沙石集
巻7第1話(78) 眠りの正信房の事
校訂本文
和州菩提山の本願僧正御房に、忠寛正信房といふ僧ありけり。あまりに眠(ねぶ)りければ、眠りの正信とぞ申しける。
御舎利講の法用散華すべかりけるが、唄(ばい)引くほどに、例の眠りけるを、唄終りて、そばなる僧、おどろかしければ、眠るものから、また物怱(ぶつそう)なる僧にて、錫杖を取りて、「手執錫杖(しゆしふしゃやくじやう)」と誦しけるを、「いかにや」と言はれて、「やら、唄かと思ひて」とぞ言ひける。
また、ある夜、九番鳥(くばんどり)1)の鳴きけるを、眠耳(ねみみ)に、御所に、「忠寛、忠寛」と召すと聞きなして、ことごとしく御いらへ申して、御前へ参る。「いかに、何事ぞ」と仰せらるれば、「召しの候ひつる」と申す。「さることなし」と仰せありければ、鳥2)のなほ空に声のするを指さして、「あれに召しの候ひつる」とぞ申しける。
ある時、御湯の後、汗に濡れたる御小袖を伏籠(ふせご)にうちかけて、例の物忽は、濡れたる方を上にして、盛りなる火にあぶりて、眠り居たるほどに、「とく参らせよ」と仰せのありけるに、おどろきて見れば、白御小袖籠の形(かた)付きて、香色(かういろ)に焦がれてけり。「あさまし」と思ひて、かひ巻きて、濡れたる方を上にして、持ちて参りぬ。「いまだ濡れたるはいかに」と仰せらるれば、「ただ奉り候へ。下は焦がれて候ふ」とぞ申しける。「尾籠(びろう)なり」と仰せられて、御小袖は給はりてけり。
近ごろ、興福寺の東門院にありける児、隠所(いんじよ)に居たりけるに、春日山の方より、鵄(とび)一つ来たりて、この児の前に眠り居たり。恐しさに、腰刀を抜きて、はたと切りて、やがて絶入(ぜつにふ)したりけるを、人見付けて、房へかき入りて、祈りけり。刀に血付き、鵄の毛散りたりけり。さて、口ばしりて、「忠寛が何となく眠り居たるを、あやまちたること、やすからず」とぞ言ひける。とかく祈りこしらへて、別事なかりけり。先生に眠りしが、生を隔てても眠りけるにこそ。
習因習果といふこと侍り。わきまへ知るべし。常に心に思ひそみ、身にしなれぬることは、生を経れども、あひ継ぎて忘れず。捨てがたくして、おのづからせられ、思はるるなり。
仏3)の御弟子舎利弗(しやりほつ)は、五百生、蛇にてありけるゆゑに、瞋恚(しんい)の相見えけり。難陀(なんだ)は色にふける心深かりけるが、羅漢の果を得て後も、まづ女人に目をかけけり。難陀は仏の御弟なり。悉達太子、御出家の後は、輪王の位を継ぐべき仁にてありけるを、「出家の期、至れり」と思し召して、仏、御鉢を持して、難陀が家に乞食し給ふ。難陀、御鉢を取りて、飯を入れて、みづから送り奉るに、仏はすでに過ぎさせ給ひぬ。阿難に伝へて奉るに、阿難、「みづから送り奉るべし」と言ふによて、祇園精舎へ持ちて参ず。仏、「出家すべし」とて、やがて髪を剃らしめ給ふ。孫陀利(そんだり)といふ后を思ひて、その志深くして、出家の志なしといへども、仏の威に恐れて髪を剃る。心中には、逃げ返るべき心地なり。
仏も御弟子の比丘僧も、みな請(しやう)を受けて出で給ふ。難陀をもつて、寺を守(まぼ)らしむ。「この隙に家へ帰らん」と思ひて、堂の扉(とびら)をたておさむるに、東を閉づれば西開(ひら)け、西を閉づれば東開く。かかれども、「われ国王となりなば、寺を造り、寺の物失せたりとも、つぐのひ返すべし。この隙に逃げん」と思ひて、家へ帰る。
大道を過ぎば、仏の帰り給はんに会ひ奉らんことを恐れて、小路より帰るに、仏、知ろし召して、小路より帰り給ふ。仏と大衆と帰り給ふをはるかに見て、木に登りて隠る。仏の過ぎ給ふ時、風、木の葉を吹き開きて、難陀が身現はる。仏、「いかに帰る」と問ひ給へば、「孫陀利が恋しく候ひて帰る」と申すに、「いざ」とて、また具して寺へ帰り給ひぬ。
仏、方便して心をすすめんために、「雪山(せつせん)や見んと思ふ。いざ」とて、御衣の裾(すそ)に取り付かせて、具しておはします。雪山を見巡り給ふに、妻猿(めざる)の火に焼けて盲目なるあり。仏、問ひ給はく、「なんぢが愛する孫陀利と、この猿と、いづれか見目よき」と。答へていはく、「孫陀利は天下に並びなき美人にて候ふ。たとふべきにあらず」と申す。さて、帰り給ひぬ。
また、「天上や見たき」と仰せられて、御衣の裾に取り付かしめて、忉利天へ具して上り給ふ。天上のよそほひ、天人の体、まことにめでたかりけり。所々を見せさせ給ふに、天人、みな夫婦どもなるに、ある天人、女天ばかりにして男天なし。仏にそのよしを問ひ奉る。仏、天人に問はしむ。難陀、天女にゆゑを問ふ。天女、答へていはく、「仏の御弟に難陀と申すなる人、持戒の徳によりて、この天に生じて、わが夫たるべし」と言ふ。仏、難陀に問ひ給はく、「なんぢが后と、この天女と、いづれかまされる」と。答へて申さく、「雪山の猿の孫陀利に劣れるよりも、孫陀利はなほ劣れり」と言ふ。さて、閻浮に帰りて、この天女のことを思ひて、后のことも忘れて、一心に戒行を守りて、天に生ぜんことを願ふ。
かかるほどに、難陀、座することあれば、余の比丘、座を立ち去りて、一座に座する僧なし。阿難の座に居るに、また立ち去る。難陀いはく、「なんぢとわれと堂弟なり。何によて、一座に座せざる」と。「余の僧衆の座せざることも、そのゆゑ知りがたし」と言ふに、阿難いはく、「なんぢとわれらと、その意楽(いげう)異なり。このゆゑに同座せず。なんぢは欲のために戒を持(たも)つ。われらは涅槃のために戒を持つによて、なんぢが心汚(けが)れたり。一つ座に居るべからず」と言ふ。
仏、また「なんぢ、地獄や見んと思ふ」とて、地獄へ具しておはす。八寒八熱等の諸の地獄見せ給ふ。みな罪人ありて、苦を受く。その中にある地獄、釜も獄卒もあれども、罪人なし。仏に問ひ奉る。仏、獄卒に問はしめ給ふ。難陀、獄卒にそのよしを問ふ。獄卒、答へていはく、「仏の御弟に、難陀と申すなる僧、持戒の業によりて、忉利天に生じて、一千歳の楽を受け、その後、この地獄に落ち給ふべし。さて、かまへおけり」と言ふ。これを聞きて、身の毛いよ立ち、天女のことも忘れて、涅槃のために戒を持ち、つひに羅漢の果を得たり。
仏の方便こそかたじけなけれ。「欲の鈎(つりばり)をもつて引きて、道に入る」といふ、これなり。古(いにしへ)の人は、信あるゆゑに、愛を捨てて道に入る。今の世の人は、かくのごときの道理を聞けども、心動かずして、悪趣に帰るにや。悲しきかな。楽を受くる時は、苦を忘る。苦を受くる時は、楽を忘る。かへすがへすも、つたなく愚かなり。「難陀、欲のために戒を持ち、習因忘れず」と言へるは、このことなり。聖者となりても、なほ習因断ちがたし。凡夫、いかでかその過(とが)なからん。
また仏、阿難とともに道を過ぎ給ふに、田かへす者、二人あり。一人は、「仏の出世、会ひがたし。礼し奉らん」とて、手口すすぎて、仏の所に詣づ。一人は、「仏はいつも礼してん。今日せでは」とて、田かへしけり。阿難、「いかなる因縁ありてか、一人は礼し奉り、一人は礼し奉らぬ」と問ひ奉る。仏のたまはく、「二人ともに、七仏の出世にあへりき。一人は、今日のごとく七仏ともに礼せずして、今に善根の因なし」とこそ仰せられけれ。
これ、懈怠(けだい)の習果なり。昔の心をば習因といふ。それに答へて、またその心の絶えずして、あひついで来たるを習果といふなり。されば、貪欲・瞋恚等の心の常におこらん人は、生を経(ふ)とも、やみがたかるべしと知りて、恐れ遠ざかり、対治の観念、滅罪の方法を営むべし。
古人のいはく、「熟処4)を捨てて生(なま)しからしめ、生処を習ひて熟5)せしめよ」と言へる心は、熟処と言ふは無始の煩悩・妄想、よくよくなれたることにて、自然に心にあり。この心を捨てて生しくせよと言へり。「生し」とは、し習はぬ姿なり。「生処を習ひて熟6)せしめよ」と言ふは、「仏法は始めてあへるによりて、新しく学びがたきを、よくよくし慣れよ」となり。ただ心をほしきままにして、生死の妄業をいよいよ習ひ、心に染めば、いつかは流転の境(さかひ)を離るべき。「学びがたし」とて、仏道修行をうとくせば、いかでか浄土菩提の道に入らん。
古徳の云く、「勇士、陣7)に交はるに、死すれども帰(おも)むくが如し。丈夫の向ふ道に何の辞すること有らん。初めて入るは恒に難し。永く易きこと無し。難に由て若し退かば、何れの劫にか成ぜん」と言へり。押しても遠ざかるべきは流転生死の妄業、しひても学ぶべきは出離解脱の因なり。
正信房か眠りを思ひて、わが心の過(とが)をいましむべし。非を知りて改むるは、これ賢き心なり。この巻に、をこがましきことを集むる心、賢き道に入れとなり。をこがましきことは、一旦人の煩ひを招くばかりなり。世間の嗚呼がましきことゆゑに、人に軽(かろ)しめらるることは、罪障の残る因縁なり。
また、をこの者は多分正直なり。ただ思ふままに言ひ、振舞ひ、色代(しきだい)もなく、へつらふ心なきゆゑなり。これによりて、人に軽(かろ)しめ、いやしめらる。金剛般若経いはく、「この世に人に軽しめいやしめらるれば、先世の罪業消えて、菩提を得」と説けり。古人の徳を隠せる、この意なるべし。失を隠し、徳をあらはせる、まことに道をさかふ。
中ごろ、美作守といひける人のもとに、若き僧来たりて、経を尊(たと)く読むことあり。「いかなる人ぞ」と問へば、「所望申したきことの侍り」と言へば、「何事にや」と問ふに、「申すにつけてはばかりあれども、思ひかけぬ縁に逢ひて、人を頼みたるものを、ただならぬ身になして侍るが、しかしながら、わが身の過(とが)にて侍るゆゑに、かれか身々となりて、別に候はんほどの食物を沙汰したく侍り。御あはれみありなんや」と、もの恥かしげなる気色にて言ひければ、あはれに思えて、「やすきことなり」とて、人して贈らんとしければ、「忍びたる所にて侍れば、はばかりあり」とて、用ふるほどわれと負ひて行くを、怪しみて見送らせければ、北山の奥はるばると分け入りて、小さき庵(いほり)のありけるに、たはらをうち置きて、「あなくるし、三宝の御助けなれば、安居(あんご)の食まうけたり」と独り言して行なふ音しけり。
使、帰りて、「しかじか」と聞こえければ、「さればこそ」と思ひて、「今は尽きぬらん」と思ふほどに、また斎料・具足なんど、ねんごろに調(ととの)へて送りけるをば、返事もせず。また、「尽きぬらん」と思ひて、送りて見すれば、後に送りけるをば手もかけず、鳥獣食ひ散らして、人もなかりけり。まことの道人なるべし。
近代の人の意(こころ)は、隠れごとして養はんとて、安居の食と言ひぬべし。善悪因果のことわりを知らず、流転生死の苦を忘れて、悪業を身につつしまず、妄念を心に恐れずして、智者・道人に近付く思ひもなく、天人・仏陀の知見をもはばからず、閻魔王・冥官の呵嘖をも恐れざらんほどに、をこがましきことあらじかし。ただ恥ぢがましきのみにあらず、久しく苦患(くげん)を受くべし。このゆゑに、妄業をやめ、道行を進まんこそ、賢くをこがましからぬ心地なれ。
古人のいはく、「道念もし情念に等しくは、成仏すること多時ならん」と。妄念は凡なり。道念は仏なり。このゆゑに、「ただ妄念を離るれば、如々の仏なり」と言へり。
仏性、本来これあり。ただ隔つる所、妄念なり。しかれば、道念なきことの、をこがましきゆゑを思ひ知りて、世間のあだにはかなき、他人の非をあざけることなかれ。
翻刻
沙石集巻第七 上 眠正信房事 和州菩提山ノ本願僧正御房ニ忠寛正信房ト云僧有ケ リアマリニネフリケレハネフリノ正信トソ申ケル御舎利講ノ法 用散華スヘカリケルカ唄ヒクホトニ例ノネフリケルヲ唄ヲワリテ ソハナル僧オトロカシケレハネフルモノカラ又物怱ナル僧ニテ錫 杖ヲ取テ手執錫杖ト誦シケルヲイカニヤトイハレテヤラ唄カト 思テトソ云ケル又或夜九番烏ノ鳴ケルヲ眠耳ニ御所ニ 忠寛々々ト召スト聞ナシテ事々シク御イラヘ申テ御前ヘ 参ルイカニナニ事ソト被仰レハ召ノ候ツルト申スサル事ナシト 仰アリケレハ烏ノ猶空ニ声ノスルヲ指サシテアレニ召ノ候ツル トソ申ケル或ル時御湯ノ後汗ニヌレタル御小袖ヲフセコニウ/k7-249l
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人ハ今日ノコトク七仏トモニ礼セスシテ今ニ善根ノ因ナシトコ ソ仰ラレケレ此懈怠ノ習果ナリ昔ノ心ヲハ習因トイフソレニ コタヘテ又ソノ心ノタヱスシテアヒツヰテ来ルヲ習果トイフナリサレ ハ貪欲瞋恚等ノ心ノツネニオコラン人ハ生ヲフトモヤミカタカ ルヘシトシリテ恐トホサカリ対治ノ観念滅罪ノ方法ヲ営ムヘ シ古人ノ云ク熱処ヲステテナマシカラシメ生処ヲ習テ熱セシメ ヨト云ヘル心ハ熟処ト云ハ無始ノ煩悩妄想能々ナレタル 事ニテ自然ニ心ニ有リ此心ヲステテナマシクセヨトイヘリナマシ トハシナラハヌスカタナリ生処ヲ習テ熱セシメヨトイフハ仏法ハ 始テアヘルニヨリテアタラシクマナヒカタキヲ能々シナレヨトナリ タタ心ヲホシキママニシテ生死ノ妄業ヲイヨイヨナラヒ心ニソメハイ ツカハ流転ノサカヒヲハナルヘキマナヒカタシトテ仏道修行ヲウ/k7-253r
トクセハ争浄土菩提ノ道ニ入ラン古徳ノ云ク勇士交陳 ニ死レトモ如ヲ帰ムク丈夫ノ向フ道ニ有ラン何ノ辞初テ入 ルハ恒ニ難シ永ク無易コト由テ難ニ若シ退カハ何レノ劫ニ カ成セントイヘリヲシテモトヲサカルヘキハ流転生死ノ妄業シヰ テモマナフヘキハ出離解脱ノ因也正信房カ眠ヲ思テ我心ノ トカヲイマシムヘシ非ヲ知テアラタムルハコレカシコキ心也此巻 ニオコカマシキ事ヲアツムル心賢キ道ニ入レトナリ嗚呼カマシキ 事ハ一旦人ノワツラヒヲマネクハカリナリ世間ノ嗚呼カマシキ 事故ニ人ニカロシメラルル事ハ罪障ノ残ル因縁ナリ又オコノ 物ハ多分正直也タタ思ママニイヒ振舞色代モナクヘツラフ心 ナキ故ナリ是ニヨリテ人ニカロシメイヤシメラル金剛般若経云 此世ニ人ニカロシメイヤシメラルレハ先世ノ罪業キヱテ菩提/k7-253l
ヲ得トトケリ古人ノ徳ヲカクセル此意ナルヘシ失ヲカクシ徳ヲ アラハセル実ニ道ヲサカフ中此美作守ト云ケル人ノ許ニ若キ 僧来テ経ヲタトクヨム事有何ナル人ソト問ヘハ所望申タキ 事ノ侍トイヘハ何事ニヤト問フニ申ニツケテハハカリアレトモ思 カケヌ縁ニアヒテ人ヲタノミタル物ヲタタナラヌ身ニナシテ侍ルカ シカシナカラ我身ノトカニテ侍故ニカレカ身々トナリテ別ニ候 ハンホトノ食物ヲサタシタク侍リ御アハレミ有ナンヤト物ハツカ シケナル気色ニテイヒケレハ哀ニ覚テヤスキ事也トテ人シテヲク ラントシケレハシノヒタル所ニテ侍レハハハカリ有トテモチウルホ ト我トオヒテユクヲアヤシミテ見ヲクラセケレハ北山ノオクハルハ ルトワケ入テ小キイホリノ有ケルニタハラヲウチヲキテアナクルシ 三宝ノ御タスケナレハ安居ノ食マウケタリトヒトリコトシテヲコナ/k7-254r
フ音シケリ使帰テシカシカト聞ヱケレハサレハコソト思テ今ハツキ ヌラント思ホトニ又時料具足ナントネンコロニ調テ送ケルヲハ 返事モセス又ツキヌラント思テヲクリテミスレハ後ニ送ケルヲハ 手モカケス鳥獣クヒチラシテ人モナカリケリ実ノ道人ナルヘシ近 代ノ人ノ意ハカクレコトシテ養ハントテ安居ノ食トイヒヌヘシ善 悪因果ノコトハリヲシラス流転生死ノ苦ヲワスレテ悪業ヲ身 ニツツシマス妄念ヲ心ニオソレスシテ智者道人ニチカツク思モナ ク天人仏陀ノ知見ヲモハハカラス炎魔王冥官ノ呵嘖ヲモ 恐レサランホトニ嗚呼カマシキ事アラシカシタタハチカマシキノミ ニアラスヒサシク苦患ヲウクヘシ此故ニ妄業ヲヤメ道行ヲスス マンコソ賢ク嗚呼カマシカラヌ心地ナレ古人ノイハク道念若 シ情念ニヒトシクハ成仏スル事多時ナラント妄念ハ凡也道/k7-254l
念ハ仏也此ノ故ニ只妄念ヲハナルレハ如々ノ仏也ト云リ仏 性本来是有只ヘタツル所妄念也然ハ道念ナキコトノ嗚呼 カマシキユヘヲ思ヒ知テ世間ノアタニハカナキ他人ノ非ヲアサ ケル事ナカレ/k7-255r