沙石集
巻7第4話(81) 死の道を知らざる人の事
校訂本文
鎮西に、土佐の寺主(じしゆ)といふ僧ありけり。知りたる僧に会ひて語りけるは、「某(それがし)は、『念仏も申さじ。一切の善根もせじ』と年ごろは思ひ候ひつるが、近ごろより、『念仏をも申し、善根をも営まばや』と存じ候ふ。そのゆゑは、日ごろはすべて死ぬべしとも思えず。『死ぬるにとりてこそ、後生の営みはすべけれ』と思ひて過ぐし候ひつるが、『死にやし候はんずらん』と、怪しきこと候ふなり。そのゆゑは、父にて候ひし者も死に候ひぬ、母にて候ひし者も死に候ひぬ、伯父・伯母、また兄にて候ひし左衛門尉も死に候ひぬ。死ぬる一家にて候ふが怪しく候ふ」とぞ言ひける。
この僧はさかしき者にて、世の人の心を表して言ひけるなるべし。げに、みな人の知り顔にして知らぬは、死することなり。まことに知るならば、五欲の財利も何かせん。冥途の資糧つつむべし。わづかに近き道行かんとても、心のひまなく出で立つぞかし。まして、包める糧(かて)もなく、頼める伴(とも)もなくして、遥かなる黄泉の旅、近付くことを思ふには、何事も忘るべきに、口には無常の道理を言ひて、知り顔なれども、心には常住の思ひに住して、百年の貯へを傾(かたぶ)く。
頭に雪をいただき、面に波を畳みつつ、一生は尽くれども、希望(けまう)は尽きざるは、人の常の心なり。無常を知ると知らざるとは、執心の有りと無きとに分かれたり。口に言ふを頼むべからず。
昔、阿育大王1)、南閻浮提(なんゑんぶだい)の主(しう)として、深く仏法に帰す。滅後百年の王なれば、正法のときにて、羅漢の聖者多かりけり。鶏雀寺2)の僧、二万の羅漢を、常に宮の中に請じて、供養し給ひけり。
大王の弟の阿輸伽3)は仏法を信せずして、衆愚の供養を受くることを、そねみ憎みけり。大王、弟に語り給はく、「僧は供養を受くれども、無常を観ずるゆゑに、五欲の境に着することなし」と。阿輸伽、この言葉を信せず。「大王調伏せん」と思ひて、王位を弟に譲るべきよしを聞かしむ。
阿輸伽、その用意しけるをうかがひて、「われに別のことなきに、わが位を奪はんとす。その科(とが)、死罪に定むべし。ただし、国の位を望めば、七日の間、南閻浮提の主となす。五欲の楽しみ、心にまかすべし。七日の後は殺害すべし」とて、宮の内に閉ぢこめて、王位のごとくあがめながら、旃陀羅(せんだら)をもて門を守護せしむ。旃陀羅に仰せ付けて、「朝な朝な鈴を振りて、一日すでに過ぎぬ。六日ありて害し奉るべし」と言ふ。
かくのごとく乃至(ないし)、「六日すでに過ぎぬ。余り一日ありて害すべし」と言はしむるに、鈴の音耳に入り、胸ふさがりて、五欲の境、かつて心にかからず。大王、使者をやりて、問ひてのたまはく、「王位に居て、いかばかりの楽ありや」と。阿輸伽王答ふ、「旃陀羅が鈴の音を聞くに、心も肝も身にそはず。五欲の境あれども、見ず聞かず」と。
さて、昼夜に無常を観じて、寝食を忘れて、一心に道を修し、七日ありて、初果を得つ。その後、大王これを許す。
無常のことわり、これほどに恐るる心あらば、月日の早く過ぐる影を見んにつけて、朝夕の鐘の声を聞かんにつけても、「今日の命すでに過ぎぬ4)。余り何日ぞ」と思へば、五塵・六欲・妻子・珍宝・名聞・利養・富貴・栄耀、なにものか心をとどむべき。羊の歩みを心にかけ、少水の魚に思ひをすまして、道業を営み、浄土を願ふべきなり。流転生死のぞめきに、身も苦しく、心も乱れて、過ぐる月日も覚えず、近付く冥途を忘れんこと、かへすがへすも愚かにをこがましくこそ。これただ無明の酒に酔(ゑ)ひ、煩悩の鬼に悩まさるるゆゑと思ひて、はやく長夜(いやうや)の眠をおどろかし、急ぎて生死の夢を覚ますべきをや。心あらん人、冥途の用意おろそかなるべからず。人ごとに身を思はぬ人なし。ただ一期の栄花をのみ思ひて、今日か明日か、必ず行くべき冥途の旅の、用意なきことこそ、かへすがへすも愚かに侍れ。
如夢僧都5)は、大井川の御幸に、三衣箱の底に烏帽子を用意して、泉の大将6)の、烏帽子を河風の水に吹き入れたりける時、取り出でて高名したりとこそ、申し伝へ侍れ。まして、人ごとに行くべき道の支度は、かしこげなる人も、用意なきこそ愚かなれ。眼のまじろき、息のかよふほどこそ、威勢種姓、栄花重職もあるに似たれ。命尽き、神去りぬれば、、過去・今生の業にまかせて、悪業多ければ悪趣に沈み、苦しみ重かるべきことの思ひ入れずして、何となく遊び戯(たはぶ)れて、明かし暮らすこと、よくよく思ひはからひて、これを愚かにをこがましと知りて、菩提心をおこし、菩提の行を励むべきなり。
醍醐の御門7)、隠れさせ給ひて後、日蔵上人、承平十四年四月十六日より、笙の 岩屋にこもり、同八月一日午時頓死して、同十三日に蘇りて、冥途のことをなん語りけるは、御門、四つの鉄の山の、高さ四・五丈ばかりなる、その内なる茅屋(ばうおく)にぞおはしける。「われは、寛平法皇8)の御子なり。在位の間、五つの重き罪ありき。法皇の御心にそむきしことと、菅丞相9)のこと、ことにその科(とが)重くして、苦報を受くること久し。主上ならびに国母に申して、この苦患救ふべき」よし、御あつらへありけり。
御門と三臣10)とともに、赤き灰の上にうずくまり給へり。御門ばかりは御衣を召す。残りは、みな裸(はだか)なり。おのおの悲涙を流しむせみけり。上人、このことを承りて、かしこみ給ひければ、「冥途には貴賤を論ぜず。罪なきを貴しとす。われを敬ふことなかれ」と仰せられけり。
上人、涙を流して、山の外に出でければ、四つの山、ひしと合ひにけり。高岳の親王11)、この心を読み給へるにや、
いふならく那落の底に入りぬれば刹利(せつり)も首陀(しゆだ)もかはらざりけり
翻刻
死之道不知人事 鎮西ニ土佐ノ寺主トイフ僧有ケリシリタル僧ニアヒテカタリ/k7-258l
ケルハ某ハ念仏モ申サシ一切ノ善根モセシト年来ハ思候ツ ルカ近比ヨリ念仏ヲモ申シ善根ヲモ営ハヤト存候ソノ故ハ 日来ハスヘテ死ヌヘシトモオホエス死ヌルニトリテコソ後生ノ営 ミハスヘケレト思テスクシ候ツルカ死ニヤシ候ハンスラントアヤシキ 事候ナリソノ故ハ父ニテ候シ者モ死ニ候ヌ母ニテ候シ物モ死 候ヌヲチヲハ又兄ニテ候シ左衛門尉モ死ニ候ヌ死シヌル一 家ニテ候カアヤシク候トソイヒケルコノ僧ハサカシキモノニテ世 ノ人ノ心ヲ表シテイヒケルナルヘシケニミナ人ノシリカホニシテシラヌ ハ死スル事也誠ニシルナラハ五欲ノ財利モナニカセン冥途ノ 資糧ツツムヘシワツカニチカキ道ユカントテモ心ノヒマナク出立 ツソカシマシテツツメルカテモナクタノメル伴モナクシテハルカナル黄泉 ノ旅チカツク事ヲ思フニハ何事モワスルヘキニ口ニハ無常ノ道/k7-259r
理ヲイヒテ知リカホナレトモ心ニハ常住ノ思ヒニ住シテ百年ノ 貯ヲカタフク頭ニ雪ヲイタタキ面ニ波ヲタタミツツ一生ハツクレ トモ希望ハツキサルハ人ノ常ノ心也無常ヲ知ルト知サルトハ 執心ノ有トナキトニワカレタリ口ニ云ヲタノムヘカラス昔シ阿 育大王南閻浮提ノ主トシテフカク仏法ニ帰ス滅後百年ノ王 ナレハ正法ノトキニテ羅漢ノ聖者オホカリケリ雞雀寺ノ僧二 万ノ羅漢ヲツネニ宮ノ中ニ請シテ供養シ給ケリ大王ノ弟ノ阿 輸伽ハ仏法ヲ信セスシテ衆愚ノ供養ヲウクルコトヲソネミニクミ ケリ大王弟ニカタリ給ハク僧ハ供養ヲウクレトモ無常ヲ観ス ル故ニ五欲ノ境ニ著スル事ナシト阿輸伽コノコトハヲ信セス 大王調伏セント思テ王位ヲ弟ニ譲ルヘキヨシヲ聞シム阿輸 伽ソノ用意シケルヲウカカヒテ我ニ別ノ事ナキニ我カ位ヲウハ/k7-259l
ハントスソノトカ死罪ニサタムヘシ但シ国ノ位ヲノソメハ七日 ノ間南閻浮提ノ主トナス五欲ノタノシミ心ニマカスヘシ七日 ノ後ハ殺害スヘシトテ宮ノ内ニトチコメテ王位ノ如クアカメナ カラ旃陀羅ヲモテ門ヲ守護セシム旃陀羅ニ仰付テアサナアサナ 鈴ヲフリテ一日ステニスキヌ六日アリテ害シタテマツルヘシトイ フカクノコトク乃至六日ステニスキヌアマリ一日アリテ害スヘシ トイハシムルニ鈴ノ音耳ニ入リムネフサカリテ五欲ノ境カツテ 心ニカカラス大王使者ヲヤリテ問テノ給ハク王位ニ居テイカ ハカリノ楽有ヤト阿輸伽王答フ旃陀羅カ鈴ノ音ヲキクニ心 モ肝モ身ニソハス五欲ノ境アレトモ見ス聞ストサテ昼夜ニ無 常ヲ観シテ寝食ヲワスレテ一心ニ道ヲ修シ七日アリテ初果ヲ ヱツソノ後大王是ヲユルス無常ノ理是ホトニ恐ルル心アラハ/k7-260r
月日ノハヤクスクル影ヲ見ンニ付テ朝夕ノ鐘ノ声ヲキカンニツ ケテモ今日ノ命ステニスキスアマリ何日ソト思ハ五塵六欲 妻子珍宝名聞利養富貴栄耀ナニ物カ心ヲトトムヘキ羊ノ 歩ヲ心ニカケ少水ノ魚ニ思ヲスマシテ道業ヲイトナミ浄土ヲネ カフヘキナリ流転生死ノソメキニ身モクルシク心モミタレテスク ル月日モオホヱスチカツク冥途ヲワスレン事返々モヲロカニオ コカマシクコソコレタタ無明ノ酒ニヱイ煩悩ノ鬼ニナヤマサル ル故ト思テハヤク長夜ノ眠ヲオトロカシイソキテ生死ノ夢ヲサ マスヘキヲヤ心アラン人冥途ノ用意ヲロソカナルヘカラス人コ トニ身ヲ思ハヌ人ナシタタ一期ノ栄花ヲノミ思テ今日カ明 日カ必スユクヘキ冥途ノタヒノ用意ナキ事コソ返々モヲロカニ 侍レ如夢僧都ハ大井川ノ御幸ニ三衣箱ノ底ニ烏帽子/k7-260l
ヲ用意シテ泉ノ大将ノ烏帽子ヲ河風ノ水ニフキ入タリケル時 取出テテ高名シタリトコソ申伝侍レマシテ人毎ニユクヘキ道ノ 支度ハカシコケナル人モ用意ナキコソヲロカナレ眼ノマシロキイ キノカヨフホトコソ威勢種姓栄花重職モアルニ似レ命ツキ神 サリヌレハ過去今生ノ業ニマカセテ悪業多ケレハ悪趣ニシツ ミ苦シミヲモカルヘキ事ノ思イレスシテナニトナクアソヒタハフレテ アカシクラス事ヨクヨク思ハカラヒテ是ヲオロカニオコカマシトシリ テ菩提心ヲ起シ菩提ノ行ヲハケムヘキナリ醍醐ノ御門カクレ サセ給テノチ日蔵上人承平十四年四月十六日ヨリ笙ノ 岩屋ニコモリ同八月一日午時頓死シテ同十三日ニヨミカ ヘリテ冥途ノ事ヲナンカタリケルハ御門四ノ鉄ノ山ノ高四五 丈ハカリナル其ウチナル茅屋ニソ御坐ケル我ハ寛平法皇ノ御/k7-261r
子ナリ在位之間五ノ重キ罪有キ法皇ノ御心ニソムキシ事 ト菅丞相ノ事殊ニ其科ヲモクシテ苦報ヲウクル事ヒサシ主上 并ニ国母ニ申テ此苦患スクフヘキヨシ御アツラヘアリケリ帝 ト三臣ト共ニ赤キ灰ノ上ニウスクマリ給ヘリ帝ハカリハ御衣 ヲメス残リハミナハタカナリヲノヲノ悲涙ヲナカシムセミケリ上人 此事ヲ承テ畏給ケレハ冥途ニハ貴賤ヲ論セス罪ナキヲ貴シ トス我ヲウヤマフ事ナカレト仰ラレケリ上人涙ヲナカシテ山ノ 外ニ出ケレハ四ノ山ヒシトアヒニケリ高岳ノ親王此心ヲ読 給ヘルニヤ イフナラク那落ノ底ニ入ヌレハ刹利モ首陀モ替ラサリケリ/k7-261l