沙石集
巻7第5話(82) 歯を取る事
校訂本文
南都に、歯取る唐人ありき。ある在家人の、慳貪1)にして、利簡を先とし、ことにふれて商ひ心のみありて、得もありけるが、「虫の食ひたる歯を取らせん」とて、唐人がもとへ行きぬ。
一つ取るには、銭二文に定めたるを、「一文にて取りてたべ」と言ふ。少分のことなれば、ただも取るべけれども、心ざまのにくさに、「ふつと一文にては取らじ」と言ふ。やや久しく論ずるほどに、おほかた取らざりければ、「さらば、三文にては二つ取り給へ」とて、虫も食はぬ、よに良き歯をとりそへて、二つ取らせて、三文取らせつ。心には利分とこそ思ひけれども、傷なき歯を失ひぬる、大きなる損なり。
これは申すに及ばず、大きに愚かなること、をこがましきしわざなり。ただし、世間の人の、利養の心深きは、ことにふれて利分を思ふほどに、因果の道理も知らず、当来の苦果もわきまへず、ただ眼前の幻(まぼろし)の利にふけりて、身の後の菩提の財宝を失なひ、仏法の利を得ざることのみこそ多けれ。上代は、人の心素直に、欲なくして、善根を営みしも、みな、まことしき心に住しき。
宇治殿2)の平等院を建立し、阿弥陀堂供養のありけるに、山僧に、なにがしの阿闍 梨とかや、貴き聞こえあるを、御導師に請じ給へるに、施主分(せしゆぶん)に、「この御堂造立のゆゑに、地獄に落ちさせ給はんことこそ、あさましく侍れ」としたりければ、聴聞の人々までも、興さめてひ思けるに、御供養過ぎて、「いかがして、この罪、懺悔し侍るべき」と仰せられけるを、「この御堂造立の間、非分に人を悩まし給へる分を、御得分の物にて、つぐのひ返し給はば、めでたく侍りなん」と申されければ、ことごとく尋ね聞こし召されて、人夫までも暇(いとま)の分をぞ給ひける。かかる清浄の信心ありて、造り置き給へる寺にて、昔より今に至るまで、焼けず損ぜず。
建仁寺の塔も、たびたびの炎上にまぬかれたり。ゆゑへあるにや。かの寺の古き僧の語りしは、故梶原景時、討たれて後、かの女房3)かのの尼公4)、あまりに歎き悲しみて、すずろに世をも人をも恨み、思ひ沈みてのみありけるを、建仁寺の本願僧正、常には教化せられけり。「何事も自業自得果とて、わが作る業むくひて、善悪の因たがはず。苦楽の果を受くることなり。世をも人をも恨み給ふべからず。故大将殿の御時、よろづの軍(いくさ)の謀(はかりごと)をば仰せ合せられしかば、人の亡び失せしこと、しかるべきことと言ひながら、かのはからひによる。その科(とが)、逃れがたくして、つひに失せられしかば、人の科と思ひ給ふべからず。ただ、恨み歎きをやめて、一筋に後世菩提をとぶらひ給へ」とぞ、よりよりは教訓せられける。
「何事の道理も思えず、ただ口惜とこそ思ひ給へ」とて、歎きの心のみ深かりけれども、常にいさめ教へられけるゆゑに、やうやくことの道理を思ひほどきて、「げにもしかるべきことなり。自業自得果のいはれもさることなり。また、世にあるには、ことにふれて、生死の業こそ積もるべきに、この歎きゆゑに、おのづから遁世の身のごとくなりて、無常身に当りて思ひ知らるることも侍り。かの菩提のために仏法を営めば、今生は歎きに似たれども、当来は頼もしくこそ侍れ。世にあらましかば、いよいよ罪こそ重なりぬべけれ。この世の歎きは、後の世の悦びなるべしと思え給ふれば、今は世をも人をも恨み給はじ。善知識の御恩こそ嬉しけれ」とて、わが身も持斎して、真言行なひけり。
さるほどに、内に信あれば外に徳あらはるることにて、大なる庄を三所(みところ)給はりぬ。僧正も、さればこそ、わが心清き時は、おのづから感あることなり」と申されけり。「さて、故梶原、大きなる者にて侍りしかば、罪もさだめて大きなるらん。いかなる善根を営みてか、かの苦患(くげん)を助けん」と申せば、「事善の中には、塔を立つるこそ、最上の功徳なれ。当寺に塔を立て給へ」と、僧正申されければ、三所の所領の、わが得分の物にて、三年の中に組み立てられにけり。いささかも人のわづらひなかりけるとぞ。信心ありけるゆゑにこそ。
四度の炎上に、わづかに三丈ばかり隔たりて、焦がるるほどなりけるに、焼けざりけるこそ、かへすがへす不思議なれ。かの寺、うち続き炎上あり。棟別(むなべつ)なんどいひて、心ならぬ奉加をもちて功5)を終へける、仏意にかなはずや。
仏6)在世に、舎利弗・目連、広野城といふ国を過ぐるに、その国の人、逃げ隠れけり。鬼神なんどを恐るるがごとし。そのゆゑは、その国に僧ありて、僧坊を造らんとて、人ごとに材木・用途なんどをたびければ、人、これをいとひて、「仏の弟子は人の物乞ふ者なり。また乞はれじ」とて逃げにけり。帰りて、仏にこの事を申す時、御弟子を集めて、具足戒の中に、二つの戒を制し給へり。「わが身のために大きなる坊造るべからず。おほかたの寺は制にあらず」と戒め給ふ。
畜類までも、人の物乞ふをばいとふことなり。昔、林の中にして、定を修するものありけり。心を静めて修せんとするに、林に鳥集まりて、かまびすしかりければ、仏にこのことを歎き申すに、「その鳥に、羽一羽(ひとは)づつ乞へ」とのたまふ。さて、帰りて乞ひければ、一羽づつ食ひ抜きて取らす。また次の日乞ひける時、鳥どもいはく、「わが身は羽をもてこそ、空をかけりて、食をも求め命をも助くるに、かく日々に乞はれんには、みな失せてん。この林に住めばこそ、かかることもあれ」とて、飛び去りぬ。
また、恒伽河のほとりに梵志ありて、梵行を修す。川の中より大蛇出でて、常には身にまとはれて、慣れ親しむ。いぶせく、むつかしく思えて、仏に歎き申すに、仏のたまはく、「かの蛇は玉持てりや」と問ひ給ふ。「首に持ちて侍り」と申す。「さらば、その玉を乞へ」と仰せらる。さて、梵志、その玉を乞ひければ、「なんぢは小欲知足なるゆゑにこそ、なつかしく思ひてむつびつれ。わが玉は、ただ一つ持てる宝なり。与ふべからず」とて、その後は来たらず。かかる因縁を引き給ひて、房戒をば制し給ひけり。
されば、仏法修行は、身に行じ、心に勤むべし。しかれば、上代の人、器量も堪えたりしは、樹下・石上・茅屋・巌窟にてこそ修行しけれ。中古よりこのかた、寺舎の建立こまやかなり。人の根機下れるゆゑなり。風雨を防ぎ、病苦をのがるるほどの房舎ならば、こと足りぬべし。近代は美麗につくること、仏意にかなはじかし。在家の有徳の檀那なんどの営まんをも、信施の重きことをいたむべきに、仏子として、道業をばむねとせずして、造営功夫(くふう)を入るる。道人の儀にあたはずこそ。
昔の禅師は、大なる寺に五度(たび)長老することありしかども、椽(たるき)一つをも動かさずと言へり。寺は仏法にあらず。ただ生身を助くる縁なり。道これ仏法なり。心に深く染むべし。修行を助くるほどの縁あらば足りぬべし。そのほかの荘厳、あながちに要にあらず。
像法決疑経にいはく、「われ滅後、像法の時は、堂塔仏像多くして、道のほとりに満ちて、人、恭敬の心あるべからず。これ、わが法の滅すべき相」と説かれたり。近代の作法、仏の懸記にたがはずこそ。
仏弟子、なほ仏意にそむく。まして、在家の俗士、堂塔を建立する、多くは名聞のため、あるいは家の飾りのため、あるいはこれによりて利を得るもあり、あるいは酒宴の座席・詩歌の会所として、無礼のことども多し。または世間の雑具を置き、または客人の寄宿に当つ。滅罪の行儀少なく、生善の浄業まれなり。
しかれども、造営の間に人を悩まし、所をわづらはし、非分の公役(くやく)なんどを行ふに、貧しき民は妻子を売り、家財を尽し、憂悲苦悩すること聞こゆ。かかれば、福を得ることは少なく、罪を得ることは多し。しかれば、未来に楽は少なく、苦は多かるべきなり。これは、当時は得分と思ひあへども、大きなる損なり。歯取らせたる損よりも、なほをこがましきことにや。当来には悪趣の苦を受け、まれに人間に生れても、病苦にまとはれ苦しみあるべし。
天竺に戒賢論師といひしは、付法蔵の三蔵、やんごとなき智者にて、玄奘三蔵の師なり。重病に沈みて、苦痛忍びがたかりければ、「自害せん」と思ひたちけるを、夢に聖人来たりて、告げていはく、「なんぢ、自害すること愚かなり。先世に、国王として、民を悩ましたりし報ひなり。たとひ生を変ふるとも、苦は逃れがたし。今三年ありて、償(つぐ)のひ終るべし」と。はたして、三年といふに、病癒えにけり。
およそ、出家としては、衆生を悩乱することを痛み、施物を用ゐることを恐れて、小欲知足にして、釈子風儀を学ぶべきに、末代は如説の行儀すたれ、真実の道念なきままに、清浄の仏法を名利の心に汚(けが)し、解脱の行儀を渡世の計(はかりごと)とすること、悲しきかな。王臣、寺舎を建立して、料庄供料等をあておくこと、仏事を助け、福業を得んと思ふ心ざしなり7)。
しかれば、諸寺の僧侶は、信心の檀那の善願を助けて、この資縁をもて、わが学する所の仏法を行じ、施主の崇むる所の法を勤めて、わが身の滅罪にもあて、檀那の福業を祈るべし。しからば、自他の利益あるべし。もし、ただ利養のみ思ひて、その行業ことなく行ずといふとも、なほざりに勤めて、供料をのみ用ひば、当時は得分に似たりとも、施主の福を失なひ、わが信 施消せずして、当来に苦をうけつぐのふべし。まことには損なること、かの歯取らせたるがごとし。
また、観音品8)に、「商人、重宝を包みて、険路を過ぐるに、怨賊(をんぞく)にあふ。商主、余りの商人(あきびと)を教へて、一心に観音を念ぜしめて、賊の難をまぬかる」と説けり。世間の利益は文のごとし。観心の釈を言はば、一切衆生の心中に、仏性の宝を持てり。しかるに、第八識の心王は商主のごとし。心所は商人のごとし。六塵は賊のごとし。六根、もし六境に着すれば、自性の宝を奪はる。目は色の賊のために、眼の自性の宝を奪はれ、乃至(ないし)、意は法の賊のために、意の自性の宝を奪はる。もし、心の外に法を見ず、眼に一心をなして眼色をとらず、意法に着せざる時は、犯す事なし9)。一心称名といふは、この意(こころ)なり。能所の意なく、執着の思ひとどむ時、当所に解脱す。わづかにも六塵を縁する、これ流転なり。怨賊に犯さるる義なるべし。
老子いはく、「合抱之木生於毫末、九層之台起於累土。(合抱の木は毫末に生じ、九層の台は累土より起こる。)」文10)。古徳言へり、「毫釐も念を繋くれば三途の業因。幣爾も情生ずれば万劫の羈鏁」。文11)。経にいはく、「当処出生当業輪転」と。
しかれば、一念の妄心、無窮の生死の根本なり。この一念、仏性を奪ふ賊なり。また、宝蔵を開く媒(なかだち)なり。仏性霊光は一精明なり。六塵の縁に隔てらる。これを生死と言ひ、眼にあるを見(けん)と言ひ、耳にあるを聞(もん)と言ひ、鼻と舌と身にあるを覚(かく)と言ひ、意にあるを知(ち)と言ふ。この見聞覚知(けんもんかくち)、六塵に着せずして、現量無分別なる、これ本分の霊光自性の宝蔵なり。
六境を縁じ執著するを、失なふと言ふ。まことに失すべきにはあらねども、知らず用ゐず。これを失ふと言ふ。されば道人は、この心をわきまへて六境を取らずば、自性の宝、全(また)かるべし。わづかにも六塵を取らば、宝を失ふなり。
無尽の荘厳、恒沙の万徳を、幻夢の塵境に奪はるること、かのつつがなき歯を取らせけん俗の心に変らじ。今生一期の身の上の、仮なる歯を取られたるよりも、当来多却の心中の、まことの財(たから)失はんこと、はるかにをこがましき心なるべし。
よくよくこの心を思ひ知りて、自己の宝蔵を開き、本来の法財を用ひ給はば、この物語書き置き侍るしるしなるべし。
翻刻
歯取事 南都ニ歯取唐人有キ或在家人ノ恠貪ニシテ利簡ヲサキトシ/k7-261l
事ニフレテアキナヒ心ノミアリテ得モアリケルカ虫ノクヒタルハ ヲトラセントテ唐人カモトヘユキヌ一トルニハ銭二文ニサタメ タルヲ一文ニテトリテタヘトイフ少分ノ事ナレハタタモトルヘケ レトモ心サマノニクサニフツト一文ニテハトラシト云ヤヤヒサシク 論スルホトニオホカタトラサリケレハサラハ三文ニテハ二ツトリ 給ヘトテ虫モクハヌヨニヨキハヲトリソヘテ二トラセテ三文トラ セツ心ニハ利分トコソ思ケレトモキスナキハヲウシナヒヌル大ナル 損ナリ是ハ申ニヲヨハス大ニヲロカナル事オコカマシキシワサナ リ但シ世間ノ人ノ利養ノココロフカキハ事ニフレテ利分ヲ思 程ニ因果ノ道理モシラス当来ノ苦果モワキマヘスタタ眼前 ノマホロシノ利ニフケリテ身ノ後ノ菩提ノ財宝ヲウシナヒ仏法 ノ利ヲエサル事ノミコソオホケレ上代ハ人ノ心スナホニ欲ナクシテ/k7-262r
善根ヲイトナミシモ皆マコトシキ心ニ住シキ宇治殿ノ平等院 ヲ建立シ阿弥陀堂供養ノアリケルニ山僧ニナニカシノ阿闍 梨トカヤ貴キ聞ヘ有ルヲ御導師ニ請シ給ヘルニ施主分ニ此 御堂造立ノ故ニ地獄ニ落サセ給ハン事コソ浅猿ク侍トシタ リケレハ聴聞ノ人々マテモ興サメテ思ケルニ御供養スキテイ カカシテ此罪懺悔シ侍ヘキト仰ラレケルヲ此御堂造立ノ間非 分ニ人ヲ悩シ給ヘル分ヲ御得分ノ物ニテツクノイ返シ給ハハ 目出ク侍リナント申サレケレハ悉クタツネ聞食レテ人夫マテモ イトマノ分ヲソタマヒケルカカル清浄ノ信心有テツクリヲキ給ヘ ル寺ニテ昔ヨリ今ニイタルマテヤケス損セス建仁寺ノ塔モタヒ タヒノ炎上ニマヌカレタリユヘアルニヤ彼寺ノフルキ僧ノカタリシ ハ故梶原景時打レテノチ彼女カノノ尼公アマリニナケキカナ/k7-262l
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ケリ心ヲ静メテ修セントスルニ林ニ鳥アツマリテカマヒスシカリケ レハ仏ニ此事ヲナケキ申ニソノ鳥ニ羽一ハツツコヘトノ給サテ 帰テコヒケレハヒトハツツクヒヌキテトラス又次日コヒケル時鳥 共云ク我身ハ羽ヲモテコソ空ヲカケリテ食ヲモ求メ命ヲモタス クルニカク日々ニコハレンニハ皆ウセテン此林ニスメハコソカカル 事モアレトテトヒサリヌ又恒伽河ノ辺ニ梵志有テ梵行ヲ修ス 河ノ中ヨリ大蛇イテテツネニハ身ニマトハレテナレシタシムイフセ クムツカシクオホエテ仏ニナケキ申ニ仏ノタマハクカノ蛇ハ玉モ テリヤト問給クヒニモチテ侍ト申スサラハソノ玉ヲコヘト仰セラ ルサテ梵志ソノ玉ヲコヒケレハ汝ハ小欲知足ナル故ニコソナツ カシク思テムツヒツレ我玉ハ只一モテル宝ナリアタフヘカラスト テソノ後ハキタラスカカル因縁ヲヒキ給テ房戒ヲハ制シ給ケリ/k7-264l
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ニミチテ人恭敬ノ心アルヘカラス是我法ノ滅スヘキ相トトカレ タリ近代ノ作法仏ノ懸記ニタカハスコソ仏弟子猶ヲ仏意ニ ソムクマシテ在家ノ俗士堂塔ヲ建立スルオホクハ名聞ノタメ 或ハ家ノカサリノタメ或ハ是ニヨリテ利ヲウルモアリ或ハ酒宴 ノ座席詩歌ノ会所トシテ無礼ノ事共オオシ又ハ世間ノ雑 具ヲヲキ又ハ客人ノ寄宿ニアツ滅罪ノ行儀スクナク生善ノ 浄業マレナリ然モ造営ノ間ニ人ヲ悩シ所ヲワツラハシ非分ノ 公役ナントヲ行ナフニ貧キ民ハ妻子ヲウリ家財ヲツクシ憂悲 苦悩スル事聞ユカカレハ福ヲウル事ハスクナク罪ヲウル事ハオ オシ然レハ未来ニ楽ハスクナク苦ハ多カルヘキナリ是ハ当時ハ 得分ト思アヘトモ大ナル損ナリ歯トラセタル損ヨリモ猶オコカ マシキ事ニヤ当来ニハ悪趣ノ苦ヲウケマレニ人間ニ生テモ病/k7-265l
苦ニマトハレクルシミアルヘシ天竺ニ戒賢論師トイヒシハ付 法蔵ノ三蔵ヤンコトナキ智者ニテ玄奘三蔵之師也重病ニ シツミテ苦痛忍ヒカタカリケレハ自害セント思タチケルヲ夢ニ 聖人来テ告テイハク汝自害スル事ヲロカナリ先世ニ国王ト シテ民ヲナヤマシタリシ報也タトヒ生ヲカフルトモ苦ハノカレカタ シ今三年アリテツクノヒヲハルヘシトハタシテ三年ト云ニ病イヱ ニケリ凡ソ出家トシテハ衆生ヲ悩乱スル事ヲ痛ミ施物ヲ用ル 事ヲ恐テ小欲知足ニシテ釈子風儀ヲマナフヘキニ末代ハ如 説ノ行儀スタレ真実ノ道念無キママニ清浄ノ仏法ヲ名利 ノ心ニケカシ解脱ノ行儀ヲ渡世ノ計トスル事悲哉王臣寺 舎ヲ建立シテ料庄供料等ヲアテヲク事仏事ヲタスケ福業ヲ 得ント思心サシナクシカレハ諸寺ノ僧侶ハ信心ノ檀那ノ善/k7-266r
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賊ノタメニ眼ノ自性ノ宝ヲウハハレ乃至意ハ法ノ賊ノタメニ 意ノ自性ノ宝ヲウハハルモシ心ノ外ニ法ヲミスメニ一心ヲナシテ 眼色ヲトラス意法ニ著セサル時ハヲカ事スナシ一心称名ト 云ハ此ココロナリ能所ノ意ナク執著ノ思止時当所ニ解脱ス ワツカニモ六塵ヲ縁スル是流転ナリ怨賊ニヲカサルル義ナルヘ シ老子云合抱之木生於毫末九層之臺起於累土(文)古 徳イヘリ毫𨤲繋念ヲ三途業因幣爾モ情生スレハ万劫ノ 羈鏁(文)経云当処出生当業輪転ト然レハ一念ノ妄心無 窮ノ生死ノ根本也此一念仏性ヲウハフ賊也又宝蔵ヲ開 ク媒ナリ仏性霊光ハ一精明ナリ六塵ノ縁ニヘタテラル是ヲ 生死ト云眼ニ有ヲ見トイヒ耳ニ有ヲ聞トイヒ鼻ト舌ト身ニ 有ヲ覚トイヒ意ニ有ヲ知ト云此見聞覚知六塵ニ著セスシテ/k7-267r
現量無分別ナルコレ本分ノ霊光自性ノ宝蔵ナリ六境ヲ縁 シ執著スルヲウシナフトイフマコトニウスヘキニハアラネトモ不知 不用是ヲ失フト云フサレハ道人ハ此心ヲワキマヘテ六境ヲト ラスハ自性ノ宝マタカルヘシワツカニモ六塵ヲトラハ宝ヲ失ナ リ無尽ノ荘厳恒沙ノ万徳ヲ幻夢ノ塵境ニウハハルルコト 彼ツツカナキ歯ヲトラセケン俗ノ心ニカハラシ今生一期ノ身 ノ上ノカリナル歯ヲトラレタルヨリモ当来多却ノ心中ノ誠ノ 財失ハン事ハルカニオコカマシキ心ナルヘシ能々此心ヲ思シリ テ自己ノ宝蔵ヲ開キ本来ノ法財ヲ用ヒ給ハハコノ物語書 置侍ルシルシナルヘシ 沙石集巻第七上終/k7-267l