text:shaseki:ko_shaseki07b-11
沙石集
巻7第11話(88) 嫉妬の故に人を損じ酬ふ事
校訂本文
洛陽に、ある郷相の思ひ給ひける人を、北方そねみて、「殿の仰せ」とて、車をやりて迎ひ寄せて、一間なる所に押しこめて、女房どに仰せて、熨斗(のし)に火を入れて、懐妊したる腹をのしければ、膨れひはれて、肉叢(ししむら)ところどころ切れて見えけり。わづかに息ばかりかよひける時、母のもとへ返しつかはしぬ。車より抱(いだ)き下し果てければ、やがて息絶えにけり。
母、これを見て、心のあられぬままに、やがて走り出でて、もろもろの社に詣でて、をめき叫び、たたき踊りて、「わが敵(かたき)、とりてたべ」とぞ言ひける。あまりの思ひに、やがて思ひ死にに死にけり。
その霊(りやう)にて、いくほどなく、かの北方病ひつきて、身膨れ腫れ、苦痛して失せ給ひぬ。代々その霊絶えぬとぞ承る。
しかるべき人の御事にや。書き付け侍るも恐れあれども、くはしく子細知らぬ身なれば、なかなかその咎(とが)あるべからず。ただ、人に因果の道理を知らしめんためなり。人の咎(とが)を記さんにはあらず。
されば、人を損ずるは、われを損ずると知らずして、自他の分別かたく、愛恚(あいい)の念慮深き習ひは、かへすがへす愚かに迷へる心なるべし。
翻刻
嫉妬之故損人酬事 洛陽ニ有ル郷相ノ思給ケル人ヲ北方ソネミテ殿ノ仰トテ車 ヲ遣テ迎ヨセテ一間ナル所ニヲシ籠テ女房共ニ仰セテノシニ 火ヲ入テ懐妊シタル腹ヲノシケレハフクレヒハレテシシムラトコロ トコロキレテ見ヘケリワツカニ息ハカリカヨヒケル時母ノモトヘ返シ ツカハシヌ車ヨリイタキオロシハテケレハヤカテ息絶ニケリ母是 ヲ見テ心ノアラレヌママニヤカテ走出テモロモロノ社ニモウテテヲ メキサケヒタタキヲトリテ我カタキトリテタヘトソイヒケル餘ノ思 ヒニヤカテ思ヒ死ニ死ニケリソノ霊ニテイクホトナク彼北方病 ツキテ身フクレハレ苦痛シテウセ給ヌ代々ソノ霊絶ヌトソ承ルシ カルヘキ人ノ御事ニヤカキツケ侍モ恐レ有レ共クハシク子細 シラヌ身ナレハ中々ソノトカアルヘカラスタタ人ニ因果ノ道理/k7-278l
ヲシラシメンタメナリ人ノトカヲシルサンニハ非スサレハ人ヲ損 スルハ我ヲ損スルト知スシテ自他ノ分別カタク愛恚ノ念慮フ カキ習ハ返々ヲロカニマヨヘル心ナルヘシ/k7-279r
text/shaseki/ko_shaseki07b-11.txt · 最終更新: 2019/02/12 22:42 by Satoshi Nakagawa