十訓抄 第二 驕慢を離るべき事
2の序 ある人いはく人世にあるみな驕慢を先として・・・
校訂本文
第二 驕慢を離るべき事
ある人いはく、人、世にある、みな驕慢1)を先として、よく穏便なるは少なし。
あるいは、自由の方にて、おだやかならず。これ、わが涯分をはからず、さしもなき身を高く思ひ上げて、主をも軽(かろ)め、傍人をも下ぐるなり。
あるいは、偏執の方にて、頑(かたく)ななり。これは、わが思ひたることをいみじくして、人の言ふことを用ゐざるなり。
あるいは、世にかはれる振舞ひあり。これは、昔をのみ「いみじ」と思ひて、今の世にしたがはぬなり。
あるいは、折節にまたをこあり。これは、「内々よく馴れにしかば」と思ひて、晴に出でて人を馴らし、もしはうちとけ遊ぶ所にさし入りて、我はいまだ乱れぬままに、ことうるはしく紐さしかためて、人をしらかし、その座の興をさますなり。
あるいは、才能につきて謗(そし)りあり。これは、物を知り、才のあつきによりて、万(よろづ)の人を侮(あなづ)るなり。
あるいは、愛着につきて愚かなり。これは、「わが主より外、めでたき人なし」、「わが妻子ばかり、見目(みめ)、心たらひたるものはあらじ」と思ふなり。
あるいは、数寄につきて笑はるることもあり。これは、昔の人はことに心も数寄て、花月いたづらに過さざりけり。今は時代あらたまりて、おもしろきこともさるほどにて、それにしみかへりてなど、心へやりて、人目に余るなり。
あるいは、振舞ひにつきて癖(くせ)あり。これは、立居の有様の、めだたしく、をこがましきなり。
おほかた、かやうのことは、驕慢をもととして、心の少なきより起れり。これによりて、つひに生涯を失ひ、後悔を深くす。かかれば、たとひ身をよしと安じ、昔をいみじと忍び、物をおもしろしと思ふとも、人目を憚りて、よく習ひをつつしみて、心に心をまかすまじきなり。されば、ある経には、
心の師とはなるとも、心を師とせざれ
と書かれたるとかや。
およそ、貧しきもののへつらはざるはあれども、富者の驕らざるはかたければ、みな人の習ひなれども、身のいたりて徳の重からんにつけても、よくしづまりて、おだやかなる思ひを先とすべし。
翻刻
第二可離憍慢事 或人云、人世ニアル皆憍慢ヲ先トシテ、ヨク穏便ナルハ少 シ、或ハ自由ノ方ニテオタヤカナラス、是我涯分ヲハカラ ス、サシモナキ身ヲ高ク思アケテ、主ヲモカロメ傍人 ヲモサクルナリ、或偏執ノ方ニテカタクナ也是ハ我 思タル事ヲイミシクシテ、人ノ云事ヲ用サル也、或ハ 世ニカハレル振舞アリ、是ハ昔ヲノミイミシト思テ、今ノ 世ニシタカハヌナリ、或折節ニ又嗚呼アリ、是ハ内々ヨ/k101
クナレニシカハト思テ晴ニ出テ人ヲナラシ、若ハウチトケ 遊所ニサシ入テ、我ハ未乱ヌママニ事ウルハシクヒモサシカ タメテ、人ヲシラカシ、其座ノ興ヲサマス也、或才能ニ付テ ソシリ有、是ハ物ヲシリ才ノアツキニヨリテ、万ノ人ヲ アナツルナリ、或愛着ニ付テヲロカ也、是ハ我主ヨリ外 目出キ人ナシ、我妻子ハカリミメ心タラヒタルモノハア ラシト思也、或ハ数奇ニ付テ咲ルル事モアリ、是ハ昔 ノ人ハ殊ニ心モスキテ花月イタツラニ過ササリケリ、 今ハ時代アラタマリテ、面白事モサルホトニテ、其ニシ ミカヘリテナト心ヘヤリテ人目ニアマルナリ、或振舞/k102
ニ付テクセアリ、是ハ立居ノ有様ノメタタシクオコカマシ キ也、大方カヤウノ事ハ憍慢ヲモトトシテ心ノスクナキ ヨリ起レリ、是ニヨリテ遂ニ生涯ヲ失後悔ヲ深ス、カ カレハ仮身ヲ吉ト安シ、昔ヲイミシト忍ヒ、物ヲ面白シ ト思トモ、人目ヲ憚テヨク習ヲツツシミテ、心ニ心ヲ任 スマシキ也、サレハ或経ニハ、心ノ師トハ成トモ心ヲ師トセサ レト書レタルトカヤ、凡貧キモノノ諂ハサルハアレトモ、 富者ノ驕ラサルハカタケレハ、皆人ノ習ナレトモ、身ノ イタリテ徳ノオモカランニツケテモ、ヨクシツマリテ、オ タヤカナル思ヲサキトスヘシ、/k103