沙石集
巻9第7話(116) 迎講の事
校訂本文
丹後国普甲寺といふ所に、昔、上人ありけり。極楽の往生を願ひて、万事を捨て、臨終正念のことを思ひ、聖衆来迎の儀を願ひけるあまり、せめても心ざしの切なるまま、「世間の人は正月の初めは思ひ願ふことを祝ひ事にする習ひなれば、われも祝ひ事せん」と思ひて、大晦日(おほつごもり)の夜、一人使ふ小法師に、状を書きて取らせけり。「この状をもつて、朝(あした)元日に門を叩きて、『物申さん』と言へ。『いづくより』と問へば、『極楽より、阿弥陀仏の御使なり。御文あり』とて、この状をわれに与へよ」と言ひて、御堂へやりぬ。
教へのごとくに言ひて、門を叩きて、約束のごとく問答す。この状を急ぎ慌て騒ぎ、裸足にて出でて取りて、頂戴して読みけり。「娑婆世界は衆苦充満の国なり。早く厭離して、念仏修善勤行して、わが国に来たるべし。われ、聖衆とともに来迎すべし」と読みつつ、さめほろと泣き泣きすること、毎年怠らず。
その国の国司下りて、国のこと物語しけるついでに、かかる上人あるよし、人、申しけるを、国司、聞きて随喜し、上人に対面して、「何事にても仰せを承りて、結縁申さん」と申されけれども、「遁世の身にて侍り。別の所望なし」と返事有りけれども、「ことこそ変れども、人の身には必ず要なること侍り」と、しひて申しければ、「迎講(むかへこう)と名付けて、聖衆の来迎の荘をして、心をもなぐさめ、臨終の馴らしにもせばやと思ふこと侍り」と申しければ、仏菩薩の装束、上人の所望にしたがひて、調(てう)じて送りける。
さて、聖衆来迎の儀式、年久しくならして、思ひのごとく、臨終もまことに聖衆の来迎にあづかりて、めでたく往生の本意とげてけり。これを迎講の始めと言へり。
天の橋立に始めたりとも言へり。また、慧心の僧都1)の脇息の上にて、箸を折りて、「仏の来迎」とて引き寄せ引き寄せして、案じ始め給へりといふ説も侍り。
まことに、ものにすき、その道を好まん人は、寤寐にそのことに心を染むべし。「習ひ先よりあらずは、懐念いづくんぞ存ぜん」と言へり。よくよく思ひ染み馴らすべきは、臨終正念の大事なり。かへすがへすも、思ひ捨てうとむべきは、無始輪廻の執着なり。
しかるに、世の人、往生を願ふやうなれども、朝夕にし馴れ、思ひ染むことは、たた流転生死の妄業なり。正念分明なる時、思ひ染まずは、病患苦痛の時、余念なく、臨終おだしからんこと難(かた)かるべし。かの上人の風情、うらやみたふべきをや。
世間の習ひ、今生の身命を重くし、栄花富貴のみ心に願はしきままに、正月はことによしなきそらごとども取り集めて、今生の祝ひ事をのみしあへり。去年一昨年(こぞをととし)も祝ひしかども、まさり顔なきに懲りずして、年ごとに祝ひあへり。さるほどに、死といふこと、恐しく忌しきゆゑに、文字の音の通へるばかりにて、四ある物を忌みて、酒を飲むも三度・五度のみ、よろづの物の数も四を忌しく思ひなれたり。
それほどに四の文字の音だにも忌しき心に、正月はことに恐るべき死せる魚鳥を家の内に取り入れて、切り盛り煎り焼くは、ただ人畜に異なれども、死の形同じければ、葬送の儀なるべし。経には、肉を食する口をば、「死に屍(かばね)を捨つる塚なり」と言へり。などかこれを忌まざるべき。
精進潔斎し、戒を持(たも)ち、仏に仕へんこそ、寿命福徳もめでたかるべけれ。正月にはもつともこれを行ずべし。世間の人の物祝ひ、かへすがへす道理なく侍り。欲しからぬ物をば、「死人の具足」とていとひ、大切なる所領・財宝は、死人の跡なれども、これを取らんと論じ争ふ。人を忌むも、気色悪(わろ)き者をばついでに久しく忌み、切り者なんどはさしも忌まぬことなり。かくのみ顛倒の心にて、世間の浅き道理をだに知らず、深き仏法の義理、まことに悟りがたし。愚かなる凡夫の習ひかな。
本覚仏性、内にあり。世間出世の道理、知識の縁にあひて、これを悟り知り、常住の妙道に帰して、顛倒の邪執を捨つべきなり。
翻刻
迎講事 丹後国普甲寺ト云所ニ昔上人有ケリ極楽ノ往生ヲ願テ 万事ヲ捨テ臨終正念ノコトヲ思ヒ聖衆来迎ノ儀ヲ願ヒケ ルアマリセメテモ心サシノ切ナルママ世間ノ人ハ正月ノ初ハ/k9-349l
思ヒ願フコトヲ祝事ニスル習ナレハ我モ祝ヒ事セント思テ大 晦日ノ夜一人ツカフ小法師ニ状ヲ書テトラセケリ此状ヲ以 朝タ元日ニ門ヲタタキテ物申サントイヘ何クヨリト問ハ極楽 ヨリ阿弥陀仏ノ御使也御文アリトテ此状ヲ我ニアタヘヨト 云テ御堂ヘヤリヌ教ノ如クニ云テ門ヲタタキテ約束ノ如ク問 答ス此状ヲ急キアハテサハキハタシニテ出テ取テ頂戴シテヨミケ リ娑婆世界ハ衆苦充満ノ国也ハヤク厭離シテ念仏修善勤 行シテ我国ニ来ルヘシ我聖衆ト共ニ来迎スヘシトヨミツツサメ ホロトナキナキスルコト毎年ヲコタラス其国ノ国司下リテ国ノ 事物語シケル次ニカカル上人有ヨシ人申ケルヲ国司聞テ随 喜シ上人ニ対面シテナニ事ニテモ仰ヲ承テ結縁申サント申サ レケレトモ遁世ノ身ニテ侍リ別ノ所望ナシト返事有リケレト/k9-350r
モ事コソカハレトモ人ノ身ニハ必ス要ナル事侍トシヰテ申ケレ ハ迎講トナツケテ聖衆ノ来迎ノ荘ヲシテココロヲモナクサメ臨 終ノナラシニモセハヤト思事侍ト申ケレハ仏菩薩ノ装束上 人ノ所望ニ随テ調シテ送ケルサテ聖衆来迎ノ儀式年久クナ ラシテ思ノ如ク臨終モ誠ニ聖衆ノ来迎ニアツカリテ目出ク往 生ノ本意トケテケリ此ヲ迎講ノ始トイヘリアマノハシタテニハ シメタリトモイヘリ又慧心ノ僧都ノ脇息ノ上ニテ箸ヲオリテ 仏ノ来迎トテ引ヨセ引ヨセシテ案シ始メ給ヘリト云説モ侍リ実ニ 物ニスキ其道ヲコノマン人ハ窹𥧌ニ其事ニ心ヲソムヘシ習サ キヨリアラスハ懐念イツクンソ存セントイヘリ能々思ソミナラ スヘキハ臨終正念ノ大事也返々モ思ステウトムヘキハ無始 輪廻ノ執著ナリ然ニ世ノ人往生ヲ願フヤウナレトモ朝夕ニ/k9-350l
シナレ思ソム事ハタタ流転生死ノ妄業ナリ正念分明ナル時 思ソマスハ病患苦痛ノ時餘念ナク臨終オタシカラン事難カ ルヘシ彼上人ノ風情ウラヤミタウヘキヲヤ世間ノ習今生ノ身 命ヲ重クシ栄花冨貴ノミ心ニネカハシキママニ正月ハ殊ニヨ シナキソラ事共取集メテ今生ノ祝ヒ事ヲノミシアヘリ去年ヲ トトシモ祝ヒシカトモマサリカホナキニコリスシテ年毎ニイハヒアヘ リサル程ニ死トイフ事ヲソロシクイマハシキ故ニ文字ノ音ノカ ヨヘルハカリニテ四アル物ヲイミテ酒ヲノムモ三度五度ノミヨ ロツノ物ノ数モ四ヲイマハシク思ヒナレタリソレホトニ四ノ文 字ノ音タニモイマハシキ心ニ正月ハ殊ニ恐ルヘキ死セル魚鳥 ヲ家ノ内ニ取入テキリモリイリヤクハタタ人畜ニコトナレトモ 死ノ形同ケレハ葬送ノ儀ナルヘシ経ニハ肉ヲ食スル口ヲハシ/k9-351r
ニカハネヲ捨ル塚也トイヘリナトカコレヲイマサルヘキ精進潔 斎シ戒ヲ持チ仏ニツカヘンコソ寿命福徳モ目出タカルヘケレ 正月ニハ尤此ヲ行スヘシ世間ノ人ノ物祝返々道理ナク 侍リホシカラヌ物ヲハ死人ノ具足トテイトヒ大切ナル所領 財宝ハ死人ノ跡ナレトモ此ヲトラント論シ争人ヲイムモ気 色ワロキ者ヲハツヰテニ久クイミキリ者ナントハサシモイマヌ事 也カクノミ顛倒ノ心ニテ世間ノアサキ道理ヲタニシラスフカキ 仏法ノ義理誠ニサトリカタシヲロカナル凡夫ノ習哉本覚仏 性内ニ有世間出世之道理知識ノ縁ニ値テ是ヲサトリシリ 常住ノ妙道ニ帰シテ顛倒ノ邪執ヲスツヘキ也/k9-351l