沙石集
巻9第6話(115) 証月房上人の遁世の事
校訂本文
松の尾の証月房の上人1)は三井の流を受けて、三密の行たけく、道心ある人と聞こえて、遁世の初めのことを人の語りしは、「人間に長らへてもよしなし。如説修行(によせつしゆぎやう)して臨終せん」と思ひ立ちて、ただ一人、松の尾の奥に人にも知られずして、七日が時料を用意して、仮に庵を結びて修行せられけり。七日の食(じき)尽きて、「芋の茎の干(ひ)たるを水に入れて、柔らかになして食ひて、今日の命を延べん」と思はれけるほどに、薪取る山人見あひて、その日の食は供養してけり。また芋の茎をば干して置きて、次の日、水に入れて食にあてがへば、また山人見付けて供養しけり。その後、連々(つれづれ)人見あひて時料送りければ、つひに芋の茎を用ゐずして、食物あひついで行はれけり。
三宝の冥助、諸天の守護のゆゑにや、次第に寺となりて、如法に勤行年積みて、臨終めでたくして終られにけりと聞こゆ2)。末代にはありがたきことなり。
真実に仏道に身を入れて、如説に修行せん人、衣食の二事、欠くべからず。比良の山の真知房と聞こえし上人も、止観修行のため、二十日彼時料用意して、比良の山へ入りて修行せられけるにも、山人見あひて供養しけると聞こえ、年久しく行はれけり。
山野の獣、江海の鱗(いろくづ)、十悪の業によりて、つたなき報ひなるすら、衣食住処おのづからそなへたり。毛を被、鱗を着たり。穴に住み、水に泳ぐ。分々の身を助くる果報あり。いはんや、五戒十善の因縁によりて、人間に生まれたり。衣食住所おのづからあるべし。業報をわきまへ、天運に任せて、夢の世を渡り、仮の身を助けて憂へ歎かずは、身も心もやすかるべし。愚かにして過分の振舞ひ、おほけなき果報を望み、名聞利養の心をほしいままにするほどに、不足にのみ覚ゆるなるべし。「欲に頂(いただき)なし」とて、欲心はその極まることを知らず。
頂生王(ちやうしやうわう)は南州の王なり。不足に思ひて四州を打ち取る。なほ不足に思ひて、四天王を打ちぬ。忉利天を打ち取らんとして、果報尽きて、堕ちて死ににけり。されば、身の分を知て振舞ふべし。
南都の故一乗院3)へ、故光明院の僧正4)参ぜられたりける時、御物語に、「人貧しきは心と貧しきなり」と仰せらる。光明院、申されけるは、「誰か貧しからんと思ひ候ふべき。人ごとに富み栄へんとこそ思へども、貧しきは常の習ひなり」と申さる。一乗院の仰せられけるは、「まことに貧しからんとは思はねども、心の企て愚かにして、過分の振舞ひするこそ、心と貧しきにて侍れ。わが分斉(ぶんざい)を知りて、その果報のほどに振舞はば、こと欠くべからず。十人かへりみるほどの人も、二・三十人をかへりみ、出仕の供にも二・三人具すべき人、五人十人具し過分に出で立つ。衣食什物をも、果報に過ぎて用ひんとすれば不足なり」と仰せられければ、「さては覚遍なんどが公請(くじやう)勤めんは、とざまなる疲駄に乗りて、檜笠なんど着て、出仕もすべくや」と申されければ、「やがてさだにもおはさば、よも御不足あらじ」とのたまひけり。
故金剛王院の僧正5)、公請勤められける時、僧正の牛飼、御室(おむろ)の御車と車立論(くるまたてろん)して、御室の御車を散々としたりけるを、房官侍(ばうくわんさぶらひ)、牛飼を制しかねて、僧正に、「しかじか」と申しければ、「某丸(それがしまろ)が申す、僻事(ひがごと)はなし。子細を知りてこそ申せ。東寺の一の長者の上に居る僧なし。御室は上郎はさる御ことなれども、遁世門の御振舞ひにて、御室に引き籠りて、昔より御室と申す。しかれども、世にしたがふことなれば制せよ」とぞ下知せられける。
故法性寺の禅定殿下、御物語ありける折節にて申されけるは、「実賢なんどが車に乗りて出仕つかまつるも、おほかたあるまじきことなり。されども、近代は昔の儀を振舞ふは狂ぜるやうに侍れば、世にしたがひてこそ振舞ひ候へ。醍醐の尊師6)、僧正になり給ひて、悦び申し給ひけるには、『雨の降りたりける日、蓑笠着て参内して、蓑笠をば紫宸殿の高欄にかけられたりけり。伴(とも)には般若寺の観賢僧正一人、履物持ちておはしけり。御門も敬ひ給ひて、『観賢は法器の者なり。不便にし給へ』と仰せられける。古き日記なり。かくこそ、上代は名聞の心なくして、徳をもつて公家に仕はれしに、今はよろづすたれたる」よし、僧正申されければ、禅定殿下も感じ仰せられけり。
上代の僧の官途は、上より賞し給ふを、名聞にあらず、ただ法をあがむるしるしなり。近代は、望みて官を求めむさぼりて、禄を思ふ。釈門の風すたれ、道人の儀欠けたるゆゑなり。
都率の僧都覚超は、天台の密宗の先達なり。行徳聞こえありて、時の后の難産御加持のため、宣旨をもつて召されけれども、行法にひまなくて参らず。宣旨たびたび申し返しければ、勧修寺の誰がしとかや、名人なる公卿相7)に仰せて、「いかにもして召してまいれ」と宣下ありければ、かの人、横川の房に行きて、「宣旨たびたび返し申さるるところ、王土にはらまれて、その言ひなく侍る上、仰せを承りて侍れば、御参内なくば、命をここにて亡ぼすべし」とて居られたりければ、こと苦々しく思えて、「さらば参らん」とて、歩行(かち)にて参内して、御加持ありければ、御産平安なりけり。やがて退出せられける。後ろに僧都の宣命を読みかけてけり。
一条院8)の御時にや、時の摂禄、御堂の関白道長9)の御女(むすめ)、二歳になり給ひけるが、后にも立てんと思し召して、かしづき給ひけるほどに、少し悩みて、にはかに息絶え給ひぬ。あまりに悲しく思ひ給ひけるままに、「いかにして助けん」と思ひめぐらし給ふに、「高野10)の大御室11)こそ、頼もしくおはすれ」とて、錦の袋に姫宮を入れて、わが御頸にかけて、高野山へ馳せ上りて、ことの子細申し入れ給ひければ、「幼なくおはせども女人なれば、惣門の中へは入れ給ふまじ」とて、五鈷ばかりを持ちて、門の外にて加持し給ひければ、蘇生して、つひに后に立たせ給けり。上東門院の女院これなり。
大御室は慈悲深くして、仏法の効験あらたにおはしけり。御室の御所には、御架の菓子、日々に式々12)と参らす。この菓子、夜々失せければ、近習の人々あさましく覚えて、うかがひ見るほどに、夜更け人静まりて、たけ高き僧の白衣なるが、袋をもつて御架の菓子を取り入れけり。「誰ならん」と見れば、御所にておはしけり。さて、袋うちかづきて出で給ふを、追ひ追ひ忍びて見奉れば、大内裏の墻(かき)の外に、諸の非人・乞丐(こつがい)・病者の出だされたるに、加持して賜びければ、多くは病も癒えにけり。慈悲は仏の心なれば、法の徳もことにあらはれけり。
上代は、かかる慈悲もあり、智慧深き高僧おはしければ、世もおだしくこそ。その時も衆生の業報はなほ逃れがたし。末代には、年にしたがひて、世間の災難は多く、仏法の効験まれなり。世下れりといふとも、随分に仏の制戒をも守り、大乗の修行怠らずは、わが眼精を守(まぼ)るがごとく守らんと、仏の御前にて誓ひを発せる諸天・善神・日月・星宿等、世界に満ち満てり。などか、その本誓むなしからん。
たとひ、また仏道修行のゆゑには命を失なふとも、何の歎きかあらん。多生曠却(たしやうくわうごふ)いたづらにこそ捨てにしか。また一期のわづかの身助けんため、名を惜しみてだに、合戦の場に命をば捨つる習ひぞかし。それは勲功をいふにも、わづかの栄花なり。あるかひもなきこともあり。あるいは、悪しざまに振舞ひて、かへりて頭をはねらるることもあり。また、ゆゆしく猛きは、いよいよ命を失ふ。今生なほその益なし13)。来世は言ふに及ばず。
一旦の我執・名聞にだに命をば捨つる習ひなり、仏道に捨てなば、仏の引摂(いんぜう)にあづかり菩提の岸に至るべし。いたづらに捨てんずる命を、同じくは法のために捨つべし。古人のいはく、「法あつては死すとも、法なくては生きじ。法あつて死するは納種(なうしゆ)懐(ふところ)にあり。法なうして生ずるは、長劫に沈迷す」と言へり。あるいはまた、「朝に道を聞きて、夕に死するは可なり」とも言へり。
一期ほどなき浮世なり。有るに付けても愁へ、無きに付けても苦し。しかじ、ただこのたび大乗の修行を励み、たちまちに心地を開通し、浄刹往生して、菩提の妙果を開かんには。
翻刻
沙石集巻第九 下 証月房上人之遁世事 松ノ尾ノ証月房ノ上人ハ三井ノ流ヲ受テ三密ノ行タケク 道心アル人ト聞ヘテ遁世ノ初ノ事ヲ人ノ語シハ人間ニナカ ラヘテモヨシナシ如説修行シテ臨終セント思ヒ立テ只一人松 ノ尾ノ奥ニ人ニモシラレスシテ七日カ時料ヲ用意シテカリニ庵ヲ ムスヒテ修行セラレケリ七日ノ食尽テ芋ノ茎ノヒタルヲ水ニ 入テヤハラカニナシテ食テ今日ノ命ヲノヘント思ハレケル 程ニ薪取山人見アヒテ其日ノ食ハ供養シテケリ又イモノクキ ヲハホシテヲキテ次ノ日水ニ入テ食ニアテカヘハ又山人見ツ ケテ供養シケリ其後連々人見アヒテ時料ヲクリケレハツヰニ イモノクキヲモチヰスシテ食物アヒツイテ行ハレケリ三宝ノ冥助/k9-345l
諸天ノ守護ノ故ニヤ次第ニ寺ト成テ如法ニ勤行年ツミテ 臨終目出度クシテヲハラレニケリト聞ヱ末代ニハ有難キコト 也真実ニ仏道ニ身ヲ入テ如説ニ修行セン人衣食ノ二事 カクヘカラス比良ノ山ノ真知房ト聞ヘシ上人モ止観修行ノ タメ廿日彼時料用意シテ比良ノ山ヘ入テ修行セラレケルニモ 山人見アヒテ供養シケルトキコヱ年久ク行レケリ山野ノ獣 江海ノ鱗十悪ノ業ニヨリテツタナキ報ナルスラ衣食住処ヲ ノツカラソナヘタリ毛ヲ被鱗ヲキタリ穴ニスミ水ニオヨク分々 ノ身ヲタスクル果報アリイハンヤ五戒十善ノ因縁ニヨリテ人 間ニ生タリ衣食住所ヲノツカラ有ヘシ業報ヲワキマヘ天運 ニマカセテ夢ノ世ヲワタリカリノ身ヲ助テ憂歎スハ身モ心モヤ スカルヘシヲロカニシテ過分ノ振舞ヲホケナキ果報ヲ望ミ名聞/k9-346r
利養ノ心ヲ恣ママニスルホトニ不足ニノミオホユルナルヘシ欲 ニ頂ナシトテ欲心ハソノキハマル事ヲシラス頂生王ハ南州ノ 王ナリ不足ニ思テ四州ヲ打取猶不足ニ思テ四天王ヲウ チヌ忉利天ヲ打取ラントシテ果報尽テ堕テ死ニケリサレハ身 ノ分ヲ知テ振舞ヘシ南都ノ故一乗院ヘ故光明院ノ僧正 参セラレタリケル時御物語ニ人マツシキハ心ト貧シキ也ト被 仰光明院申サレケルハ誰カ貧シカラント思候ヘキ人コトニ トミサカヘントコソ思ヘトモ貧シキハツネノ習也ト申サル一乗 院ノ仰ラレケルハマコトニ貧シカラントハ思ハネトモ心ノ企テヲ ロカニシテ過分ノフルマヒスルコソ心トマツシキニテ侍レ我カ分 斉ヲシリテ其果報ノホトニフルマハハ事カクヘカラス十人カヘ リミルホトノ人モ二三十人ヲカヘリ見出仕ノトモニモ二三/k9-346l
人具スヘキ人五人十人具シ過分ニ出立ツ衣食什物ヲモ 果報ニスキテ用ヒントスレハ不足也ト仰ラレケレハサテハ覚 遍ナントカ公請ツトメンハトサマナル疲駄ニ乗テ檜笠ナントキ テ出仕モスヘクヤト申サレケレハヤカテ左タニモオハサハヨモ御 不足アラシトノ給ケリ故金剛王院ノ僧正公請ツトメラレケ ル時僧正ノ牛飼御室ノ御車ト車立論シテ御室ノ御車ヲ 散々トシタリケルヲ房官侍牛飼ヲ制シカネテ僧正ニシカシカト 申ケレハ某丸カ申ス僻事ハナシ子細ヲシリテコソ申セ東寺ノ 一ノ長者ノ上ニ居ル僧ナシ御室ハ上郎ハサル御コトナレトモ 遁世門ノ御フルマヒニテ御室ニ引籠リテ昔ヨリ御室ト申然 レ共世ニシタカフ事ナレハ制セヨトソ下知セラレケル故法性 寺ノ禅定殿下御物語有ケル折節ニテ申サレケルハ実賢ナン/k9-347r
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上代ハカカル慈悲モアリ智慧フカキ高僧御坐ケレハ世モオ タシクコソ其時モ衆生ノ業報ハ猶ノカレ難シ末代ニハ年ニ 随テ世間ノ災難ハ多ク仏法ノ効験希ナリ世クタレリトイフ トモ随分ニ仏ノ制戒ヲモ守リ大乗ノ修行ヲコタラスハ我 眼精ヲマホルカコトクマホラント仏ノ御前ニテ誓ヲ発セル諸 天善神日月星宿等世界ニミチミテリナトカ其本誓ムナシ カランタトヒ又仏道修行ノユヘニハ命ヲウシナフトモ何ノナケ キカ有ラン多生曠却徒ニコソステニシカ又一期ノワツカノ身 タスケンタメ名ヲオシミテタニ合戦ノ場ニ命ヲハスツル習ヒソ カシソレハ勲功ヲ云ニモワツカノ栄花ナリアルカヒモナキ事モ アリ或ハアシサマニ振舞テカヘリテ頭ヲハネラルルコトモアリ又 ユユシクタケキハイヨイヨ命ヲ失フ今生尚其益ヲシ来世ハイフ/k9-349r
ニ不及一旦ノ我執名聞ニタニ命ヲハスツル習ナリ仏道ニス テナハ仏ノ引摂ニアツカリ菩提ノ岸ニ至ルヘシ徒ニステンス ル命ヲ同クハ法ノタメニスツヘシ古人ノ云ク法アツテハ死スト モ法ナクテハイキシ法有テ死スルハ納種懐ニアリ法ナウシテ生 スルハ沈迷長劫ト云リ或ハ又朝ニ道ヲ聞テ夕ニ死スルハ可 ナリトモイヘリ一期程ナキ浮世ナリ有ニ付テモ愁ヘ無ニ付テ モ苦シ不如タタ此度大乗ノ修行ヲハケミ忽ニ心地ヲ開通 シ浄刹往生シテ菩提ノ妙果ヲヒラカンニハ/k9-349l