ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:jikkinsho:s_jikkinsho01-07

文書の過去の版を表示しています。


十訓抄 第一 人に恵を施すべき事

1の7 後冷泉院御位の時天狗あれて世の中騒がしかりけるころ・・・

校訂本文

後冷泉院御位の時、天狗あれて、世の中騒がしかりけるころ、西塔に住せる僧、あからさまに京に出でて帰りけるに、東北院の北の大路に、童部五六人ばかり集まりて、物をうち凌じけるを、歩み寄りて見れば、古鵄(ふるとび)のよに恐しげなるを、縛り屈(かが)めて、楚(ずはえ) にて打つなりけり。「あな、いみじ。などかくはするぞ」と言へば、「殺して、羽取らむ」と言ふ。この僧、慈悲を発(おこ)して、扇を取らせてこれを乞ひ請けて、放しやりつ。

「ゆゆしき功徳作れり」と思ひて行くほどに、切堤(きれつつみ)のほどに、薮(やぶ)より異様(ことやう)なる法師の歩み出でて、遅れじと歩み寄りければ、気色(けしき)覚えて、方々(かたがた)へ立ち寄りて、過ぐさむとしける時、かの法師、近寄りて言ふやう、「御あはれみ蒙(かうぶ)りて、命生きて侍れば、その悦び聞えんとて」など言ふ。僧、立ち返りて、「えこそ覚えね。誰人にか」と問ひければ、「さぞ思すらむ。東北院の北の大路にて、からき目みて侍りつる老法師に侍り。生けるものは、命に過ぎたる物なし。かばかりの御志には、いかでか報じ申さざらむ。何事にても、ねんごろなる御願ひあらば、一事かなへ奉らむ。おのれは、かつ知らせ給ひたるらむ、小神通を持ちたれば、何かはかなへざらむ」と言ふ。

「あさましく、めづらかなるわざかな」とむつかしく思ひながら、こまやかに言へば、「やうこそあるらめ」と思ひて、「われはこの世の望み、さらになし。年七十になれりたれば、名聞利欲あぢきなし。後世こそ恐しけれども、それはいかでかかなへ1)給ふべきなれば、申すに及ばず。ただし、『釈迦如来の、霊山にて説法し給ひけむよそほひこそ、めでたかりけめ』と思ひやられて、朝夕心にかかりて、見まほしく思ゆれ。その有様、学びて見せ給ひなんや」と。「いとやすきことなり。さやうの物真似する、おのれが徳とするなり」と言ひて、下り松の上の山へ具して登りぬ。

「ここにて目をふさぎて居給へ。仏の説法の御声の聞えん時、目をばあけ給へ。だた、あなかしこ、貴しと思すな。信だに発(おこ)し給はば、おのれかために悪しからむ」と言ひて、山の峰の方へ登ぬ。

とばかりして、法(のり)の御音聞こゆれば、目を見あけたるに、山は霊山となり、地は紺瑠璃となりて、木は七重宝樹となりて、釈迦如来、獅子座2)の上におはします。普賢・文殊、左右に座し給へり。菩薩・聖衆、雲霞のごとし。帝釈・四王・竜神八部。所もなく満ちみてり。空より四種の花降りて、香ばしき風吹き、天人、雲に列(つら)なりて、微妙の音楽を奏す。如来、宝花に座して、甚深の法門を演説し給ふ。そのことがら、おほかた心も言も及びがたし。

しばしこそ、「いみじく学び似せたり」など、興ありて思ひけれ、様々(さまざま)の瑞相見るに、在世の説法のみぎりに臨(のぞ)めるかごとし。信心たちまちに発(おこ)りて、随喜の涙、眼に浮かび、渇仰の思ひ、骨にとほるあひだ、手を額に当てて帰命頂礼するほどに、山おひただしくからめき騒ぎて、ありつる大会、かき消つごとくに失せぬ。夢の覚むるがごとし。

「こはいかにしつるぞ」とあきれ騒ぎて見回せば、もとありつる山中の草深なり。あさましながら、さてあるべきならねば、山へ登るに、水飲みのほどにて、ありつる法師出で来て、「さばかり契り奉りしことをたがへ給ひて、信を発し給へるによりて、護法、天童下し給ふ。『いかでか、かばかりの信者をば、たぶろかすぞ」とて、われらをさいなみ給へるあひだ、雇ひ集めたりつる法師ばらも、からき肝つぶして逃げ去りぬ。おのれが片方(かたかた)の羽がひを打たれて、術なし」とて、失にけり。

翻刻

後冷泉院御位の時、天狗あれて世中さはかしかり
ける比、西塔に住せる僧、白地に京に出て帰けるに、東/k24
北院の北の大路に童部五六人はかり集りて、物を
うちれうしけるを、歩み寄て見はふるとひのよにおそ
ろしけなるを、しはりかかめて、すはへにて撲なりけり、
あないみし、なとかくはするそといへは、殺て羽取らむと
云、此僧慈悲を発て、扇をとらせて是を乞請て放
遣つ、ゆゆしき功徳つくれりと思て往ほとに、きれつつ
みの程に、やふよりことやうなる法師の歩出て、をくれ
しと歩よりけれは、けしき覚てかたかたへ立寄て過
さむとしける時彼法師近よりて云やう、御哀蒙
て命生て侍れは、其の悦聞えんとてなと云、僧立返て/k25
えこそ覚えね誰人にかと問けれは、さそおほすらむ東北
院の北の大路にて、からきめみて侍つる老法師に侍り、
生るものは命に過たる物なし、かはかりの御志には争
か報し申ささらむ、何事にても懇なる御願あらは、一
事叶へ奉らむをのれはかつしらせ給たるらむ、小神通
を持たれは、なにかはかなへさらむと云、浅猿くめつらか
なるわさかなとむつかしく思なから、こまやかにいへは、や
うこそあるらめと思て、我は此世の望更になし、年七
十になれりたれは、名聞利欲あちきなし、後世こそおそ
ろしけれとも、其は争か称へ給へきなれは、申に及はす、/k26
但釈迦如来の霊山にて説法し給けむよそをひこそ、
めてたかりけめと思遣れて、朝夕心にかかりてみま
ほしく覚れ、其有様まなひて見せ給なんやと、いとや
すき事也さやうの物まねするをのれか徳とするなりと
云て、さかり松の上の山へ具て昇ぬ、ここにて目をふ
さきて居給へ、仏の説法の御声の聞ん時目をは
あけ給へ、但穴賢こ貴しとおほすな、信たに発給はは
をのれかためにあしからむと云て、山の峰の方へ登ぬ、と
はかりして法の御音聞れは、目をみあけたるに、山は霊山
となり地は紺瑠璃と成て、木は七重宝樹となりて、/k27
釈迦如来師子床の上におはします、普賢文殊左右
に坐し給へり菩薩聖衆雲霞のことし、帝釈四王竜
神八部所もなくみちみてり、空より四種の花ふり
て香しき風吹、天人雲に列て微妙の音楽を奏
す、如来宝花に坐して甚深の法門を演説し給其
事から大方心も言も及ひかたし、しはしこそいみしく学
ひ似せたりなと興有て思けれ、さまさまの瑞相みるに
在世の説法の砌にのそめるか如し、信心忽にをこりて
随喜の涙眼に浮ひ、渇仰の思骨にとをる間、手を額
にあてて帰命頂礼するほとに、山おひたたしくからめ/k28
きさはきて、ありつる大会かきけつ如くにうせぬ夢
の覚か如し、こはいかにしつるそとあきれさはきて見
廻せは、もと有つる山中の草深なり、あさましなから
さてあるへきならねは、山へ登に、水のみの程にて有つ
る法師出来て、さはかり契たてまつりし事をたか
へ給て信を発し給へるによりて、護法天童下給ふ、
争かかはかりの信者をはたふろかすそとて、我等をさ
いなみ給へる間、雇集たりつる法師原も、からき肝
つふして逃去ぬ、己かかたかたの羽かひをうたれて術
なしとて失にけり、/k29
1)
底本「称へ」。諸本により訂正。
2)
底本「獅子床」。諸本により訂正。
text/jikkinsho/s_jikkinsho01-07.1440462878.txt.gz · 最終更新: 2015/08/25 09:34 by Satoshi Nakagawa