text:towazu:towazu5-28
とはずがたり
巻5 28 深草の御門は御隠れの後・・・
校訂本文
深草の御門1)は御隠れの後、かこつべき御事どもも跡絶え果てたる心地して侍りしに、去年(こぞ)の三月八日、人丸2)の御影供(みえいぐ)を勤めたりしに3)、今年の同じ月日、御幸に参り合ひたるも4)不思議に、見しむば玉の御面影も5)、うつつに思ひ合はせられて、「さても、宿願の行く末、いかがなり行かん」とおぼつかなく、「年月(としつき)の心の信(しん)もさすがむなしからずや」と思ひ続けて、身のありさまを一人思ひゐたるも飽かず思え侍る上、修行の心ざしも、西行が修行の式6)、うらやましく思えてこそ思ひ立ちしかば、その思ひをむなしくなさじばかりに、かやうのいたづらごとを続け置き侍るこそ、後の形見とまでは思え侍らぬ。
本云
ここよりまた刀して切られて候ふ。おぼつかなう、いかなることにかと思えて候ふ7)。
翻刻
深草の御かとは御かくれの後かこつへき御事とももあと たえはてたる心ちして侍しにこその三月八日人丸 の御影供をつとめたりしにことしのおなし月日御幸 にまいりあひたるもふしきにみしむは玉の御おも影も うつつにおもひあはせられてさてもしゆく願のゆく末 いかかなりゆかんとおほつかなくとし月の心のしんも さすかむなしからすやとおもひつつけて身のありさま をひとりおもひゐたるもあかすおほえ侍うへしゆ行の/s239l k5-63
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/239
心さしもさいきやうか修行のしきうら山しくおほえて社 おもひたちしかはそのおもひをむなしくなさしはかりにか様 のいたつらことをつつけをき侍こそのちのかたみとまて はおほえ侍ぬ 本云 ここより又かたなしてきられて候おほ つかなういかなることにかとおほえて候/s240r k5-64
text/towazu/towazu5-28.txt · 最終更新: 2019/11/16 17:09 by Satoshi Nakagawa