沙石集
巻8第7話(100) 仏の鼻、薫ぶる事
校訂本文
ある尼公、金色の立像の阿弥陀仏を、美麗に造り奉りて、本尊に仰ぎて、恭敬供養しけるが、もとは洛陽に住みけるほどに、縁に引かれて片田舎へ下る。この本尊をも持ち奉りて、ある人の持仏堂に立てて、花・香など供養しけり。
この尼公、ことにふれてかぎりがましく、きびしく慳貪(けんどん)なりけるままに、香を焚くに、「余の仏あまたおはする持仏堂なれば、香の煙散りて、わが仏は当り付き給はじ」と思ひて、香盤の蓋(ふた)に細き竹の筒をねぢ入れて、片端をば仏の鼻の穴にねぢ入れて、いささかも香の煙(けぶり)の散らぬやうにして、香を焚くほどに、泥仏の鼻、漆を塗りたるやうにて、金色も見えず。
この尼公、逝去して1)、女人に生まれて、貌形(みめかたち)は良かりけれども、鼻の穴は黒くして墨のごとし。かの尼公が生まれたるよし、人の夢に見えけり。因果の理(ことわり)はさもあるらん。
和州に尼公ありけり。地蔵の行者にて、矢田寺2)の地蔵をとりわき信じて、常に名号を唱へけるが、ただ矢田の地蔵ばかりをとりわき頼み奉るよしとや思ひけん。南都には地蔵の霊仏あまたをはします。知足院・福智院・十輪院・市の地蔵など、とりどりに霊験あらたなるを、宝号唱ふる時、この地蔵を唱へぬよしに、「知足院の地蔵も、十輪院の地蔵も、福智院の地蔵も、まして市の地蔵は思ひばしよらせ給ひ候ふな。南無や尼が矢田の地蔵大菩薩」と唱へける。まことに心狭(せば)し。鼻ふすべたる心に似たり。
これは、一向専修の余を隔ちて嫌ふ風情なり。専修の本意は一心不乱のためなり。必ずしも、「余行余仏を隔てよ」とにはあらず。凡夫の心は散乱するゆゑに、この方便あり。雑業は、行体はとりどりに殊勝なれども、かれこれと心乱るなり。三宿世とかや申すやうに、あれこれ心移れば、一心なしがたきゆゑなり。
ある女人、出家のため、山寺へ登りて、髪を剃りてけり。出家師、「法名を付け参らせん」と言へば、「法名は先より案じて付きて候ふなり」と言ふ。「いかに付かせ給ひて候ふや」と言へば、「仏といひ、神といひ、わが信じ頼み参らせて候ふが、なつかしく捨てがたく候ふままに、かの御名の文字を一つづつ取り集めて、『阿釈妙観地白熊日羽嶽存』と付きて候ふ」と言ひける。まことに長き名なり。阿弥陀・釈迦・妙法・観音・地蔵・白山・熊野・羽黒・日吉・御嶽の文字を、一つづつ付けるなるべし。
雑業の行人の心ざまに似たり。いつれも偏なり。信心のあまねくとも、行も名も一つを専(もは)らすべし。
翻刻
仏鼻薫事 有尼公金色ノ立像ノ阿弥陀仏ヲ美麗ニ造奉テ本尊ニ仰 テ恭敬供養シケルカ本ハ洛陽ニ住ケル程ニ縁ニ引レテ片田/k8-296r
舎ヘクタルコノ本尊ヲモ持奉テ或人ノ持仏堂ニ立テ花香ナ ト供養シケリコノ尼公事ニフレテカキリカマシクキヒシク慳貪 ナリケルママニ香ヲタクニ餘ノ仏アマタオハスル持仏堂ナレハ香 ノ煙チリテ我仏ハアタリツキ給ハシト思テ香盤ノ蓋ニホソキ 竹ノツツヲネチ入テカタハシヲハ仏ノ鼻ノ穴ニネチ入テイササカ モ香ノケフリノチラヌヤウニシテ香ヲタクホトニ泥仏ノ鼻漆ヲヌリ タルヤウニテ金色モミエスコノ尼公遊去シテ女人ニ生レテ貌形 ハヨカリケレトモハナノ穴ハ黒シテ墨ノコトシ彼ノ尼公カ生タル由 人ノ夢ニ見ヱケリ因果ノ理ハサモ有ルラン和州ニ尼公有ケリ 地蔵ノ行者ニテ矢田寺ノ地蔵ヲトリワキ信シテ常ニ名号ヲト ナヘケルカ只矢田ノ地蔵ハカリヲトリワキタノミタテマツル由ト ヤ思ヒケン南都ニハ地蔵ノ霊仏アマタヲハシマス知足院福智/k8-296l
院十輪院市ノ地蔵ナトトリトリニ霊験アラタナルヲ宝号トナ フル時コノ地蔵ヲトナヘヌヨシニ 知足院ノ地蔵モ十輪院ノ地蔵モ福智院ノ地蔵モマシテ市 ノ地蔵ハ思ハシヨラセ給候ナ南無耶尼カ矢田ノ地蔵大菩 薩ト唱ケルマコトニ心セハシハナフスヘタル心ニ似タリ是ハ一 向専修ノ餘ヲヘタチテキラフ風情也専修ノ本意ハ一心不 乱ノタメナリカナラスシモ餘行餘仏ヲヘタテヨトニハアラス凡 夫ノ心ハ散乱スルユヘニ此方便アリ雑業ハ行体ハトリトリニ 殊勝ナレトモカレコレト心ミタルナリミ宿世トカヤ申様ニアレ コレ心ウツレハ一心成シカタキユヘナリ 或女人出家ノタメ山寺ヘノホリテ髪ヲソリテケリ出家師法 名ヲツケマイラセントイヘハ法名ハ先ヨリ案シテツキテ候ナリト/k8-297r
イフイカニツカセ給テ候ヤトイヘハ仏トイヒ神トイヒ我信シタノ ミマイラセテ候カナツカシクステカタク候ママニ彼御名ノ文字ヲ 一ツツトリアツメテ阿釈妙観地白熊日羽嶽存トツキテ候ト 云ケル誠ニナカキ名也阿弥陀釈迦妙法観音地蔵白山 熊野羽黒日吉御嶽ノ文字ヲ一ツツツケルナルヘシ雑業ノ 行人ノ心サマニ似タリイツレモ偏也信心ノアマネクトモ行モ 名モ一ヲモハラスヘシ/k8-297l