text:towazu:towazu5-16
とはずがたり
巻5 16 九月十五日より東山双林寺といふあたりにて懺法を始む・・・
校訂本文
九月十五日より東山(ひんがしやま)双林寺といふあたりにて懺法(せんぽう)を始む。さきの二十巻の大集経まで1)、折々も昔をしのび、今を恋ふる思ひ、忘れ参らせざりしに、今は一筋に、「過去聖霊成等正覚(くわこしやうりやうじやうとうしやうがく)」とのみ、寝ても覚めても申さるるこそ、宿縁もあはれに、われながら思え侍りしか。清水山2)の鹿の音は、わが身の友と聞きなされ、籬(まがき)の虫の声々は、涙言問ふと悲しくて、後夜の懺法に夜深く起きて侍れば、東より出づる月影の、西に傾(かたぶ)くほどになりにけり。寺々の後夜も行ひ果てにけると思ゆるに、双林寺の峰にただ一人行ひゐたる聖の念仏の声すごく聞こえて。
いかにして死出の山路を尋ね見むもし亡き魂(たま)の影やとまると
借り聖3)雇ひて、料紙・水迎へさせに横川へつかはすに、東坂本(ひんがしさかもと)へ行きて、われは日吉(ひよし)へ参りしかば、祖母(むば)にて侍りし者は、この御社にて神御をかうぶりけるとて、常に参りしに具せられて、4)
「いかなる人にか」など申されしを聞くにも、あはれは少からんや。深草の御墓5)へ奉納し奉らむも、人目あやしければ、ことさら御心ざし深かりし御事思ひ出でられて、春日の御社6)へ参りて、本宮の峰に納め奉りしにも、峰の鹿の音もことさら折知り顔に聞こえて侍りて、
峰の鹿野原の虫の声までも同じ涙の友とこそ聞け
翻刻
九月十五日よりひんかし山さうりんしといふあたりにてせむ ほうをはしむさきの廿巻の大集経まて/s226l k5-37
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/226
おりおりもむかしをしのひいまを恋るおもひわすれまいらせ さりしにいまはひとすちにくわこしやうりやうしやうとう正 覚とのみねてもさめても申さるるこそしゆくえんもあはれ にわれなからおほえ侍しか清水山のしかのねはわか身の ともとききなされまかきのむしの声々は涙こととふとかな しくて後夜のせんほうによふかくおきて侍れは東より いつる月影のにしにかたふくほとに成にけりてらてらの後 夜もおこなひはてにけるとおほゆるにさうりん寺のみね にたたひとりおこなひゐたるひしりのねん仏のこゑ すこくきこえて いかにしてしての山路を尋みむもしなきたまのかけやとまると/s227r k5-38
か(本)りひしりやとひてれうし水むかへさせによかはへつかはすに ひんかし坂本へゆきて我は日よしへまいりしかはむはにて 侍しものはこの御社にて神御をかうふりけるとてつねに まいりしにくせられて(ここより又かたなにてきり/てとられ候返々おほつかなし)いかなる人にか なと申されしをきくにもあはれはすくなからんや深草の 御はかへほうなうしたてまつらむも人めあやしけれは ことさら御心さしふかかりし御事おもひいてられて春日の 御社へまいりて本宮のみねにおさめたてまつりしにも嶺 のしかのねもことさらおりしりかほにきこえ侍て みねの鹿野原のむしの声まてもおなし涙の友とこそきけ/s227l k5-39
text/towazu/towazu5-16.txt · 最終更新: 2019/11/05 17:51 by Satoshi Nakagawa