宇治拾遺物語
第7話(巻1・第7話)竜門の聖、鹿に替らんと欲する事
龍門聖鹿ニ欲替事
竜門の聖、鹿に替らんと欲する事
校訂本文
大和国に、竜門といふ所に、聖ありけり。住みける所を名にて、竜門の聖とぞいひける。
その聖の親しく知りたりける男の、明け暮れ、鹿(しし)を殺しけるに、照射(ともし)といふことをしけるころ、いみじう暗かりける夜、照射に出でにけり。
鹿を求め歩(あり)くほどに、目を合はせたりければ、「鹿ありけり」とて、押し回し押し回しするに、確かに目を合はせたり。矢ごろに回せ寄りて、火串(ほぐし)に引きかけて、「矢をはげて射ん」とて、弓ふり立て見るに、この鹿の目の間(あひ)の、例の鹿の目のあはひよりも近くて、目の色も変りたりければ、「あやし」と思ひて、弓を引さして、よく見けるに、なほ怪しかりければ、矢を外して、火を取りて見るに、「鹿の目にはあらぬなりけり」と見て、「起きば、起きよ」と思ひて、近く回し寄せて、見れば、身は一条の革にてあり。
「なほ鹿なり」とて、また射んとするに、なほ、目のあらざりければ、ただうちにうち寄せて見るに、法師の頭(かしら)に見なしつ。
「こはいかに」と見て、降り走りて、火うちふきて、しひをりとて、見れば、この聖の、目うちたたきて、鹿の皮引きかづきて、そひ臥し給へり。「こはいかに、かくてはおはしますぞ」と言へば、ほろほろと泣きて、「わぬしが、制することを聞かず、いたくこの鹿を殺す。『われ、鹿に代りて殺されなば、さりとも、少しはとどまりなん』と思へば、かくて射られんとしておるなり。口惜う、射ざりつ」とのたまふに、この男、伏しまろび、泣きて、「かくまで思しけることを、あながちにし侍りけること」とて、そこにて刀を抜きて、弓うち切り、胡籙(やまぐひ)みな折り砕きて、髻(もとどり)切りて、やがて聖に具して、法師になりて、聖のおはしけるかぎり、聖に使はれて、聖失せ給ひければ、かはりて、また、そこにぞ行ひて居たりけるとなん。
翻刻
大和国に龍門といふ所に聖有けり住ける所を名にて龍門の 聖とそいひけるそのひしりのしたしくしりたりける男の明くれ ししをころしけるにともしといふ事をしける比いみしうくらかりける 夜照射に出にけり鹿をもとめありく程にめをあはせたりけれは ししありけりとてをしまはしをしまはしするにたしかに目をあはせたり 矢比にまはせよりてほくしに引かけて矢をはけていんとて弓ふり たてみるにこの鹿の目のあひのれいの鹿の目のあはひよりもちかくて 目の色もかはりたりけれはあやしと思て弓を引さしてよく/11ウy26
みけるに猶あやしかりけれは矢をはつして火をとりてみるに 鹿の目にはあらぬなりけりとみておきはおきよと思てちかく まはしよせてみれは身は一ちゃうの革にてありなを鹿なりとて 又いんとするに猶目のあらさりけれはたたうちにうちよせてみるに 法師のかしらにみなしつこはいかにとみており走て火うちふきて しひをりとてみれはこの聖の目うちたたきてししの皮引かつきて そひふし給へりこはいかにかくてはおはしますそといへはほろほろと なきてわぬしかせいする事をきかすいたくこの鹿をころす我 鹿にかはりてころされなはさりともすこしはととまりなんとおもへは かくていられんとしておる也口惜ういさりつとの給ふに此男ふし まろひなきてかくまておほしける事をあなかちにし侍ける事とて そこにて刀をぬきて弓うち切やなくひみなおりくたきて本鳥切て やかて聖にくして法師に成て聖のおはしけるかきり聖につかはれて聖/12オy27
うせ給けれはかはりて又そこにそおこなひてゐたりけるとなん/12ウy28