宇治拾遺物語
第15話(巻1・第15話)大童子、鮭ぬすみたる事
大童子鮭ヌスミタル事
大童子、鮭ぬすみたる事
校訂本文
これも今は昔、越後国より、鮭を馬に負ほせて、二十駄ばかり、粟田口より京へ負ひ入りけり。
それに、粟田口の鍛冶が居たるほどに、頂(いただ)き禿げたる大童子の、まみしぐれて、ものむつかしう、うららかにも見えぬが、この鮭の馬の中に走り入りにけり。
道は狭(せば)くて、馬なにかとひしめきける間、この大童子、走り添ひて、鮭を二つ、引き抜きて、ふところへ引き入れてけり。
さて、さりげなくて走り先立ちけるを、この鮭に具したる男、見てけり。走り先き立ちて、童のたて首を取りて、引きとどめて言ふやう「わ先生(せんじやう)は、いかで、この鮭を盗むぞ」と言ひければ、大童子、「さることなし。何を証拠(せうこ)にて、かうはのたまふぞ。わぬしが取りて、この大童子におほするなり」と言ふ。かくひしめくほどに、上り下る者、市をなして、行きもやらで見あひたり。
さるほどに、この鮭の綱丁(かうちやう)、「まさしく、わ先生、取りてふところへ引き入れつ」と言ふ。大童子はまた、「わぬしこそ、盗みつれ」と言ふ時に、この鮭に付きたる男、「せんずる所、われも人も、ふところを見ん」と言ふ。大童子、「さまでやは、あるべき」など言ふほどに、この男、袴を脱ぎて、ふところを広げて「くわ、見給へ」と言ひて、ひしひしとす。
さて、この男、大童子につかみ付きて、「わ先生、はや、もの脱ぎ給へ」と言へば、童、「様悪(さまあ)しとよ。さまであるべきことか」と言ふを、この男、ただ脱がせに脱がせて、前を引き開けたるに、腰に鮭を二つ、腹にそへて差したり。
男、「くはくは」と言ひて引き出だしたりける時に、この童子うち見て「あはれ、勿体(もつたい)なきぬしかな。こがやうに裸になして、あさらんには、いかなる女御・后なりとも、腰に鮭の一・二尺なきやうはありなんや」と言ひたりければ、そこら立ち止まりて見ける者ども、一度に「はっ」と笑ひけるとか。
翻刻
これも今は昔越後国より鮭を馬におほせて廿駄斗粟田口 より京へをひ入けりそれに粟田口の鍛冶か居たる程にいたたき はけたる大童子のまみしくれてものむつかしううららかにもみえ ぬか此鮭の馬の中に走入にけりみちはせはくて馬なにかとひし めきける間此大童子走そひてさけを二引ぬきてふところへ ひきいれてけりさてさりけなくて走先立けるを此鮭に くしたる男みてけり走先立て童のたてくひを取て引 ととめていふやうわせんしやうはいかて此鮭をぬすむそといひ けれは大童子さる事なしなにをせうこにてかうはの給ふそわぬし か取て此大童子におほする也といふかくひしめく程にのほりくたるもの/16ウy36
市をなして行もやらて見あひたりさる程にこの鮭のかうちやう まさしくわせんしやうとりてふところへ引入つといふ大童子は又 わぬしこそぬすみつれといふ時に此鮭に付たる男せんする所 我も人もふところをみんといふ大童子さまてやはあるへきなと いふ程に此男袴をぬきてふところをひろけてくわみ給へと いひてひしひしとすさて此男大童子につかみつきてわせんしやう はや物ぬき給へといへは童さまあしとよさまてあるへき事 かといふをこの男たたぬかせにぬかせてまへを引あけたるに 腰にさけを二腹にそへてさしたり男くはくはといひて引出したりける 時に此童子うちみてあはれ勿体なきぬしかなこかやうにはたか になしてあさらんにはいかなる女御后なりともこしに鮭の一二尺なき やうはありなんやといひたりけれはそこら立とまりてみける物とも一度に はつとわらひけるとか/17オy37