沙石集
巻7第7話(84) 愛執に依りて蛇に成る事
校訂本文
鎌倉にある人の女(むすめ)、若宮の僧坊の児を恋ひて、病になりぬ。母に、「かく」と告げ知らせければ、かの児が父母も知人なりけるままに、このよし申し合はせて、時々児をかよはしけれども、志もなかりけるにや、うとくなりゆくほどに、つひに思ひ死にに死にぬ。父母、悲しみて、「かの骨を善光寺へ送らん」とて、箱に入て置きてけり。
その後、この児、また病ひ付きて、大事になりて、物狂ひなりければ、一間なる所に押しこめておく。人と物語る声しけるを、あやしみて、父母、ものの隙(ひま)より見るに、大きなる蛇と向ひて、ものを言ひけるなるべし。
さて、つひに失せにければ、入棺して、若宮の西の山にて葬するに、棺の中に大きなる蛇ありて、児とまとはりたり。やがて、蛇とともに葬してけり。
かの父母、女が骨を善光寺へ送るついで、取り分けて、鎌倉のある寺へ送らんとして見けるに、骨さながら小蛇になりたるもあり、半(なか)らばかりなりかかりたるもあり。
このことは、かの父母、ある僧に、「孝養してたべ」とて、ありのままに語りけるとて、たしかに聞きて語り侍りき。近きことなり。名も承りしかども、はばかりありて記さず。この物語は、多く当世のことを記すゆゑに、その所その名をはばかりて申さず。不定のゆゑにはあらず。
およそ、一切の万物は、一心の変ずるいはれ、始めて驚くべからずといどとも、このこと近き不思議なれば、まめやかに愛欲の過(とが)、思ひとけば、いと罪深くこそ思え侍れ。されば、執着・愛念ほどに恐るべきことなし。生死の久しく、流転のやみがたき、ただこの愛欲の致す所なり。
肇論にいはく、「生死に流転すること着欲による。仏神にも祈念し、聖教の対治をもたづねて、この愛心を断ち、この情欲をやめて、真実に解脱の門に入り、自性清浄の体を見るべし。愛執尽きざれば、欲網(よくまう)を出でず。無始の輪廻、多生の流転、ただこのことをもととす」。
いづれの国とかや、ある尼公、女をわが夫に合はせて、わが身は別の家に居て、女にかかりて侍るが、指の蛇になりたるを、包み隠して当時ありと言へり。昔もかかること、発心集1)に見えたり。かれは懺悔して、念仏を申しけるままに、もとのごとくなれりと言へり。
翻刻
依愛執成蛇事 鎌倉ニ或人ノ女若宮ノ僧坊ノ児ヲ恋テ病ニナリヌ母ニカク トツケシラセケレハ彼ノ児カ父母モ知人ナリケルママニ此ヨシ 申合テ時々児ヲカヨハシケレトモ志モナカリケルニヤ踈クナリユ クホトニツヰニ思死ニシニヌ父母悲ミテ彼骨ヲ善光寺ヘ送 ラントテ箱ニ入テヲキテケリ其後此児又病付テ大事ニ成テ/k7-274r
物狂ナリケレハ一間ナル所ニヲシコメテヲク人ト物カタル声シ ケルヲアヤシミテ父母モノノヒマヨリ見ルニ大ナル蛇トムカヒテ モノヲイヒケルナルヘシサテ終ニウセニケレハ入棺シテ若宮ノ西 ノ山ニテ葬スルニ棺ノ中ニ大ナル蛇アリテ児トマトハリタリヤカ テ蛇ト共ニ葬シテケリカノ父母女カ骨ヲ善光寺ヘ送ル次取分 テ鎌倉ノ有寺ヘ送ラントシテ見ケルニ骨サナカラ小蛇ニ成タル モ有ナカラハカリ成カカリタルモ有此事ハカノ父母或僧ニ孝 養シテタヘトテアリノママニ語リケルトテタシカニ聞テ語リ侍キ近 キ事也名モ承シカトモハハカリ有テシルサス此物カタリハ多ク 当世ノ事ヲ記スユヘニ其所其名ヲハハカリテ申サス不定 ノ故ニハアラス凡ソ一切ノ万物ハ一心ノ変スルイハレ始テ 不可驚トイヘトモ此事チカキ不思議ナレハマメヤカニ愛欲ノ/k7-274l
トカ思ヒトケハイト罪フカクコソ覚ヘ侍レサレハ執著愛念ホト ニ恐ルヘキ事ナシ生死ノ久ク流転ノヤミカタキ只此愛欲ノ 所致ナリ肇論ニ云生死ニ流転スル事著欲ニヨル仏神ニモ 祈念シ聖教ノ対治ヲモタツネテ此愛心ヲタチ此情欲ヲヤメ テ真実ニ解脱ノ門ニ入リ自性清浄ノ体ヲ見ルヘシ愛執ツ キサレハ欲網ヲ出ス無始ノ輪廻多生ノ流転只此事ヲ本ト ス何ノ国トカヤ或尼公女ヲ我夫ニアハセテ我身ハ別ノ家ニ 居テ女ニカカリテ侍カ指ノ蛇ニ成タルヲツツミカクシテ当時有 ト云ヘリ昔モカカル事発心集ニ見ヘタリカレハ懺悔シテ念仏ヲ 申ケルママニ本ノ如クナレリト云ヘリ/k7-275r