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text:towazu:towazu1-38

とはずがたり

巻1 38 兵部卿の沙汰にて装束などいふもただ例の正体なきことなるにも・・・

校訂本文

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兵部卿1)の沙汰にて装束などいふも、ただ例の正体なきことなるにも、よろづ見後ろまるるは、嬉しとも言ふべきにやなれども、露消え果て給ひしおんことの後は、人の咎(とが)、身の誤りも心憂く、何心なくうち笑み給ひし御面影の、違(たが)ふ所なくおはせしを、忍びつつ出で給ひて、『「いとこそ鏡の影に違はざりけれ」など、申し承りしものを」など思ゆるより、悲しきことのみ思ひ続けられて、慰むかたなくて、明け暮れ侍りしほどに、女院2)の御方ざまは、何とやらん、犯せる罪はそれとなければ3)、さしてその節といふことはなけれども、御入り立ちも放たれ、御簡(ふだ)も削られなどしぬれば、いとど世の中も物憂けれども、この御方ざまは、「さればとて、われさへは」など言ふ御ことにてはあれども、とにかくにわづらはしきことあるも、あぢきなきやうにて、よろづのことには引き入りがちにのみなりながら、さる方に、この御方ざまには、なかなかあはれなることに思し召されたるに命をかけて、立ち出でて侍るに、まことや、斎宮(さいくう)4)は後嵯峨院の姫宮にてものし給ひしが、御服(ぶく)にて下り給ひながら、なほ御暇を許され奉り給はで、伊勢に三年(みとせ)まて御渡りありしが、この秋のころにや、御上りありし後は、仁和寺に衣笠といふわありに住み給ひしかば、故大納言5)、さるべきゆかりおはしまししほどに、つかうまつりつつ、御裳濯川(みもすそがは)の御下りをも、ことに取り沙汰し参らせなどせしもなつかしく、人目まれなる御住まひも、何となくあはれなるやうに覚えさせおはしまして、常に参りて、御つれづれもなぐさめ奉りなどせしほどに、十一月の十日あまりにや、大宮院に御対面のために、嵯峨へ入らせ給ふべきに、「われ一人は、あまりにあいなく侍るべきに、御渡りあれかし」と東二条へ申されたりしかば、御政務のこと、御立ちのひしめきの ころは、女院の御方ざまもうちとけ申さるることもなかりしを、このごろは常に申させおはしましなどするに、「また、とかく申されんも」とて、入らせ給ふに、「あの御方ざまも、御入り立ちなれば」とて、一人、御車の後(しり)に参る。枯れ野の三衣(みつぎぬ)に紅梅の薄衣(うすぎぬ)を襲(かさ)ぬ。春宮に立たせ給ひて後は、みな唐衣(からぎぬ)を襲ねしほどに、赤色6)の唐衣をぞ襲ねて侍りし。台所も渡されず、ただ一人参り侍りき。

女院の御方へ入らせおはしまして、のどかに御物語ありしついでに、「あのあが子が幼なくより生(お)ほし立てて候ふほどに、さるかたに宮仕ひも、もの慣れたるさまなるにつきて、具し歩(あり)き侍るに、あらぬさまに取りなして、女院の御方ざまにも御簡(ふだ)削られなどして侍れども、我さへ捨つべきやうもなく、故典侍大(こすけだい)7)と申し、雅忠8)と申し、心ざし9)深く候ひし10)。『形見にも』、など申置きしほどに」など申されしかば、「まことに、いかが御覧じ放ち候ふべき。宮仕ひは、またし慣れたる人こそ、しばしも候はぬは、たよりなきことにてこそ」など申させ給ひて、「何事も心置かず、われにこそ」など、情けあるさまに承るも、「いつまで草の」とのみ思ゆ。

今宵はのどかに御物語などありて、供御も女院の御方にて参りて、更けて、「御休みあるべし」とて、かかりの御壺の方に入らせおはしましたれども、人もなし。西園寺の大納言11)、善勝寺の大納言12)、長相(ながすけ)13)・為方(ためかた)14)・兼行(かねゆき)15)・資行(すけゆき)16)なとぞ侍りける。

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めしあれはさすかにすてはてぬ世なれはまいりぬ兵部卿のさた
にてしやうそくなといふもたたれいの正たいなき事なるにも万
見うしろまるるはうれしともいふへきにやなれともつゆ
きえはて給し御事ののちは人のとか身のあやまりも
心うくなに心なくうちゑみ給し御面影のたかふ所なくお
はせしを忍つつ出給ていとこそかかみのかけにたかはさり
けれなと申うけ給し物をなとおほゆるよりかなしき事
のみ思つつけられてなくさむかたなくてあけくれ侍し程に/s49r k1-88
女院の御方さまはなにとやらんをかせるつみはそれとな
けれはさしてそのふしといふ事はなけれとも御いりたち
もはなたれ御ふたもけつられなとしぬれはいとと世中も
物うけれともこの御かたさまはされはとて我さへはなと
いふ御事にてはあれともとにかくにわつらはしき事
あるもあちきなきやうにてよろつの事にはひき入かちに
のみなりなからさるかたにこの御かたさまには中々あはれ
なることにおほしめされたるにいのちをかけてたちいてて
侍にまことや斎宮は後嵯峨院の姫宮にて物し給し
か御ふくにてをり給なから猶御いとまをゆるされたてま
つり給はていせに三とせまて御わたりありしかこの秋の比/s49l k1-89

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/49

にや御のほりありしのちは仁和寺にきぬかさといふわ
ありにすみ給しかは故大納言さるへきゆかりおはしましし
程につかうまつりつつみもすそ河の御くたりをもことに
とりさたしまいらせなとせしもなつかしく人めまれな
る御すまゐもなにとなくあはれなるやうにおほえ
させおはしましてつねにまいりて御つれつれもなくさめ
たてまつりなとせし程に十一月の十日あまりにや大宮
院に御たいめむのためにさかへいらせ給へきに我ひとりは
あまりにあいなく侍へきに御わたりあれかしと東二条へ
申されたりしかは御せいむの事御たちのひしめきの
ころは女院の御かたさまもうちとけ申さるる事もな/s50r k1-90
かりしをこのころはつねに申させおはしましなとするに
又とかく申されんもとていらせ給にあの御かたさまも御
いりたちなれはとて一人御くるまのしりにまいるかれ野の
三きぬにこうはいのうすきぬをかさぬ春宮にたたせ給て
のちはみなからきぬをかさねし程にある(か歟)色のからきぬをそ
かさねて侍したい所もわたされすたたひとりまいり
侍き女院の御かたへいらせおはしましてのとかに御物かたり
ありしつゐてにあのあかこかおさなくよりおほしたてて
候ほとにさるかたに宮つかひも物なれたるさまなるに
つきてくしありき侍にあらぬさまにとりなして
女院の御かたさまにも御ふたけつられなとして侍れとも/s50l k1-91

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/50

我さへすつへきやうもなくこすけたいと申し雅忠と申
心う(さ歟)しふかくはしかたみにもなと申をきし程になと
申されしかはまことにいかか御らむしはなち候へき宮つか
ひはまたしなれたる人こそしはしも候はぬはたよりなき
事にてこそなと申させ給てなに事も心をかす我に
こそなとなさけあるさまにうけ給もいつまて草のと
のみおほゆこよひはのとかに御物かたりなとありてく御も
女院の御かたにてまいりてふけて御やすみあるへし
とてかかりの御つほのかたにいらせおはしましたれ
とも人もなしさいをむしの大納言せむせうしの大納言
なかすけためかたかね行すけ行なとそ侍ける明ぬれは/s51r k1-92

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/51

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1)
四条隆親
2)
東二条院・後深草院中宮西園寺公子
3)
『源氏物語』須磨「八百万神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ」
4)
愷子内親王
5)
父、久我雅忠
6)
「赤色」は底本「ある(か歟)色」。「る」に「か歟」と傍書。
7)
作者母
8)
作者父・久我雅忠
9)
「心ざし」は底本「心う(さ歟)し」。「う」に「さ歟」と傍書。
10)
「候ひし」は底本「はし」
11)
西園寺実兼
12)
四条隆顕
13)
持明院長相
14)
中御門為方
15)
楊梅兼行
16)
山科資行
text/towazu/towazu1-38.txt · 最終更新: 2019/09/03 15:11 by Satoshi Nakagawa