沙石集
巻8第16話(109) 先世房の事
校訂本文
下総国に先世房といふ者ありけり。下地(げぢ)の者なりけれども、心操尋常なりけり。世をへつらふこともなく、万事に付けて、「先世のこと」とのみ言ひて、歎き悦ぶ心なかりけり。
ある時、家に火付きて燃え上がりけれども、「先世のこと」と言ひて、騒がずして居たりけるを、「いかにや」とて、人、手を取りて引き出だしければ、「これも先世のこと」とて出でぬ。かかりければ、先世房と言ひけるなるべし。
まことに、何事も過去の善悪の業因によりて、今世の貧福・苦楽あり。愚かなる人は、この理(ことわり)を知らずして、人の与ふることとのみ思ひあへり。「三界はただ一心なり。心のほかに別法なし」と言ひて、無住の一心より、六凡四聖の十界の依正(えしやう)を作り出だせり。悪念化して地獄・鬼畜と現じ、善因積もりて浄土・菩提とあらはる。法性の一理は平等なれども、人々の業縁によりて種々の差別あり。一つの水を、天は瑠璃と見、魚は窟宅と見、餓鬼は膿河と見るがごとし。釈迦の浄土を、身子1)は穢土と見、螺髻2)は浄土と見る。
このゆゑに、「境縁に好醜なし。好醜は心より起こる」と言へり。されば、万事を自業の因縁と思はば、不祥・厄難ありとも、人をとがめ恨むべからず。しかるに3)、人の過(とが)とのみ思ひて、恨を含み怨(あた)を報ふこと、かへすがへす愚かなり。経にいはく、「怨をもつて怨を報ずるは、怨つひに尽きず。草をもつて火を消つがごとし。恩をもつて怨を報ずるは、怨つひに尽く。水をもつて火を消つがごとし」と。しかれば、昔の罪障を懺悔し、今さら業因を結ばずして、輪廻の苦患をやむべし。
ある上人いはく、「一切の境界は、わが心によりて善悪あり。わが心迷ふ時は塵々妄縁なり。わが心悟る時は法々実相なり」。古人いはく、「一翳眼に在れば空花乱墜し、一妄心に在れば恒沙生滅す」。わが身に、この道理、思ひ知れることあり。
よろづ物の糞の香することありき。ただごととも思えずして、「魔縁の所為にや」と思ひて、持仏堂に入りて念誦すれば、本尊も臭く、念珠も臭し。し疲れて、持仏堂を出でて、何となく顔をかきなでてみれば、鼻の先に糞の付きて侍りける。さて、さはさはとかき洗ひて後は、臭さ失せぬ。「一切我心なる道理、譬へは汚なけれども、分明なり」と語りき。
漢朝に北叟4)といふ賢人ありけり。ことにふれて憂へ悦ぶことなし。
ある時、ただ一匹持てる馬、失せにけり。人これをとぶらふに、「いさ喜ぶべきことにかあるらん。憂ふべきことにや」と言ふ。両三日の後、天下にありがたき駿馬を具して来たる。人これを悦ぶといへども、これも憂ふべきことにやあるらん」とて、喜ぶことなし。最愛の一子、この馬に乗りて遊ぶほどに、落ちて臂をうち折る。人、これをとぶらふに、「これも喜ぶべきことにやあるらん」とて憂へず。かかるほどに、天下に大乱起こりて、武士かられてあひ戦ふ間、みな滅び失す。この子、かたはによりて命をまたくす。
このことわり、よくよく思ひ知るべきをや。老子いはく、「禍(わざわひ)は幸(さいはひ)の伏所、福は禍のよるところ」と言へる。意は、「人、過(とが)を悔しみ慎しみて徳を行なへば、禍去りて福来たる。もし福におごりて過を恐れざれば、福去りて禍来たる。されば、失をばよく慎しみ悔しみて、善を修し徳を行なふべし。徳をばおごることなくして、禍の来たらんことを慎しむべし。万事、得失並ぶことを知らずして、一徳を愛して、余の失を忘れ、一失を嫌ひて、余の徳を忘るる人は、人の常の心なり。徳のみあて失なく、失のみあて得なきこと、あるべからず。
また、万事において、人により、時によりて、得失分かれたり。ある牛飼僧の、茶のむ所にのぞみていはく、「あれはいかなる御薬にて候ふやらん。おのれらが賜はることはかなふまじく候ふにや」と言ふ。「これは三つの徳ある薬なり。やすきことなり。取らせん」と言ふ。「その徳と言ふは、一つには、座禅の時眠(ねぶ)らるるが、これを飲みつれば通夜(よもすがら)寝られず。一つには、食に飽ける時服すれば、食消して身軽(かろ)く心明らかなり。一つには、不発になる薬なり」と言ふ時、「さは、え給はり候はじ。昼は終日(ひめもす)に宮仕へ候ひて、夜こそ足も踏み延べて臥し候へ。眠(ねぶ)られざらん、術なく候ふべし。また、わづかに食べ候ふ少飯が消し候はば、ひだるさをばいかがし候ふべき。また、不発になり候なば、女童部がそばへも寄せ候ふべくばこそ、すかして衣物ばしも濯がせ候はめ」と言ふ。
これ、一つことの、人によりて徳失あることなり。雨の降る、日の照ること、時によりて徳なることもあり、失なることもあること、知りぬべし。
また、世間には徳と思へること、出世には失なること多し。世間には失と思へること、仏法に入りて徳なることあり。すべて徳失は物ごとにあひ習ふことなり。
涅槃経の中に一つの譬喩を説けり。ある人の家の門に、容貌美麗なる女人来たる。主(あるじ)、「いかなる人ぞ」と問ふ。女人、答へていはく、「われをば功徳天と言ふ。そのゆゑは、居たる所に吉祥・福徳あり」と言ふ。主、悦びて請じ入る。すなはちまた女人来たる。容貌醜陋(しうろう)にして見にくし。「いかなる人ぞ」と問ふ。「われをば黒闇天と言ふ。そのゆゑは、居たる所に 不祥・災害あり」と言ふ。主、これを聞きて、「すみやかに去れ」と言ふ。女人のいはく、「先に家へ入るはわが姉なり。時として離るることなし。姉をとどめば、われをもとどめよ。われを追はば、姉も追へ」と言ふ。これによりて、二人ともに追ひ出だしつ。またつれて行く。ある人、このことを聞くといへども、姉を愛するゆゑに、妹をもとどむ。
これを喩ふるに、生と会とは姉のごとし、死と離とは妹に似たり。生死のことわり、会離の習ひ、必ずともなり。生者必滅(しやうじやひつめつ)・会者定離(ゑしやぢやうり)、誰かこれを疑はん。これゆゑに、賢聖は生の因をとどめ、死の苦を離る。会ふ悦びを愛せずして、離るる憂ひなし。二人ともに厭ふ人のごとし。凡夫は、生を悦びて死を悲しみ、会を愛して離るるを憂ふ。しかれば、死をば生の時悲しみ、離をば会の時憂ふべし。会を悦び離を憂ふるは、まことに凡夫の愚かなる心なるべし。
流転生死は愛欲を根本とす。もし愛情なくば生死断絶せん。まづ、世間の愛心をやめて、法愛までも捨つる、これ仏法に入る方便なり。ただ愛習怨心のつたなき思ひをやめて、無念寂静の妙(たへ)なる道に入る。真実の道人の姿なり。古人いはく、「心随万境転。転処実能幽。随流認得性。無喜亦無憂云々。(心は万境に随ひて転ず。転ずる処実によく幽なり。流に随ひて性を認得す。喜び無くまた憂ひも無し。云々)」。
生滅去来の所に本来動ぜさる自性を認得しなば、生にあたて不生なり。ことに即して空なり。たとひこの心得ずとも、まづ万事得失並べる道理を知りて、徳あることにも失を考へて、愛習を薄くし、失あらんことにも徳を考へて、憂悲を軽(かろ)くすべし。これ一重の方便なり。一事をもつて万事をなずらへ知るべし。
妻子眷属の、心にかなひ、なつかしく、心やすからんは、まことに徳なるべし。しかれども、これをはぐくみ養はんとする、急ぎ心の暇(ひま)なく、身の暇(いとま)なし。身心ともに、これがために使はる。恩愛の奴(やつこ)となるゆゑなり。さて、崇むべき三宝勝妙の敬田をも供せず、報ずべき父母・師長の恩田をも重くせず、あはれむべき貧病の悲田をも助けず、善友を求むる志も薄く、知識に仕ふる暇(いとま)もなし。今生のわづらひは、なほ軽(かろ)かるべし。当来の苦しみ、いかばかりならん。臨終の妄念も、もつぱら恩愛のゆゑなり。情深く契り厚けれども、中有にともなふ習ひなく、苦患に替はるためしなし。
昔、五戒の優婆塞ありけり。あひ思へる妻(つま)に愛習残りけるゆゑに、死にて後、妻が鼻の中の虫に生まる。妻、鼻をかみて、虫のあるを見て、踏み殺さんとす。時に聖者ありて、これを見て、「なんぢが夫なり。ゆめゆめ殺すべからず」と言ふ。妻がいはく、「わが夫は持戒修善の者なり。天に生ずべし。なんぞ虫とならん」と言ふ。聖者のいはく、「最後の妄念強くして、まづこの生を感ず」。よて、法を説くに、虫死して天に生ずと言へり。
これは日ごろの戒善の因もあり、聖者の説法の縁によりて、天にも生ず。常の人の善因は弱く、妄念は強くして、妻子などに愛習深からん。生死を離れんこと、まことにかたかるべし。これゆゑに、心にかなはん妻子、げには怨みなるべし。花の形に作れる箭(や)をもつて射らるるに喩ふ。見るところはやさしけれども、命を失ふ。恩愛のなつかしき境界、智慧の命を失ふこと、これに似たり。かかれば、中々に心にかなはぬ妻子は善知識なるべし。これも、ただそねみあたまば悪知識ならん。
韋提希(ゐだいけ)のごとく、闍王(しやわう)の悪子にあひて、穢土を厭ひ、浄土を願ひしごと くならば、悪子は真実の善知識ならん。賢を見て、「等しからん」と思ふべし。また、会ふ時心ざし深きは、別るる時歎き切なり。会ふ時、心ざし薄きは、別るる時歎き浅し。得失のあひ並ぶこと、心得やすかるべし。
牛馬・財宝も、これになぞらへて同じかるべし。重き財、珍しきもてあそび物も、良きは、求むるも苦しく、守(まぼ)るもわづらはし。失せぬるも歎かし。常にも用ゐずして、用にも立たず、もしは、人の借るもいたはしく思え、心にかかることあり。悪(わろ)き物は、惜しからずして、常に用ゐれば当時大切なり。失せぬるも歎きなし。人に取らするも惜しからず。かたがた徳は多く失は少なし。
おのづから、檀度(だんど)の行も頼りなり。また、世間の人の富貴なると貧賤なるとを思ひ比ぶるに、徳失あひ並べり。よくよく思ひとけば、貧賤は徳多かるべし。古人いはく、「富めるときは則ち求め多し。貴きときは則ち憂ひ多し。事寡(すくな)ければ心泰し。情忘ずれば累(わづら)ひ薄し」と云々。またいはく、「清貪は常に楽しみ、濁富は恒に愁ふ」と云々。またいはく、「財5)多ければ身を害し、名高ければ神を害す」と云々。
このことは、真実の大安楽の法門なり。よくよく思ひ入れ給ふべし。
翻刻
先世房事 下総ノ国ニ先世房ト云者アリケリ下地ノ者ナリケレトモ心 操尋常ナリケリ世ヲヘツラフ事モナク万事ニ付テ先世ノ事 トノミ云テナケキ悦心ナカリケリ或時家ニ火ツキテモヱアカリ ケレトモ先世ノ事トイヒテサハカスシテ居タリケルヲ何ニヤトテ人 手ヲトリテヒキ出シケレハ是モ先世ノ事トテ出ヌ斯リケレハ 先世房トイヒケルナルヘシ誠ニ何事モ過去ノ善悪ノ業因ニ ヨリテ今世ノ貧福苦楽アリヲロカナル人ハ此コトハリヲシラス/k8-317r
シテ人ノアタフル事トノミ思アヘリ三界ハ唯一心ナリ心ノ外ニ 無別法云テ無住ノ一心ヨリ六凡四聖ノ十界ノ依正ヲツ クリ出セリ悪念化シテ地獄鬼畜ト現シ善因積テ浄土菩提 トアラハル法性ノ一理ハ平等ナレトモ人々ノ業縁ニヨリテ種 種ノ差別有一ノ水ヲ天ハ瑠璃ト見魚ハ窟宅ト見餓鬼ハ 膿河ト見ルカ如シ釈迦ノ浄土ヲ身子ハ穢土ト見螺髻ハ浄 土ト見ル此ユヘニ境縁ニ好醜ナシ好醜ハ心ヨリ起ルトイヘリ サレハ万事ヲ自業ノ因縁ト思ハハ不祥厄難アリトモ人ヲト カメ不可シ恨カルニ人ノトカトノミ思テ恨ヲフクミ怨ヲ報フ事 返々ヲロカナリ経曰怨ヲ以怨ヲ報スルハ怨ツヰニツキス草ヲ 以火ヲケツカ如シ恩ヲ以怨ヲ報スルハ怨ツヰニツク水ヲ以火 ヲケツカ如シト然ハ昔ノ罪障ヲ懺悔シ今更業因ヲムスハスシテ/k8-317l
輪廻ノ苦患ヲヤムヘシ或上人イハク一切ノ境界ハ我心ニヨ リテ善悪アリ我心迷時ハ塵々妄縁也我心悟時ハ法々実 相也古人云一翳在眼空花乱墜シ一妄在心ニ恒沙生 滅ス我身ニ此道理思知レル事有ヨロツ物ノ糞ノ香スル事 有キ只事共オホヱスシテ魔縁ノ所為ニヤト思ヒテ持仏堂ニ 入テ念誦スレハ本尊モクサク念珠モクサシシツカレテ持仏堂 ヲ出テナニトナクカホヲカキナテテ見レハ鼻ノサキニ糞ノ付テ侍 ケルサテサハサハトカキアラヒテ後ハクササウセヌ一切我心ナル 道理譬ハキタナケレトモ分明也トカタリキ漢朝ニ北叟トイフ 賢人有ケリ事ニフレテ憂悦フ事ナシ或時只一匹モテル馬ウ セニケリ人是ヲトフラフニイサ喜フヘキ事ニカアルラン憂ヘキ事 ニヤト云両三日ノ後天下ニアリカタキ駿馬ヲ具シテ来ル人是/k8-318r
ヲ悦フトイヘ共是モ憂ヘキ事ニヤアル覧トテヨロコフ事ナシ最 愛ノ一子此馬ニノリテアソフホトニ落テ臂ヲ打オル人是ヲ トフラフニ是モヨロコフヘキ事ニヤアルラントテ憂ヘスカカル程ニ 天下ニ大乱ヲコリテ武士カラレテ相戦フ間皆ホロヒウス此 子カタワニヨリテ命ヲマタクス此理リ能々思シルヘキヲヤ老子 云禍ハサイワイノ伏所福ハ禍ノ倚トコロトイヘル意ハ人トカヲ クヤシミツツシミテ徳ヲオコナヘハ禍サリテ福キタル若福ニヲコ リテ過ヲオソレサレハ福去テ禍キタルサレハ失ヲハ能ツツシミク ヤシミテ善ヲ修シ徳ヲオコナフヘシ徳ヲハヲコル事ナクシテ禍ノキ タランコトヲツツシムヘシ万事得失ナラフ事ヲシラスシテ一徳ヲ 愛シテ余ノ失ヲワスレ一失ヲキラヒテ余ノ徳ヲワスルル人ハ人ノ常 ノ心也徳ノミアテ失ナク失ノミアテ得ナキ事有ヘカラス又万/k8-318l
事ニヲイテ人ニヨリ時ニヨリテ得失ワカレタリ或牛飼僧ノ茶 ノム所ニノソミテ云クアレハ何ナル御薬ニテ候ヤランヲノレラカ タマハル事ハカナフマシク候ニヤトイフ是ハ三ノ徳有薬ナリヤ スキ事ナリトラセントイフソノトクト云ハ一ニハ坐禅ノ時ネフ ラルルカ是ヲノミツレハ通夜ネラレス一ニハ食ニアケル時服ス レハ食消シテ身カロク心アキラカナリ一ニハ不発ニナル薬也ト 云時サハエ給ハリ候ハシ昼ハ終日ニ宮仕候テ夜コソ足モ フミノヘテ臥候ヘネフラレサラン術ナク候ヘシ又ワツカニタヘ候 少飯カ消シ候ハハヒタルサヲハイカカシ候ヘキ又不発ニナリ 候ナハ女童部カソハヘモヨセ候ヘクハコソスカシテ衣物ハシモス スカセ候ハメト云是一ツ事ノ人ニヨリテ徳失有事ナリ雨ノ 降日ノテル事時ニヨリテ徳ナル事モアリ失ナル事モアル事シ/k8-319r
リヌヘシ又世間ニハ徳ト思ヘルコト出世ニハ失ナル事多シ世 間ニハ失ト思ヘル事仏法ニ入テ徳ナルコト有都テ徳失ハ物 毎ニ相習フ事也涅槃経ノ中ニ一ノ譬喩ヲトケリ或人ノ家 ノ門ニ容貌美麗ナル女人キタル主シ何ナル人ソト問女人 答云我ヲハ功徳天ト云ソノ故ハイタル所ニ吉祥福徳有 トイフ主シ悦テ請シ入ル則又女人キタル容貌醜陋ニシテ見ニ クシ何ナル人ソト問我ヲハ黒闇天トイフソノユヘハイタル所ニ 不祥災害有トイフ主シ是ヲ聞テスミヤカニサレトイフ女人ノ イハクサキニ家ヘ入ルハ我姉ナリ時トシテハナルルコトナシ姉ヲト トメハ我ヲモトトメヨ我ヲヲハハアネモヲヘトイフ是ニヨリテ二 人トモニヲヒ出シツ又ツレテユク或人此事ヲキクトイヘトモア ネヲアイスルユヘニ妹ヲモトトム是ヲタトフルニ生ト会トハアネノ/k8-319l
如シ死ト離トハ妹ニ似タリ生死ノコトハリ会離ノ習カナラス トモナリ生者必滅会者定離タレカ是ヲ疑ハン是故ニ賢聖 ハ生ノ因ヲトトメ死ノ苦ヲハナルアフ悦ヲ愛セスシテハナルル憂ナ シ二人トモニイトフ人ノ如シ凡夫ハ生ヲ悦テ死ヲカナシミ会 ヲアイシテハナルルヲウレフ然ハ死ヲハ生ノ時カナシミ離ヲハ会時 ウレフヘシ会ヲ悦離ヲウレフルハ誠ニ凡夫ノヲロカナル心ナル ヘシ流転生死ハ愛欲ヲ根本トス若シ愛情ナクハ生死断絶 セン先ツ世間ノ愛心ヲヤメテ法愛マテモスツル是仏法ニ入 方便ナリ只愛習怨心ノツタナキ思ヲヤメテ無念寂静ノタヘ ナル道ニ入ル真実ノ道人ノスカタナリ古人云心随万境転 転処実能幽随流認得性無喜亦無憂云々生滅去来ノ所ニ 本来動セサル自性ヲ認得シナハ生ニアタテ不生ナリ事ニ即シテ/k8-320r
空也タトヒ此心ヱストモマツ万事得失ナラヘル道理ヲ知テ 徳有事ニモ失ヲカンカヘテ愛習ヲウスクシ失アラン事ニモ徳 ヲカンカヘテ憂悲ヲカロクスヘシ是一重ノ方便ナリ一事ヲ以 万事ヲナスラヘシルヘシ妻子眷属ノ心ニカナヒナツカシク心ヤ スカランハマコトニ徳ナルヘシ然レトモ是ヲハククミヤシナハント スル急キ心ノヒマナク身ノイトマナシ身心トモニ是カタメニツカ ハル恩愛ノ奴トナル故也サテアカムヘキ三宝勝妙ノ敬田ヲモ 供セス報スヘキ父母師長ノ恩田ヲモオモクセス哀レムヘキ貧 病ノ悲田ヲモタスケス善友ヲ求ル志モウスク知識ニツカフル イトマモナシ今生ノワツラヒハ猶カロカルヘシ当来ノクルシミ何 ハカリナラン臨終ノ妄念モ専恩愛ノ故ナリ情深クチキリアツ ケレトモ中有ニトモナフ習ナク苦患ニカハルタメシナシ昔シ五/k8-320l
戒ノ優婆塞アリケリアヒオモヘルツマニ愛習ノコリケル故ニ死 テ後ツマカ鼻ノ中ノ虫ニムマルツマ鼻ヲカミテ虫ノアルヲミテフ ミ殺サントス時ニ聖者アリテ是ヲ見テ汝カ夫也ユメユメコロス ヘカラスト云妻カ云我夫ハ持戒修善ノ者也天ニ生スヘシ ナンソムシトナラント云聖者ノ云ク最後ノ妄念ツヨクシテ先コ ノ生ヲ感スヨテ法ヲ説クニムシ死シテ天ニ生ストイヘリ是ハ日 来ノ戒善ノ因モアリ聖者ノ説法ノ縁ニヨリテ天ニモ生スツネ ノ人ノ善因ハヨハク妄念ハツヨクシテ妻子等ニ愛習フカカラン 生死ヲハナレン事誠ニカタカルヘシ是故ニ心ニカナハン妻子 ケニハ怨ナルヘシ花ノカタチニツクレル箭ヲ以イラルルニタトフ 見ルトコロハヤサシケレトモ命ヲ失フ恩愛ノナツカシキ境界智 慧ノ命ヲ失フ事是ニ似タリカカレハ中々ニ心ニカナハヌ妻子/k8-321r
ハ善知識成ヘシ是モ只ソネミアタマハ悪知識ナラン韋提希 ノ如ク闍王ノ悪子ニアヒテ穢土ヲイトヒ浄土ヲネカヒシコト クナラハ悪子ハ真実ノ善知識ナラン賢ヲ見テヒトシカラント オモフヘシ又アフ時心サシフカキハワカルル時ナケキ切也アフ 時ココロサシウスキハワカルルトキナケキアサシ得失ノアヒナラフ 事心得ヤスカルヘシ牛馬財宝モ是ニナソラヘテオナシカルヘシ ヲモキタカラメツラシキモテアソヒ物モヨキハモトムルモクルシクマ ホルモワツラハシウセヌルモナケカシ常ニモ用ヒスシテ用ニモタタス 若ハ人ノカルモイタハシク覚心ニカカル事有ワロキ物ハオシカ ラスシテ常ニ用レハ当時大切也ウセヌルモナケキナシ人ニトラス ルモ惜カラス旁徳ハ多ク失ハスクナシヲノツカラ檀度ノ行モタ ヨリナリ又世間ノ人ノ冨貴ナルト貧賤ナルトヲ思ヒクラフルニ/k8-321l
徳失アヒナラヘリ能々思トケハ貧賤ハ徳多カルヘシ古人云 冨則求多シ貴則憂多シ事寡心泰情忘累薄ト云々又云清 貪ハ常ニ楽ミ濁冨ハ恒愁ト云々又云賤多レハ害シ身ヲ名 高ケレハ害スト神ヲ云々此事ハ真実ノ大安楽ノ法門ナリヨク ヨク思入給フヘシ 沙石集巻第八下終 神護寺 迎接院/k8-322r