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古今著聞集 神祇第一
6 北野宰相殿は天神四世の苗裔なり・・・
校訂本文
北野宰相殿1)は、天神2)四世の苗裔(べうえい)なり。円融院の御侍読(じどく)として、道の文誉ゆゆしくおはしましけり。
天元四年に太宰大弐に任じて、同じき五年九月に府に着きて、安楽寺を巡礼し給ひけるに、堂舎数ありといへども、塔婆いまだ見えず。建立の願もとよりありけるによりて、造営を初められけり。
聖廟、悦び思しめしけるゆゑに、永観二年六月二十九日の御託宣に云はく、「大弐の朝臣、兼式部大輔の事、また、希有にして家の面目たり。大弐朝臣、内外共に末孫にして、また信心を存す。造塔写経の大願を発すに依て、我れ、深く信ず。謀を廻らして当任せしむ。暫く他事を停(とど)めて、早くこの願を遂(と)げん。合力を致さんの人々、現世・後生の大願、皆成(なり)て、生々世々因果熟せしめん。云々」。寺家別当松寿、自(みづか)らこれを記す。
都督、いよいよ信心を発して、三年が中(うち)に多宝塔一基を建てて、胎蔵界の五仏を安じ、法華経千部を納め奉る。これを東の御塔と名付く。禅侶を置きて、不退の勤めをいたさる。彼の卿、宰府の間、寺家の仏神事の儀式、寺務のあるべき次第など、委しく記しおかれて、三巻書と名付けて、宝蔵に納めて、今に伝はれり。
秩満の後、都へ帰り給ひて、長徳二年に参議に任じ、寛弘六年十二月に八十五にて失せ給ふ。その後、神と現はれて叢祠を廟壇の傍に開かる。寿永三年三月に贈正二位の加階にあづかり給ひけり。
翻刻
北野宰相殿は天神四世の苗(ヘウ)裔也円融院の御侍読(シトク) として道の文誉ゆゆしくおはしましけり天元四年 に太宰大弐に任して同五年九月に府(フ)につきて安楽/s12r
寺を巡礼し給けるに堂舎かすありといへとも塔婆い またみえす建立の願もとより有けるによりて造営 をはしめられけり聖廟悦ひおほしめしける故に永 観二年六月廿九日の御託宣云大弐朝臣兼式部大輔 事又希有為家面目大弐朝臣内外共末孫又存信 心依発造塔写経之大願我深信廻謀令当任暫停 他事早遂此願致合力之人々現世後生之大願皆成 生々世々因果令熟云々寺家別当松寿みつからこ れを記す都督いよいよ信心を発して三年か中 に多宝塔一基をたてて胎蔵界の五仏を安し 法華経千部をおさめたてまつるこれを東の御塔と/s12l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/12
名付く禅侶を置て不退のつとめをいたさる彼卿 宰府のあひた寺家の仏神事の儀式寺務の あるへき次第なとくはしく記しをかれて三巻書と名 付て宝蔵におさめていまにつたはれり秩満の後都へ 帰給て長徳二年に参議に任し寛弘六年十二月に 八十五にてうせ給其後神とあらはれて叢祠を庿壇 の傍にひらかる寿永三年三月に贈正二位の加階に あつかり給ひけり/s13r
text/chomonju/s_chomonju006.txt · 最終更新: 2020/01/08 21:36 by Satoshi Nakagawa