とはずがたり
巻4 24 さても都にとどまるべきならねば去年思ひ立ちし宿願も果たしやすると・・・
校訂本文
さても都にとどまるべきならねば、「去年(こぞ)思ひ立ちし宿願も果たしやする1)」と、こころみにまた熱田の宮2)へ参りつつ、通夜をしたりし夜中ばかりに、御殿の上に火燃え上がりたり。宮人、騒ぎののしるさま、推し量るべし。神火なれば、凡夫(ほんぶ)の消つべきことならざりけるにや、時のほどにむなしき煙(けぶり)と立ち上り給ふに、明け行けば、「むなしき灰を造り返し参らせん」とて、匠(たくみ)ども参る。
大宮司、祝詞(のと)の師など申す者どもまはりたるに、開けずの御殿とて、神代の昔、みづから造り籠り給ひける御殿の礎(いしずゑ)のそばに、大物(だいもつ)どもなほ燃ゆる炎のそばなる礎にある漆なる箱の、表一尺ばかり、長さ四尺ばかりなる、添へ立ちたり。みな人、不思議の思ひをなして見参らするに、祝詞の師といふは神にことさら御むつまじく宮仕ふ者なりといふが参りて、取り上げ奉りて、そばを3)ちと開け参らせて、見参らするに、「赤地(あかぢ)の錦の袋に入らせ給ひたりと思ゆるは、御剣(つるぎ)なるらむ」と申して、八剣宮(やつるぎのみや)の御社を開きて、納め奉る。
さても不思議なりしことには、この御神は景行天皇即位(しよくゐ)十年生まれましましけるに、東(あづま)の夷(えびす)を降伏(がうぶく)のために、勅を承りて下り給ひけるに、伊勢大神宮4)にまかり申しに参り給ひけるに、『前(さき)の生まれ、素盞嗚尊(そさのをのみこと)たりし時、出雲の国にて八岐大蛇の尾の中より取り出でて、われに与へし剣(つるぎ)なり。錦5)の袋あり。これを敵(かたき)のために攻められて、命限りと思はん折、開けて見るべし』とて賜ひしを、駿河国御狩野(みかりの)にして、野火の難にあふ時に、はき給ふ剣おのれと抜けて、御あたりの草を切り捨つ。その折、錦の袋なる火打ちにて、火を打ち出で給ひしかば、炎、仇(あた)6)の顔へ7)覆ひ、眼(まなこ)を暗(くら)かして、ここにて滅びぬ。そのゆゑ、この野を焼津野(やきつの)とも言ひき。御剣をば草薙剣(くさなぎのつるぎ)と申すなり」といふ御記文(きもん)の焼け残り給ひたるを、ちと聞き参らせしこそ、見しむばたまの夢の言葉思ひ合はせられて、不思議にも貴くも覚え侍りしか。
翻刻
ぬる心ちして返ぬさても都にととまるへきならねはこそおもひ たちししゆくくはんをもはたしやすると心みに又あつたの宮へ まいりつつつ夜をしたりし夜中はかりに御てんのうへにひもへ あかりたり宮人さはきののしるさまをしはかるへし神火なれ はほんふのけつへきことならさりけるにや時のほとにむなしき/s190r k4-48
けふりとたちのほり給にあけゆけはむなしきはいをつくり かへしまいらせんとてたくみともまいる大宮司のとの師なと申 物ともまはりたるにあけすの御殿とて神代のむかし身つから つくりこもり給ける御殿のいしすゑのそはに大もつともなを もゆるほのをのそはなるいしすへにあるうるしなるはこのお もて一尺はかりなかさ四しゃくはかりなるそへたちたりみな人 ふしきのおもひをなして見まいらするにのとの師といふは神 にことさら御むつましくみやつかふ物なりといふかまいりてとり あけたてまつりてういをちとあけまいらせて見まいらするに あかちのにしきのふくろにいらせ給たりとおほゆるは御つるき なるらむと申て八けん宮の御やしろをひらきておさめたてま/s190l k4-49
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/190
つるさてもふしきなりしことにはこの御神はけいかう天王しよく位十 年むまれましましけるにあつまのゑひすをかうふくのために ちよくをうけたまはりてくたり給けるに伊勢大神宮にまかり 申にまいり給けるにさきのむまれそさのをのみことたりし時 いつものくににて八またのをろちのおのなかよりとりいてて我に あたへしつるきなりふしきのふくろありこれをかたきの ためにせめられていのちかきりとおもはんをりあけてみるへし とて給しをするかのくにみかりのにして野火のなんにあふ時に はき給つるきをのれとぬけて御あたりのくさをきりす つそのをりにしきのふくろなる火うちにて火をうちいて給 しかはほのをあさのかなへををいまなこをくらかしてここにてほ/s191r k4-50
ろひぬそのゆへこののをやきつのともいひき御つるきをはくさ なきのつるきと申なりといふ御きもんのやけのこり給たるをち とききまいらせしこそ見しむはたまのゆめのこと葉おもひあはせ られてふしきにもたうとくもおほえ侍しかかかるさはきの/s191l k4-51