とはずがたり
巻2 31 八月のころにや近衛大殿御参りあり・・・
校訂本文
八月のころにや、近衛大殿1)、御参りあり。後嵯峨の院2)御隠れの折、「かまへて御覧じ育み参らせられよ」と申されたりけるとて、つねに御参りもあり。
また、もてもなし参らせられしほどに、常の御所にて、内々(うちうち)九献(くこん)など参り候ふほどに、御覧じて、「いかに行方(ゆくゑ)なく聞きしに3)、いかなる山にこもりゐてけるぞ」と申さる。「おほかた、方士が術ならでは尋ね出でがたく候ひしを、蓬莱の山にてこそ」など仰せありしついでに、「地体(ぢたい)、兵部卿4)が老いの僻み、ことのほかに候ふ。隆顕5)が籠居もあさましきこと。『いかにかかる御政(まつりごと)も候ふやらん』と思え候ふ。さても、琵琶は捨て果てられて候ひけるか」と仰せられしかども、ことさらものも申さで候ひしかば、「身一代ならず子孫までと、深く八幡宮に誓ひ申して候ふなる」と、御所に仰せられしかば、「無下に若きほとにて候ふに、苦々しく思ひ切られ候ひける。地体、あの家6)の人々は、なのめならず家を重くせられ候ふ。経任7)、大納言申し置きたる子細などぞ候ふらん。村上天皇より家久しくして廃れぬは、ただ久我ばかりににて候ふ8)。あの傅(めのと)仲綱9)は、久我重代の家人(けにん)にて候ふを、岡の屋の殿下10)、不憫に思はるる子細候ひて、『兼参(げざん)せよ』と候ひけるに、『久我の家人なり。いかがあるべき』と申して候ひけるには、『久我大臣家は、諸家には準ずべからざれば、兼参子細あるまじ』とみづからの文にて仰せられ候ひけるなど、申し伝へ候ふ。隆親の卿、『女(むすめ)、叔母なれば上にこそ』と申し候ひけるやうも、けしからず候ひつる。前(さき)の関白11)、新院12)へ参られて候ひけるに、やや久しく御物語ども候ひけるついでに、『傾城の能には、歌ほどのことなし。かかる苦々しかりし中にも、この歌13)こそ耳に留まりしか。梁園八代の古風と言ひながら、いまだ若きほどに、ありがたき心遣ひなり。仲頼14)と申して、この御所に候ふは、その人が家人なるが、行方なしとて、山々寺々尋ね歩(あり)くと聞きしかば、いかなる方に聞きなさむと、われさへしづ心なくこそ』など御物語候ひけるよし、承りき」など、申させ給ひき。
翻刻
おそろしき八月のころにや近衛大殿御まいりあり後さか の院御かくれのおりかまへて御覧しはくくみまいらせられ よと申されたりけるとてつねに御まいりもあり又もてもなし まいらせられしほとにつねの御所にてうちうち九こんなとま いり候ほとに御らんしていかに行ゑなくきはしにいかなる 山にこもりゐてけるそと申さる大かたはうしかしゆつ ならてはたつねいてかたく候しをほうらいの山にてこそな とおほせ有しつゐてにちたい兵部卿かおいのひかみ事 の外に候たかあきかろうきよもあさましき事いかに かかる御まつりことも候やらんと覚候さてもひわは/s101l k2-73
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/101
すてはてられて候けるかとおほせられしかともことさらもの も申さて候しかは身一代ならすしそんまてとふかく八まん 宮にちかひ申て候なると御所におほせられしかはむけに わかきほとにて候ににかにかしくおもひきられ候けるちたい あのいゑの人々はなのめならすいゑをおもくせられ候経任大 納言申をきたるしさゐなとそ候覧村上天皇よりいゑ久 しくしてすたれぬはたた久我はかりにもれ候あのめのとな かつなは久我ちうたいの家人にて候を岡のやの殿下ふひ むにおもはるるしさい候てけさんせよと候けるに久我の家 人なりいかか有へきと申て候けるには久我大臣家はしよ家には しゆむすへからされはけさんしさい有ましと身つからのふみにて/s102r k2-74
仰せられ候けるなと申つたへ候たかちかの卿むすめおはなれは うへにこそと申候けるやうもけしからす候つるさきの関白新 院へまいられて候けるにやや久しく御物かたりとも候けるつ いてにけいせいののうにはうたほとの事なしかかるにかにか しかりし中にもこの哥こそみみにととまりしかりやうえん 八代の古風といひなからいまたわかきほとにありかたき心 つかひなり仲よりと申てこの御所に候はその人か家人 なるかゆくゑなしとて山々寺々たつねありくとききし かはいかなるかたにききなさむとわれさへしつこころなく こそなと御物かたり候けるよしうけたまはりきなと 申させ給きさても中納言中将いまやうきりやうに侍る/s102l k2-75