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text:chomonju:s_chomonju035

古今著聞集 釈教第二

35 わが朝の仏法は聖徳太子広め給へる所なり・・・

校訂本文

わが朝の仏法は、聖徳太子広め給へる所なり。太子は欽明天皇の御孫、用明天皇の太子、御母穴太部真人(あなほべのはしひと)の女(むすめ)なり。

御母の夢に、金色の僧来たりて、「われ世を救ふ願あり。願はくは、しばらく御腹に宿らん。われは救世菩薩1)なり。家は西方にあり」と言ひて、踊りて口に入ると見給ひて、孕まれ給へる所なり。

太子の御伯父敏達天皇、位につき給ふ始めの年、正月一日生まれ給ふ。その時、赤光西方よりさして寝殿に至る。その御身はなはだ香ばし。四月の後によくもの仰せらる。明くる年の二月十五日の朝、心づから東に向ひて、掌(たなごころ)を合はせて、「南無仏」と唱へ給ふ。六歳の御年、百済国より初めて僧尼経論を持ちて渡れり。八年に、また日羅といふ人渡りて、太子を礼して申さく、「敬礼救世観世音、伝灯東方粟散王」と拝み奉りて、光を放つ。太子、また眉間より光を放ち給ふ。また釈迦牟尼如来像・弥勒の石像を渡す。

大臣蘇我馬子宿禰、仏法に帰して、太子と心を一つにせり。二十一年、天下病おこりて、死ぬる者多し。その時、物部弓削守屋臣2)ならびに中臣勝海等、邪見にして仏法を信ぜず。奏していはく、「わが国は神国なり。しかるに、蘇我大臣、仏法を広め行ふによりて、病おこり死ぬる者多し。これをとどめられば、人の命またかるべし」と申すによりて、みことのりを下して、仏法を停止(ちやうじ)せらる。すなはち、守屋、仰せを奉じて、堂塔を焼亡(ぜうまう)して、仏法を滅亡す。

この時、仏法みな滅びなんとする間、太子悲泣懊悩し給ふことかぎりなし。これによりて、雲なくして雨風動き、空より火下りて、内裏焼けぬ。その後、太子の御父用明天皇位につかせ給ひて、さらにまた仏法を興させ給ふ。蘇我大臣、勅を奉じてこれを行ふ。滅び失せにし仏法 、これよりまた広まる。太子悦び給ひて、大臣の手を取りてのたまはく、「三宝の妙(たへ)なること、人いまだ知らざるに3)、大臣心を寄せたり。喜ばしきかなや」と。

この時、かの守屋の逆臣が邪見を、陛下に奏聞して、軍兵(ぐんびやう)を起こさしめて、討伐せんとす。人、これをひそかに守屋の臣に告げ知らするによりて、阿都部(あとべ)の家にこもりゐて兵を集む。中臣勝海、同じく兵(つはもの)を発して、守屋を助く。蘇我大臣、太子に申して、すでに兵を引きて守屋が家に向ふ。城の軍(いくさ)こはくして、御方(みかた)の兵、三度(みたび)しりぞき帰る。

その時、太子の御年十六にして、大将軍4)の後ろに立ち給へり。秦河勝に仰せて、ぬるでの木をもて四天王像を刻み造らしめて、髻(もとどり)の上・桙(ほこ)の先にさして、願をおこしてのたまはく、「われをして戦(いくさ)に勝たしめ給ひたらば、四天王の像をあらはして、寺塔を立てん」と。大臣、同じく願して戦をすすむ。

城中に大きなる榎の木あり。守屋、その木の上にのぼりて、物部の氏の神に祈りて矢を放たし むるに、太子の御鐙(あぶみ)に当たりけり。太子、また舎人跡見5)に仰せて、四天王に誓ひて矢を放たしむ。定(ぢやう)の弓、恵(ゑ)の矢に和順して、遠く走りて、逆臣が胸に当たりて、木よりさかさまに落ちぬ。戦兵乱れ入りて、その首を切りつ。

これより仏法の仇(あた)長く断ちて、化度利生(けどりひやう)の道広まれり。6)

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我朝の仏法は聖徳太子弘め給へる所也太子は欽明
天皇の御孫用明天皇の太子御母穴太部真人の女也
御母の夢に金色の僧来てわれ世をすくふ願ありね
かはくは暫御腹にやとらん我は救世菩薩なり家は西方に
ありといひておとりて口に入と見給てはらまれ給へる
所也太子の御伯父敏達天皇位につき給ふはしめ
のとし正月一日生れ給ふそのとき赤光西方よりさ/s30r
して寝殿にいたるその御身甚かうはし四月ののちに
よく物仰らるあくる年の二月十五日の朝心つから
東に向て掌を合て南無仏と唱給ふ六歳の御年
百済国よりはしめて僧尼経論を持て渡れり八年に
又日羅といふ人渡て太子を礼して申さく敬礼救世
観世音伝灯東方粟散王とおかみたてまつりて光
をはなつ太子又眉間より光をはなち給ふ又尺迦牟尼
如来像弥勒の石像を渡す大臣蘇我馬子宿禰仏法に
帰して太子と心を一にせり廿一年天下病おこりて死る
ものおほし其時物部弓削守屋臣并中臣勝海等邪
見にして仏法を信せす奏云我国は神国也しかる/s30l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/30

に蘇我大臣仏法を弘めおこなふによりて病おこり
死るもの多し是をととめられは人の命またかるへしと
申によりてみことのりを下して仏法を停止せらる則
守屋仰を奉て堂塔を焼亡して仏法を滅亡す
此時仏法みなほろひなんとする間太子悲泣懊悩し
給ふ事限なしこれによりて雲なくして雨風うこき
空より火下て内裏焼ぬ其後太子の御父用明天
皇位につかせ給て更に又仏法を興させ給蘇
我大臣勅を奉て是をおこなふほろひうせにし仏法
これより又ひろまる太子悦給て大臣の手を取ての給
はく三宝の妙なる事人いまたしらるる大臣心をよせ/s31r
たりよろこはしきかなやと此時彼守屋の逆臣か邪
見を陛下に奏聞して軍兵を起さしめて討
伐せんとす人これを窃に守屋の臣につけしらする
によりて阿都部の家にこもりゐて兵をあつむ中臣
勝海おなしく兵を発して守屋をたすく蘇我大臣太
子に申て已に兵を引て守屋か家にむかふ城の軍
こはくして御方の兵三たひしりそきかへる其時太
子の御とし十六にして大将軍のうしろに立給へり
秦河勝に仰てぬるての木をもて四天王像をきさみ
つくらしめて本鳥のうへほこのさきにさして願をおこ
しての給はく我をして戦に勝しめ給ひたらは/s31l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/31

四天王の像をあらはして寺塔を立んと大臣おなしく
願して戦をすすむ城中に大なる榎の木あり守屋其
木の上にのほりて物部の氏の神に祈て箭をはなたし
むるに太子の御鐙にあたりけり太子又舎人跡見に仰て
四天王に誓て矢をはなたしむ定の弓恵の矢に和順し
てとをくはしりて逆臣かむねにあたりて木よりさか様に
落ぬ戦兵乱入て其首をきりつこれより仏法のあた
なかく断て化度利生の道ひろまれり(委旨見/伝文)/s32r

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/32

1)
観世音菩薩
2)
物部守屋
3)
「知らざるに」は底本「いまたしらるる」。諸本により訂正。
4)
蘇我馬子
5)
迹見赤檮・とみのいちい
6)
底本、「委旨見伝文(委しき旨は伝文を見よ)」と注。


text/chomonju/s_chomonju035.txt · 最終更新: 2020/01/05 22:40 by Satoshi Nakagawa