてなさず、契りしことを改めず、ものをうらやまず、喜びをも歎きをも深くせず、すべて直(なほ)しきを宗(むね)として、曲れる心なきなり。
日月はもの一つによりて暗くせず、明王は一人がために法は曲げざるかごとし。ことにより、人に随ひて、裏表なく、親しきをも引かず、踈(うと)きをも隔てずして、等しき思ひをなす。これを賢人といひ、また廉直と名づく。されば、『臣軌』と申す文に、直臣の振舞ひを書き述べ、廉直の章を分けて立てたり。
おほかた、欠くれども、得まじき人の物を得ず。戯れにも、すまじきほどの振舞ひをせぬなり。
叔斉、世を遁れんと思ひ立ちしより、周の粟を受けずして、その歯白かりき。成王、桐の葉を玉といひて、叔虞に賜はせけるをば、「天子に戯言なし」とぞ、大史いさめ申しける。
「孔子、飢ゑを盗泉の水に忍び、曽参、車を勝母の里に廻らさず」などいへるは、悪しき文字を付けたるによりて、所の名をさへ嫌ひけり。これ、正しき道を深くする故なり。
和嶠と荀勗とは、中書一官の監令にてありけれども、嶠、まさに勗が心のへつらへるを聞きて、一車に乗らざりけり。
惣じてものにへつらひ、欲にすすみ、虚言をかまふる者は、盗みをするたぐひ、ただ直しき1)心一つ拙きによれり。よくよく、つつしむべし。
なかんづく、わが身はたくはへ持ちながら、銭をほしがり、直(あたひ)あらば2)、いくらも買ふべき物をも、「力を入れじ」とて、無心をかへりみず、人に要事をのみいひかけ、あまさへ、不時の時は、かへつて恨みをなすたぐひあり。
かくのごときの人、形は人間にありといへども、心さきだて、餓鬼の因を結びをくものなり。かへすがへすも恥ずべし、恥ずべし。よくよく思ふべし、思ふべし。
翻刻
廉直ト云ハ、イヒツル事ヲサナキ由ニアラカヒセス、シラサル 事ヲ知レリカホニモテナサス、契シ事ヲ不改、物ヲウラヤマ ス、喜ヲモ歎ヲモ深クセス、惣テナヲシキヲ宗トシテ、マカレル 心ナキ也、日月ハ物一ニヨリテクラクセス、明王ハ一人カ為ニ 法ハマケサルカ如シ、事ニヨリ人ニ随テウラオモテナク、親 ヲモヒカス、踈ヲモ隔テスシテ、ヒトシキ思ヲナス、此ヲ賢人ト云 又廉直ト名ク、サレハ臣軌ト申文ニ、直臣ノフルマヒヲ書ノヘ/k86
廉直ノ章ヲ分テ立タリ、大方カクレトモ得マシキ人ノ物ヲ エス、戯レニモスマシキ程ノフルマヒヲセヌ也叔斉世ヲ遁ント 思ヒ立シヨリ、周ノ粟ヲウケスシテ、其歯白カリキ、成王桐 ノ葉ヲ玉トイヒテ叔虞ニタマハセケルヲハ天子ニ戯言ナシ トソ大史イサメ申ケル、孔子飢ヲ盗泉ノ水ニ忍ヒ曽参 車ヲ勝母ノ里ニメクラサスナト云ヘルハ、悪キ文字ヲ付タルニ ヨリテ、所ノ名ヲサヘキラヒケリ、コレタタシキ道ヲ深クスル 故也、和嶠ト荀勗トハ中書一官ノ監令ニテアリケレトモ、 嶠マサニ勗カ心ノヘツラヘルヲ聞テ、一車ニノラサリケリ、惣 シテ物ニヘツラヒ欲ニススミ虚言ヲカマフル物ハ盗ヲスルタ クヒ、只ナソシキ心ヒトツ拙キニヨレリ、能々ツツシムヘシ、就中/k87
我身ハタクハヘ持ナカラ銭ヲホシカリ、直ナラハイクラモ カフヘキ物ヲモ力ヲ入シトテ、無心ヲカヘリミス、人ニ要事ヲ ノミイヒカケ、アマサヘ不時ノ時ハカヘツテ恨ヲナスタクヒ有、 如此ノ人形ハ人間ニアリトイヘトモ、心サキタテ餓鬼ノ因ヲ 結ヒヲク物也、返々モ可恥々々能々可思々々/k88