目次
古今著聞集 魚虫禽獣第三十
跋 この集のおこりは・・・
校訂本文
この集のおこりは、予1)そのかみ、詩歌管絃の道々(みちみちに)、時にとりてすぐれたる物語を集めて、絵に描きとどめむがためにと、いそのかみ古き昔のあとより、浅茅が末の世の情けに至るまで、広く勘(かんが)へ、あまねく記すあまり、他の物語にも及びて、かれこれ聞き捨てず書き集むるほどに、夏野の草ことしげく、森の落葉数そひ侍りにけり。これ、そこはかとなきすずろごとなれども、いにしへより、良きことも悪しきことも記し置き侍らずは、誰(たれ)か古きをしたふ情けを残し侍るべき。これによりて、あるいは家々の記録をうかがひ、あるいは処々の勝絶(しようぜつ)を訪ね、しかのみならず、たまぼこの道行きずりの語らひ、あまさかる鄙(ひな)の手ぶりの習ひにつけて、ただに聞きづてに聞くことをも記せれば、さだめてうけることも、また確かなることも混り侍らんかし。つひに部を分かち巻を定めて、三十篇二十巻とす。篇の端々(はしばし)にいささかそのことのおこりを述べて、次々にその物語をあらはせり。
建長六年十月十六日、終りの宴2)になずらへて、詩歌管絃の興をもよほす。かつは、この集かの三つの道よりおこれるによりて、白楽天3)・人丸4)・廉承武の画影をかけて、その前々(まへまへ)に色々の供物を供へ、また酒脯菜果(しゆほさいくわ)の尊をまうく。
まづ序より始めて、三十篇の端書き、ならびに物語一段を読み上ぐ。次に糸竹(いとたけ)の声を合はせて、呂律の曲を唱ふ。次に詩を講ず。題にいはく、「冬来文学家(一字)5)」。次に和歌を講ず、題にいはく、「朝残菊」・「夕落葉」「寄鶴祝」。おのおの披講畢(をは)りて朗詠あり。「嘉辰令月」、次に「泰山不譲土壌」、次に「今生世俗の句などなり。予、みなこれをいたす。人々、声を助く。この三ヶの郢曲(えいきよく)の心をもて竟宴の旨趣とするものなり。次に一献の盃を勧む。二献に箸を立つ。三献にまた郢曲あり。その後、数献に及ぶ。冬の夜、やうやく漸く明けなんとして、人々座を立つ。今、多年収拾の功をとげて、一部竟宴の儀をいたす。今日の綺、心ざしのゆくところなり。
そもそもこの集においては他見を許すべからず。もし子孫の中にこの鑑誡をそむきて閽外(こんぐわい)に出だすものあらば、わが子孫たるべからず。氏の明神、必ず照罰を加へ給ふべきものなり。
ただし、人によりて許否あるべし。事にしたがひて思惟をいたすべし。繊芥(せんかい)の隔てなく等閑の儀浅からざらむには、ままこれを許すべし。
つらつらこれらのおもむきを思へば、みな蘧氏6)の非に似たり。すみやかに三十巻狂簡の綺語をもて、翻して四八相値遇の勝因とせん。「麁言柔輭語之文7)、仏種従縁起之教」をこの取信といへることなり。
建長六年十月十七日、宴後朝、右筆記之。当時凍雲片々、青嵐漠々。満籬之残菊、黄紫交色、引砌之小泉、鴛鴦双翅。閑庭之物、足動我情者也。建長六年十月十七日、宴の後朝、右筆これを記す。当時凍雲片々、青嵐漠々たり。籬に満つる残菊、黄紫色を交へ、砌に引く小泉、鴛鴦翅を双ぶ。閑庭の物、我情を動かすに足る者なり。
朝請大夫橘成季
翻刻
この集のをこりは予そのかみ詩哥管絃のみちみちに 時にとりてすくれたるものかたりをあつめて絵にかきとと/s560r
めむかためにといそのかみふるきむかしのあとよりあさ ちかすゑの世のなさけにいたるまてひろく勘へあ まねくしるすあまり他のものかたりにもをよひてか れこれききすてすかきあつむる程に夏野の 草ことしけくもりのおちはかすそひ侍にけりこれ そこはかとなきすすろことなれともいにしへよりよ きこともあしきこともしるしをき侍らすはた れかふるきをしたふなさけをのこし侍へきこれに よりて或は家々の記録をうかかい或は処々の勝絶 をたつねしかのみならすたまほこのみちゆきすり のかたらひあまさかるひなのてふりのならひにつけ/s560l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/560
てたたにききつてにきく事をもしるせれはさた めてうける事も又たしかなることもましり侍ら んかしつゐに部をわかち巻をさためて卅篇廿 巻とす篇のはしはしにいささかそのことのをこり をのへてつきつきにそのものかたりをあらはせり 建長六年十月十六日をはりの宴になすらへて詩 哥管絃の興をもよをすかつは此集彼三の道よ りをこれるによりて白楽天人丸廉承武の画 影をかけて其まへまへに色々の供物をそなへ又 酒脯菜果の尊をまうくまつ序よりはしめて 卅篇のはしかき并物語一段をよみあく次にいと/s561r
たけのこゑをあはせて呂律の曲をとなふ次詩を 講す題云冬来文学家(一字)次和歌を講す題 に云朝残菊夕落葉 寄鶴祝をのをの披講畢 て朗詠あり嘉辰令月次に泰山不譲土壌次に今 生世俗の句等也予みなこれをいたす人々こゑを たすくこの三ヶの郢曲の心をもて竟宴の旨趣と するもの也次に一献の盃をすすむ二献に箸を たつ三献に又郢曲ありそののち数献にをよふ冬 の夜漸あけなんとして人々座をたつ今多年収 拾の功をとけて一部竟宴の儀をいたす今日の 綺こころさしのゆくところ也抑此集においては他/s561l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/561
見をゆるすへからす若子孫の中にこの鑑誡をそ むきて閽外にいたすものあらは我子孫たるへか らす氏之明神かならす照罸をくはへ給へきもの也 但人によりて許否あるへし事にしたかひて思惟 をいたすへし繊芥のへたてなく等閑の儀あさから さらむには間これをゆるすへし倩これらのおもむき を思へはみな蘧氏之非に似たりすみやかに三十 巻狂簡の綺語をもて翻て四八相値遇の勝因 とせん麁言柔耎語之文仏種従縁起之教を 此取信といへる事也 建長六年十月十七日宴後朝右筆記之当時/s562r
凍雲片々青嵐漠々満籬之残菊黄紫交 色引砌之小泉鴛鴦双翅閑庭之物足動 我情者也 朝請大夫橘成季/s562l