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十訓抄 第三 人倫を侮らざる事

3の10 鳥羽院の御代相撲節の後帥中納言長実卿のもとへ・・・

校訂本文

鳥羽院の御代、相撲節の後、帥中納言長実卿1)のもとへ、小熊権守伊遠2)といふ相撲、息男伊成3)を具して参りたり。

さるべき方へ召し入れて、酒など勧めらるるに、弘光4)といふ相撲、また来ぬ。同じく召し加へ、盃酌たびたびに及ぶあひだ、弘光、酒狂の言葉を出だすあまりに、亭主の卿に向ひて申す。「近代の相撲は、勢など大きになりぬれば、左右なく最手5)をも給はり、その脇にもまかり立つめり。昔は、雌雄を決して、芸能あらはるるにつきて、昇進をもつかうまつりしかばこそ、傍輩、口をふさぎ、世の人、これをゆるしき。近代はいさみなき世にも侍るかな」と申す。

伊遠、少し居直りて、「これは、ひとへに伊成がことを申し候ふなり。不肖の身、このたび、すでに最手の脇6)をゆるされぬ。まことに申さるるところ、遁れがたし。ただし、きと試み給へかし」と申すに、弘光、ほを笑みて、「ただ道理の押すところを申すばかりなり。試みられんは、また幸ひなり」とて、左手を出だして手を乞ひけるを、伊成は袖かき合せて、かしこまりて、なほ父が気色をうかがひけるを、父伊遠、「かやうに申す上は、ただ試み候へ」とたびたび言ひければ、弘光が出だす手を、伊成が右にてひしと取りてけり。弘光、引き抜かんと身を動かしけれども、たぢろがざりければ、戯(たはぶ)れにもてなして、右の手を脇の方にかけて引き抜かんとする気色にて、術なげに見えければ、「今はさばかりにて候へ」と伊遠申しければ、放ちけり。

弘光申す、「かやうの手合ひは、さのみこそ侍れ。勝負はこれによるべからず。一さしつかうまつるべし」と言ひて、隠れの方へ走り寄りて、二つの袖をひきちがへ、袴のくくり高くからみあげて、庭へ歩み出でて、「これへ下り候へ、下り候へ」と申す。伊成は目かけながら、かしこまりて居たるを、伊遠、「いかにかくほどに申す上は、はやまかり下りて、一さしつかまつるべし」と申すに、伊成も隠れの方にて、腰からみて、庭へ下りて立ち向ひにけり。形体抜群、勇力軼人、鬼王の形あらはれ、力士のたちまちに来たると思え、弘光、また敵対するに恥ぢずぞ見えける。

およそ、亭主を始めとして、諸人、目を驚かし、心を騒がして、ざざめきあへるほどに、伊成、少し寄りて、弘光が手を取りて、前ざまへ強く引きたるに、うつ伏しにまろびぬ。あへなきことかぎりなし。

弘光、ほどなく立ち上がりて、「これはあやまちなり。今一度、さかふべし」とて、歩み寄るに、伊成、なほ父の気色をうかがひて進まぬを、伊遠、「ただ攻め寄せて、試み候ぞや」と言ひければ、また弘光の手を取りて、後ろざまへ荒く突きたるに、とどこほりなく投げられて、今度はのけざまにまろびぬ。

とはかりありて、起き上がりて、烏帽子の落ちたるを押し入れて、帥の前にひざまづきて、涙をほろほろとこぼして、「君の見参は今日ばかりにて候ふ」とて、走り出でて、やかて髻(もとどり)切りてけり。

法皇、このことを聞こしめして、「はなはだ穏便ならず。最手・脇などに昇進しぬるものをば、公家なほたやすく雌雄を決せられず。いかにいはんや、私の勝負、狼藉の至りなり」と仰せられて、長実卿、御気色心よからざりけり。

翻刻

鳥羽院御代相撲節ノ後帥中納言長実卿ノモト
ヘ小熊権守伊遠ト云相撲息男伊成ヲ具テ参タ
リ、サルヘキ方ヘ召入テ酒ナトススメラルルニ、弘光ト云
相撲又来ヌ、同召加盃酌度々ニ及間、弘光酒狂ノ詞
ヲ出スアマリニ亭主ノ卿ニ向テ申、近代ノ相撲ハ
勢ナト大ニ成ヌレハ左右ナク本手ヲモ給リ、其ワキ
ニモマカリタツメリ、昔ハ雌雄ヲ決シテ芸能アラ
ハルルニ付テ、昇進ヲモツカウマツリシカハコソ、傍輩口
ヲフサキ、世ノ人是ヲユルシキ、近代ハイサミナキ世
ニモ侍カナト申、伊遠少シ居直テ是ハ偏ニ伊成カ/k123
事ヲ申候也、不肖ノ身今度既ニ本手ノ腋ヲユルサレ
ヌ、誠ニ申サルル処ノカレ難シ、但キト試給ヘカシト申ニ、
弘光ホヲエミテ只道理ノヲス処ヲ申ハカリ也試レ
ンハ又幸也トテ、左手ヲ出テ手ヲコヒケルヲ、伊成ハ
袖カキ合テ畏テ猶父カ気色ヲ伺ケルヲ、父伊遠
カヤウニ申上ハ、タタ試候ヘト度々云ケレハ、弘光カ出ス
手ヲ伊成カ右ニテヒシト取テケリ、弘光ヒキヌカント
身ヲ動シケレトモ、タチロカサリケレハ、戯ニモテナ
シテ、右ノ手ヲ脇ノ方(刀ニ本)ニ懸テヒキヌカントスル気色
ニテ、術ナケニ見エケレハ、今ハサハカリニテ候ヘト伊/k124
遠申ケレハ放チケリ、弘光申加様ノ手合ハサノミコ
ソ侍レ、勝負ハ是ニヨルヘカラス、一サシツカウマツルヘシ
ト云テ、カクレノ方ヘ走リヨリテ、二ノ袖ヲヒキチカヘ
袴ノククリ高クカラミアケテ、庭ヘ歩出テ、是ヘオリ
候ヘオリ候ヘト申、伊成ハ目カケナカラ畏テ居タルヲ、伊遠
イカニカク程ニ申上ハ、早罷下テ一サシ仕ヘシト申スニ、
伊成モカクレノ方ニテ、コシカラミテ庭ヘオリテ立向
ニケリ形体抜群勇力軼人鬼王ノ形アラハレ、力士
ノ忽ニ来ルト覚エ、弘光又テキタイスルニハチスソ見
エケル、凡亭主ヲ始トシテ、諸人目ヲ驚シ、心ヲサハカ/k125
シテササメキアヘル程ニ、伊成スコシヨリテ弘光カ手ヲ
取テ、前サマヘツヨクヒキタルニ、ウツフシニマロヒヌ、アヘ
ナキ事限ナシ、弘光程ナク立アカリテ、是ハアヤマチ
也、今一度サカフヘシトテ歩ミヨルニ、伊成猶父ノ気
色ヲ伺テススマヌヲ、伊遠只責ヨセテ試候ソヤト云ケ
レハ、又弘光ノ手ヲ取テ後ロサマヘアラクツキタルニ、滞
ナク投ラレテ、今度ハノケサマニマロヒヌ、トハカリ有テ
オキアカリテ、烏帽子ノオチタルヲヲシ入テ、帥ノ前ニ
ヒサマツキテ、涙ヲホロホロトコホシテ、君ノ見参ハ今
日斗ニテ候トテ走出テ、ヤカテ本鳥切テケリ、/k126
法皇此事ヲ聞召テ、甚穏便ナラス最手腋ナトニ昇
進シヌルモノヲハ、公家ナヲ輙ク雌雄ヲ決セラレス、何
況私ノ勝負狼藉ノ至也ト仰ラレテ、長実卿御気
色心ヨカラサリケリ、/k127
1)
藤原長実
2)
豊原伊遠
3)
豊原伊成
4)
越智弘光
5)
底本「本手」
6)
底本「本手の腋」
text/jikkinsho/s_jikkinsho03-10.txt · 最終更新: 2015/10/23 01:24 by Satoshi Nakagawa
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