宇治拾遺物語
第157話(巻12・第21話)ある上達部、中将の時、召人に逢ふ事
或上達部中将之時逢召人事
ある上達部、中将の時、召人に逢ふ事
校訂本文
今は昔、上達部のまだ中将と申しける、内へ参り給ふ道に、法師を捕(とら)へて率(ゐ)て行きけるを、「こは、なに法師ぞ」と問はせければ、「年ごろ仕はれて候ふ主を殺して候ふ者なり」と言ひければ、「まことに罪重きわざしたる者にこそ。心憂きわざしたる者かな」と、何となくうち言ひて過ぎ給ひけるに、この法師、赤き眼(まなこ)なる目の、ゆゆしく悪しげなるして、にらみ上げたりければ、「よしなきことをも言ひてけるかな」と、けうとく思して、過ぎ給ひけるに、また、男をからめて行きけるを、「こは、何事したる者ぞ」と、懲りずまに問ひければ、「人の家に追ひ入られて候つる男は、逃げてまかりぬれば、これを捕へてまかるなり」と言ひければ、「別のこともなきものにこそ」とて、その捕へたる人を見知りたれば、乞ひ許してやり給ふ。
おほかた、この心ざまして、人の悲しき目を見るに従ひて助け給ひける人にて、初めの法師も、「ことよろしくは、乞ひ許さん」とて問ひ給ひけるに、罪のことのほかに重ければ、さのたまひけるを、法師はやすからず思ける。さて、ほどなく大赦のありければ、法師もゆりにけり。
さて、月明かりける夜、みな人はまかで、あるは寝入りなどしけるを、この中将、月にめでて、たたずみ給けるほどに、「ものの築地を越えて降りける」と見給ふほどに、後ろよりかきすくひて、飛ぶやうにして出でぬ。あきれまどひて、いかにも思し分かぬほどに、恐しげなる者、来集ひて、遥かなる山の険しく恐しき所へ率て行きて、柴1)の編みたるやうなる物を高く作りたるにさし置きて、「さかしらする人をば、かくぞする。やすきことは、ひとへに罪重く言ひなして、悲しき目見せしかば、その答(たう)に、あぶり殺さんずるぞ」とて、火を山のごとく焼きければ、夢などを見る心地して、若くきびはなるほどにてはあり、もの覚え給はず、熱さはただ熱さになりて、ただ片時(かたとき)に死ぬべく思え給ひけるに、山の上より、ゆゆしき鏑矢を射おこせければ、ある者ども、「こはいかに」と騒ぎけるほどに、雨の降るやうに射ければ、これら、しばしはこの方よりも射けれど、あなたには人の数多く、え射あふべくもなかりけるにや、火の行方(ゆくへ)も知らず、射散らされて逃て去(い)にけり。
その折、男一人出で来て、「いかに恐しく思し召しつらん。おのれは、その月のその日、からめられてまかりしを、御徳に許されて、よに嬉しく、『この御恩報ひ参らせばや』と思ひ候ひつるに、法師のことは悪しく仰せられたりとて、日ごろうかがひ参らせ候ひつるを見て候ふほどに、『告げ参らせばや』と思ひながら、『わが身、かくて候へば』と思ひ候ひつるほどに、あからさまに、きと立ち離れ参らせ候ひつるほどに、かく候ひつれば、築地を越えて出で候ひつるに合ひ参らせ候ひつれども、『そこにて取り参らせ候はば、殿も御疵(きず)などもや候はんずらん』と思ひて、ここにてかく射はらひて、取り参らせ候ひつるなり」とて、それより馬にかき乗せ申して、たしかにもとの所へ送り申してんげり。ほのぼのと明くるほどにぞ帰り給ひける。
年おとなになり給ひて、「かかることにこそあひたりしか」と、人に語り給ひけるなり。四条大納言2)のことと申すは、まことやらん。
翻刻
いまはむかし上達部のまた中将と申ける内へまいり給道に法師 をとらへていていきけるをこはなに法しそととはせけれは年 比仕はれて候主をころして候物なりといひけれは誠に罪をもき わさしたるものにこそ心うきわさしたる物かなとなにとなくうち いひて過給けるに此法師あかき眼なる目のゆゆしくあしけなるして にらみあけたりけれはよしなき事をもいひてけるかなとけう とくおほして過給けるに又男をからめていきけるをこはなに事 したる物そとこりすまに問けれは人の家に追入られて候つる男は 逃てまかりぬれはこれをとらへてまかるなりといひけれは別の事も なきものにこそとてそのとらへたる人をみしりたれはこひゆるして やり給大かた此心さまして人のかなしきめをみるにしたかひてたす/下63ウy380
け給ける人にてはしめの法師も事よろしくはこひゆるさんとて 問給けるに罪のことの外にをもけれはさの給けるを法師はやす からす思けるさて程なく大赦のありけれは法しもゆりにけりさて 月あかかりける夜みな人はまかてあるはねいりなとしけるを此中将 月にめててたたすみ給ける程にものの築地をこえておりけると み給ほとにうしろよりかきすくひて飛やうにして出ぬあきれ まとひていかにもおほしわかぬ程におそろしけなる物きつとひ てはるかなる山のけはしくおそろしき所へいていきて此木((傍注シバ)) のあみたるやうなる物をたかくつくりたるにさしをきてさかしら する人をはかくそするやすき事はひとへに罪をもくいひなして かなしきめみせしかはそのたうにあふりころさんするそとて火 を山のことく焼けれは夢なとをみる心ちしてわかくきひはなる程 にてはあり物おほえ給はすあつさはたたあつさに成てたたかた時に/下64オy381
しぬへきおほえ給けるに山のうへよりゆゆしきかふら矢を射お こせけれはあるものともこはいかにとさはきけるほとに雨のふるやうに 射けれはこれらしはしは此方よりも射けれとあなたには人の数 おほくえいあふへくもなかりけるにや火のゆくゑもしらすいちら されて逃ていにけりそのおり男ひとりいてきていかにおそろしく おほしめしつらんをのれはその月のその日からめられてまかりし を御とくにゆるされてよにうれしくこの御恩むくひまいらせはやと 思候つるに法師の事はあしく仰せられたりとて日比うかかひ まいらせ候つるをみて候程につけまいらせはやと思なから我身かく て候へはと思候つる程にあからさまにきと立はなれまいらせ候 つる程にかく候つれは築地をこえて出候つるにあひまいらせ候つ れともそこにてとりまいらせ候はは殿も御疵なともや候はんすらんと思てここにて かく射はらひて取まいらせ候つるなりとてそれより馬にかきのせ/下64ウy382
申てたしかにもとの所へをくり申てんけりほのほのと明る程に そ帰給ける年おとなになり給てかかる事にこそあひたりしかと 人にかたり給けるなり四条大納言の事と申はまことやらん/下65オy383