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text:yomeiuji:uji196

宇治拾遺物語

第196話(巻15・第11話)後の千金の事

後之千金事

後の千金の事

校訂本文

今は昔、唐土(もろこし)に荘子といふ人ありけり。家いみじう貧しくて、今日の食物絶えぬ。隣にかんあとう1)といふ人ありけり。それがもとへ、今日食ふべき料(れう)の粟を乞ふ。

あとうがいはく、「今五日ありておはせよ。千両の金を得んとす。それを奉らん。いかでか、やんごとなき人に、今日参るばかりの粟をば奉らん。かへすがへすおのが恥なるべし」と言へば、荘子のいはく、「昨日、道をまかりしに、あとに呼ばふ声あり。返り見れば人なし。ただ、車の輪跡のくぼみたる所に溜りたる少水(せうすい)に、鮒一つふためく。『何ぞの鮒にかあらん』と思ひて、寄りて見れば、すこしばかりの水に、いみじう大きなる鮒あり。『何ぞの鮒ぞ』と問へば、鮒のいはく、『われは河伯神(かはくしん)の使に、江湖(がうこ)へ行くなり。それが飛びそこなひて、この溝に落ち入りたるなり。喉乾き死なんとす。われを助けよと思ひて、呼びつるなり』と言ふ。答へていはく『われ、今二・三日ありて、江湖もと2)といふ所に遊びしに行かんとす。そこに持て行きて放さん』と言ふに、魚のいはく、『さらにそれまで、え待つまじ。ただ、今日一提(ひとささ)げばかりの水をもて、喉をうるへよ』と言ひしかば、さてなん助けし。鮒の言ひしこと、わが身に知りぬ。さらに今日の命、物食はずは、生くべからず。後の千の金(こがね)、さらに益(やく)なし」とぞ言ひける。

それより、「後の千金」といふこと、名誉せり。

翻刻

いまはむかしもろこしに荘子といふ人ありけり家いみしうまつ/下108オy469
しくてけふの食物たえぬ隣にかんあとうといふ人ありけりそれかも
とへけふ食へき料の粟をこふあとうかいはく今五日ありておはせよ
千両の金をえんとすそれをたてまつらんいかてかやんことなき人に
けふまいるはかりの粟をはたてまつらん返返おのかはちなるへしといへは
荘子のいはく昨日道をまかりしにあとによはふこゑありかへり
みれは人なしたた車の輪あとのくほみたる所にたまりたる少水に
鮒一ふためくなにそのふなにかあらんと思てよりてみれはすこし
斗の水にいみしう大なる鮒ありなにその鮒そととへはふなの
いはく我は河伯神の使に江湖へ行也それか飛ひそこなひて
此溝に落入たるなり喉かはきしなんとす我をたすけよと思て
よひつるなりといふ答ていはく我今二三日ありて江湖もとといふ
所にあそひしにいかんとすそこにもて行てはなさんといふに魚
のいはくさらにそれまてえ待ましたたけふ一提はかりの/下108ウy470
水をもて喉をうるへよといひしかはさてなんたすけし鮒のいひし
こと我身にしりぬさらにけふの命物くはすはいくへからす後の
千のこかねさらにやくなしとそいひける其より後の千金と云事名誉せり/下109オy471
1)
『荘子』では「監河侯」
2)
「もと」は衍字か。
text/yomeiuji/uji196.txt · 最終更新: 2019/12/07 23:05 by Satoshi Nakagawa