宇治拾遺物語
第124話(巻11・第1話)青常の事
青常事
青常の事
校訂本文
今は昔、村上1)の御時、古き宮の御子2)にて、左京大夫なる人3)おはしけり。長少し細高(ほそだか)にて、いみじうあてやかなる姿はしたれども、様体(やうだい)などもをこなりけり。かたくなはしきさまぞしたりける。頭の、鐙頭(あぶみがしら)なりければ、纓(ゑい)は背中にも付かず、離れてぞ振られける。色は花を塗りたるやうに青白にて、まかぶらくぼく、鼻鮮かに高く赤し。唇薄くて色もなく、笑めば歯がちなるものの、歯肉(はじし)赤くて、髭も赤くて長かりけり。声は鼻声にて高くて、もの言へばひとうち響きてぞ聞こえける。歩めば身を振り、尻を振りてぞ歩(あり)きける。色のせめて青かりければ、「青常(あをつね)の君4)」とぞ、殿上の公達は付けて笑ひける。
若き人達の、立ち居につけて、やすからず笑ひののしりければ、御門、聞こし召しあまりて、「この男(をのこ)どもの、これを笑ふ、便(びん)なきことなり。父の御子、『聞きて制せず』とて、われを恨みざらんや」など仰せられて、まめやかにさいなみ給へば、殿上の人々、舌鳴きをして、みな笑ふまじきよし言ひ合へりけり。
さて、言ひ合へるやう、「かくさいなめば、今より長く起請(きしやう)す。もし、かく起請して後、『青常の君』と呼びたらん者をば、酒、果物など取り出ださせて、贖(あか)ひせん」と言ひかためて、起請して後、いくばくもなくて、堀川殿5)の殿上人にておはしけるが、あぶなく立ちて行く後ろ手を見て、忘れて、「あの青常丸はいづち行くぞ」とのたまひてけり。殿上人ども、「かく起請を破りつるは、いと便なきことなり」とて、「言ひ定めたるやうに、すみやかに酒・果物取りにやりて、このこと贖へ」と集まりて、責めののしりければ、あらがひて「せじ」とすまひ給ひけれども、まめやかにまめやかに責めければ、「さらば、明後日(あさて)ばかり、青常の君の贖ひせん。殿上人・蔵人、その日集り給へ」と言ひて、出で給ひぬ。
その日になりて、「堀川中将の青常の君の贖ひをすべし」とて、参らぬ人なし。殿上人、居並びて待つほどに、堀川中将、直衣姿にて、形は光るやうなる人の、香はえもいはず香ばしくて、愛敬(あいぎやう)こぼれにこぼれて、参り給へり。直衣の長やかにめでたき裾(すそ)より、青き打ちたる出衵(いだしあこめ)して、指貫も青色の指貫を着たり。随身三人に、青き狩衣・袴着せて、一人には青く色どりたる折敷(おしき)に、青磁(あをじ)の皿に小桑(こくわ)を盛りてささげたり。今一人は、竹の枝に山鳩を四五ばかり付けて持たせたり。また一人には、青磁の瓶(かめ)に酒を入れて、青き薄様にて口を包みたり。殿上人の前に持ち続きて出でたれば、殿上人ども見て、もろ声に笑ひとよむこと、おびただし。
御門、聞かせ給ひて「何事ぞ。殿上におびただしく聞こゆるは」と問はせ給へば、女房、「兼通が青常呼びてさぶらへば、そのことによりて、男(をのこ)どもに責められて、その罪贖ひ候ふを、笑ひ候ふなり」と申しければ、「いかやうに贖ふぞ」とて、昼(ひ)のおましに出でさせ給ひて、小蔀(こじとみ)よりのぞかせ給ひければ、われよりはじめて、ひた青なる装束にて、青き食ひ物どもを持たせて贖ひければ、「これを笑ふなり」と御覧じて、え腹立たせ給はで、いみじう笑はせけり。
その後は、まめやかにさいなむ人もなかりければ、いよいよなん笑ひ嘲(あざけ)りける。
翻刻
今は昔村上の御時ふるき宮の御子にて左京大夫なる人おはし/下35ウy324
けり長すこしほそたかにていみしうあてやかなる姿はし たれともやうたいなともおこなりけりかたくなはしきさまそしたり ける頭のあふみかしらなりけれはゑいはせなかにもつかすはなれてそ ふられける色は花をぬりたるやうに青しろにてまかふらくほく鼻 あさやかにたかく赤しくちひるうすくて色もなくえめは歯かち なる物の歯肉あかくてひけもあかくて長かりけりこゑははな 声にてたかくて物いへは一うちひひきてそきこえけるあゆめは身 をふり尻をふりてそありきける色のせめて青かりけれはあを つねの君とそ殿上の公達はつけてわらひける若き人たちの立ゐに つけてやすからすわらひののしりけれは御門きこしめしあまりて 此おのことものこれをかくわらふひんなき事也父の御子ききて 制せすとて我を恨さらんやなと仰られてまめやかにさいなみ 給へは殿上の人々したなきをしてみなわらふましきよし/下36オy325
いひあへりけりさていひあへるやうかくさいなめはいまよりなかく 起請すもしかく起請してのちあをつねの君とよひたらん ものをは酒くた物なととりいたさせてあかひせんといひかためて 起請して後いくはくもなくて堀川殿の殿上人にておはしける かあふなくたちて行うしろてをみて忘てあの青つね丸はいつち 行そとの給てけり殿上人ともかく起請をやふりつるはいと ひんなき事也とていひさためたるやうにすみやかに酒くた物 とりにやりてこの事あかへとあつまりてせめののしりけれはあらかひ てせしとすまひ給けれともまめやかにまめやかにせめけれはさらはあさ てはかりあをつねの君のあかひせん殿上人蔵人その日あつまり 給へといひて出たまひぬその日になりて堀川中将の青つね の君のあかひをすへしとてまいらぬ人なし殿上人ゐならひて待 ほとに堀川中将直衣すかたにてかたちは光やうなる人の香は/下36ウy326
えもいはすかうはしくてあいきやうこほれにこほれて参り 給へり直衣のなかやかにめてたきすそより青き打たるいたし 衵して指貫も青色のさしぬきをきたり随身三人に青き 狩衣はかまきせてひとりにはあをく色とりたるおしきにあを しのさらにこくわをもりてささけたり今一人は竹の枝に山鳩を 四五斗つけてもたせたりまたひとりにはあをしのかめに酒を 入て青きうすやうにて口をつつみたり殿上人の前に持つつ きて出たれは殿上人ともみてもろこゑにわらひとよむ事をひ たたし御門きかせ給て何事そ殿上におひたたしくきこゆるはと とはせ給へは女房兼通か青つねよひてさふらへはその事によりて をのこともにせめられてその罪あかひ候を笑候なりと申 けれはいかやうにあかふそとてひのおましに出させ給てこし とみよりのそかせ給けれは我よりはしめてひたあをなる/下37オy327
装束にてあをきくひ物ともをもたせてあかひけれは これをわらふなりと御覧してえ腹たたせ給はていみしうわら はせけりそののちはまめやかにさいなむ人もなかりけれはいよ いよなん笑あさけりける/下37ウy328