古今著聞集 偸盗第十九
431 南都にある人五部の大乗経を書きて春日の宝前にて供養せんと思ひて澄憲法印を・・・
校訂本文
南都にある人、五部の大乗経を書きて、「春日1)の宝前にて供養せん」と思ひて、澄憲法印を導師に2)請じ下さんとしけるを、衆徒(しゆと)聞きて、「南都の碩学(せきがく)どもをさしおきて、はるかに山法師を請ずること、見苦しきことなり」と憤り、そのこと止まりにけり。
かかるほどに、大明神の御託宣に、「わが国第一の能説を聞かんことを悦び思ふに、いかにかく妨げをば何ぞ」と示し給ひければ、恐れをなして、もとの儀にまかせて請じ下してけり。まことに富楼那(ふるな)の弁説をはきて、衆人感涙を垂れぬ3)はなかりけり。
随喜のあまり、南京こぞりて、「われも」「われも」と臨時の仏事を始めて請じけるほどに、布施はしたなく多く取りて上(のぼ)るとて、日たけて出でたりけるに、奈良坂にて山立(やまだち)4)待ちまうけて、布施物みな奪ひ取りてけり。力者以下、みなうち捨てて散り散りに逃げ去りにければ、たた一人輿(こし)に乗りて茫然(ばうぜん)として居たり。恐しきことせんかたなけれども、いづ方へ逃げのがるべくもなし。さりながら、山立の主領とおぼしき者、ことおきて候ふありけるを、法印招きければ、「何しに召され候ふぞ」と言ひながら、四・五人つれて来たれりけり。
法印、「しばしもの申し候はん」とて、十二因縁の心をめでたく説き聞かせて5)、教化せられたりけるに、山立ども、たちまちに悪心を改めて、帰伏せる気色になりて、奪ひ取るところの物どもを、ことごとく返し与へてけり。さて、法性寺まて守護して送りたりけり。法印、不思議に思ひて、事故(ことゆゑ)なく坊に帰りぬ。
次の日、小童一人、小袋に物を入れて持て来たりて案内する侍りけり。「何者ぞ」と問はすれば、「昨日奈良坂にて見参に入りて候ひし者のもとより」と言ひければ、「山立よ」と心得て、おぼつかなさに急ぎ袋を開けて見れば、髻(もとどり)を三つ切りて入れたりけり。消息ありけり。開けてみれば、「昨日の御教化を承りて、たちまちに発心の者三人、かれが髻に候ふ」と書きたりけり。
あはれに不思議なることなり。今この教化によりて悪心を改めけんこと、ありがたきことなり。澄憲が高名不思議、このことに侍り。
翻刻
南都に或人五部大乗経を書て春日宝前にて 供養せんと思て澄憲法印を導師請し下 さんとしけるを衆徒聞て南都の碩学とも をさしをきてはるかに山法師を請する事みくるしき ことなりといきとをり其事とまりにけりかかる 程に大明神の御託宣に我国第一の能説をきかん 事を悦おもふにいかにかくさまたけをはなにそとしめし たまひけれは恐をなして本儀にまかせて請しくたし てけり誠に富楼那の弁説をはきて衆人感涙 を乗ぬはなかりけり随喜のあまり南京こそり て我も我もと臨時の仏事をはしめて請しける/s327l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/327
程に布施はしたなく多とりてのほるとて日たけて 出たりけるに奈良坂にて山たち待まうけて布 施物みなうはひとりてけり力者以下みなうちす てて散々に逃さりにけれはたたひとり輿にのりて 茫然として居たりおそろしき事せんかたなけれと もいつかたへにけのかるへくもなしさりなから山たちの 主領とおほしきもの事をきて候ありけるを法印 まねきけれはなにしにめされ候そといひなから四五 人つれて来れりけり法印しはし物申候はんと て十二因縁の心をめてたくときかせて教化 せられたりけるに山たちとも忽に悪心をあらた/s328r
めて帰伏せるけしきになりてうはひとる所の 物ともをことことくかへしあたへてけりさて法性寺 まて守護しておくりたりけり法印不思儀に おもひてことゆへなく坊に帰りぬ次日小童一人 小袋に物を入てもてきたりて案内する侍りけり なにものそととはすれは昨日なら坂にて見参に 入て候しもののもとよりといひけれは山立よと心え ておほつかなさにいそき袋を開てみれは本鳥 を三きりていれたりけり消息ありけりあ けてみれは昨日の御教化を承て忽に発心の もの三人かれか本鳥に候と書たりけりあはれに/s328l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/328
不思儀なる事也今この教化によりて悪心を あらためけんことありかたき事なり澄憲か高 名ふしき此事に侍り/s329r