古今著聞集 和歌第六
177 鳥羽法皇の女房に小大進といふ歌詠みありけるが・・・
校訂本文
鳥羽法皇の女房に小大進といふ歌詠みありけるが、待賢門院1)の御方に、御衣一重(ぎよいひとかさね)失せたりけるを負ひて、北野2)にこもりて祭文書きて、まもられけるに三日といふに、神水(じんずい)をうちこぼしたりければ、検非違使、「これに過ぎたる失(しつ)やあるべき。出で給へ」と申しけるを、小大進、泣く泣く申すやう、「『おほやけの中のわたくし』と申すはこれなり。今三日の暇(いとま)を賜べ。それにしるしなくは、われを具して出で給へ」とうち泣きて申しければ、検非違使もあはれに思えて延べたりけるほどに、小大進、
思ひ出づやなき名立つ身は憂かりきと現人神になりし昔を
と詠みて、紅の薄様一重に書きて、御宝殿におしたりける夜、法皇の御夢に、よに気高くやんごとなき翁の、束帯にて御枕に立ちて、「やや」とおどろかし参らせて、「われは北野右近馬場の神3)にて侍り。めでたきことの侍る、御使給はりて見せ候はん」と申し給ふ4)と思し召して、うちおどろかせ給ひて、「天神の見えさせ給へる、いかなることあるぞ。見て参れ」とて、「御厩の御馬に、北面の者を乗せて馳せよ」と仰せられければ、馳せ参り見るに、小大進は雨雫(あめしづく)と泣きて候ひけり。
御前に紅(くれなゐ)の薄様に書きたる歌を見て、これを取りて参るほどに、いまだ参りも着かぬに、鳥羽殿の南殿の前に、かの失せたる御衣をかづきて、前(さき)をば法師、後(あと)をば敷島とて待賢門院の雑仕(ざうし)なりけるものかづきて、獅子を舞ひて参りたりけるこそ、天神のあらたに歌にめでさせ給ひたりけると、めでたく尊く侍れ。
すなはち小大進をば召しけれども、「かかる問拷(もんかう)を負ふも、心悪(わろ)きものに思し召すやうのあればこそ」とて、やがて仁和寺なる所にこもりゐてけり。
「力をも入れずして」と、『古今集5)』の序に書かれたるは、これらのたぐひにや侍らん。
翻刻
ぬ鳥羽法皇の女房に小大進といふ哥よみありけるか待賢 門院の御方に御衣一重うせたりけるををいて北野にこもり/s129l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/129
て祭文かきてまもられけるに三日といふに神水をうち こほしたりけれは検非違使これにすきたる失やあるへきいて 給へと申しけるを小大進泣々申やうおほやけの中のわた くしと申はこれなり今三日のいとまをたへそれにしるし なくはわれをくしていてたまへとうちなきて申けれは 検非違使もあはれにおほえてのへたりける程に小大進 思ひいつやなき名たつ身はうかりきとあら人神になりし昔を とよみて紅の薄様一重にかきて御宝殿にをしたりける夜 法皇の御夢によにけたかくやんことなき翁の束帯にて御 枕に立てややとおとろかしまいらせてわれは小野右近馬場 の神にて侍りめてたき事の侍る御使給はりてみせ候はんと/s130r
給とおほしめしてうちおとろかせ給て天神のみえさせ給へる いかなる事あるそみてまいれとて御厩の御馬に北面のもの をのせて馳よと仰られけれは馳まいりみるに小大進はあ めしつくと泣て候けり御前に紅の薄様に書たる哥をみて これをとりてまいる程にいまたまいりもつかぬに鳥羽殿の 南殿の前にかのうせたる御衣をかつきてさきをは法師 あとをは敷島とて待賢門院のさうしなりけるものかつきて師子 をまいてまいりたりけるこそ天神のあらたに哥にめてさせ給 たりけると目出たうとく侍れ則小大進をはめしけれともかかる もんかうをおふも心わろき物におほしめすやうのあれはこそとて やかて仁和寺なる所にこもり居てけり力をもいれすしてと/s130l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/130
古今集の序にかかれたるはこれらのたくひにや侍らん/s131r