沙石集
巻6第12話(70) 芳心ある人の事
校訂本文
武州に、世間ゆたかなる地頭あり。先世の布施の因縁にや、福徳のあるうへ、慈悲も深く、芳心ありと聞こゆ。洛陽の人とかや承りし。
近所の地頭、世間不階にして、所領を年々に売りけるを、たびたびにみな買取りてけり。さて、かの地頭、世間も衰へ、つひに身まかりぬ。ただ一人ありける子息、財宝も所領もなければ、譲るに及ばず。ひたすらまどひ者にてぞ侍りける。さすが一門広き者にて、親しきあたりに通ひ歩(あり)きて、命をつぎけり。それもみな小名なれば、あはれみながら、思ひあつることまではなかりけり。
さすがに、見るもかはゆかりけるにや、一門の者ども、寄り合ひて申し談じけるは、「某(それがし)の子息、まどひ果てて侍ること、不便の次第なり。かの親の所領買ひたる人は、芳心もあり、慈悲深き人なり。世間不足なければ、おのおの列参して、屋敷一所、乞ひて取らせばや。さりともむなしからじ」と言ふ。「さるべし」とて、一門集まりて、行きてけり。
主(あるじ)対面して、酒勧めなんどしけり。「訴訟申すべきこと候ひて、一門列参つかまつれり」と言ふ。「なんでうことにか」と言ふ。「知ろし召して候ふ、某と申しし者は、おのおのが一門にて候ひしが、世間不調にして、わづかの所領、ことごとく沾却(こきゃく)つかまつりき。これに召されて候ふとこそ承はり候へ。かの子息のただ一人候ふが、まどひ者にて候ふを、不便に存じ候へども、おのおのが身もいふかひなく候ふままに、見助くるに及び候はず。かつは親の形見にも、かの所領の中に、屋敷一所、思し召し当てさせ給ひなんや。面々におのおの御恩を蒙りたりとこそ存じ候はんずれ」といふに、「その殿はいづくにましますぞ」と問ふ。「これにあひ具して参りて候へども、便宜(びんぎ)をうかがひて、さうなく召さず」と言へば、「いかに、これへこそ申させ給はめ。あひはからひ候ふべし」と、頼もしげにぞ言ひける。
さて、呼び入れて、後来(こうらい)とて、酒勧めて、「引出物参らせん」とて、内へ入りつつ、たびたびに買ひ取りたる文書をみな取らせて、「恐れながら、子息とこそたのみ奉らめ」と言ひければ、あまりに思はずのことにて、あきれてぞありける。「これほどの御はからひは、思も寄り候はず」とて、おのおの悦びて帰りぬ。
さて、かの子息、親とも主(あるじ)とも、一筋に憑み入れて、当時ありと聞こゆ。末代にもこれほどの情けある人、承はり及ばず。まめやかにありがたく思えて、書き置き侍るなり。
一、故葛西の壱岐の前司1)といひしは、帙父2)の末にて、弓箭(ゆみや)の道得たりし人なり。輪田の左衛門3)、世を乱りし時、葛西の兵衛といひて、あら手にて鬼こごめのやうなりし輪田が一門をかけ散らしたりし武士(もののふ)なり。心も猛く情けもありける人なり。
故鎌倉の右大将4)の御時、武蔵の江所5)、子細ありて、かの江所を召して、葛西に賜びけるを、葛西の兵衛、申しけるは、「御恩を蒙り候ふは、親しき者どもをもかへりみんためなり。身一つは、とてもかくても候ひぬべし。江所、親しく候ふ。ひがごと候はば、召して、侘人(わびびと)にこそ賜び候はめ」と申すに、「いかで賜はらざるべき。もし賜はらずは、なんぢが所領も召し取るべし」と叱り給ひけれども、「御勘当蒙るほどのことは、運のきはまりにてこそ候はめ。力及ばず。さればとて、賜はるまじき所領をば、いかでか賜はるべき」と申しければ、江所もえ取り給はず。
上代は、君も臣も、仁義あり、芳心あり。末代は、父子・兄弟・親類、骨肉あたを結び、楯を突き、問注対決し、境を論じ、処分を諍ふこと、年にしたがひて、世の多く聞こゆ。仁王経には、「六親不和、天神不祐(六親の不和、天神祐けず)」と説きて、父子・兄弟などの不和なる時は、天神地祇も人を助け守(まぼ)り給はず。さるままには、飢饉・疾疫・兵乱などの災難、しばしば来たる。心憂き末代の習ひなり。これ、ただ人の心により、果報のつたなくして、悪業を恐れず、善因を修せずして、三災劫末に近付く業、増上力のいたす所なり。
一、尾州に、山田次郎源重忠6)といひしは、承久の時、君の御方にて討たれし人なり。弓箭の道、人に許され、心も猛く、器量も人にすぐれりける者から、心もやさしくして、民の煩ひを思ひ知り、よろづ優なる人なりけり。
所領の内に、山寺法師ありけり。八重つつじを持ちたりけるを欲しく思えて、「乞はばや」とは思ひながら、わが心をもて思ふに、「かれも愛し思ふらん。いかが情けなく乞ふべき」と思ひ返して、日ごろ過ぐるに、ある時、かの僧、大なる過(とが)ありて、まどふべきことありけるに、藤兵衛尉なにがしといひて、検断しける侍に仰せ付けて、「『この科料に、七匹四丈の絹をや参らする、八重つつじをや参らする』と言ひて、過に行なへ」とぞ下知しけり。
さて、藤兵衛尉、行き向ひて、「しかじかの仰せなり」と言へば、この僧、「七匹四丈をこそ参らせ候はめ。このつつじをもて、心をもなぐさめ候へば」と申しけるを、主の心を知りて、「絹を参らせては、なほ御不審のことあるべし。ただ、つつじを参らせ給へ」と言ひければ、力なくて、掘りて奉る。
「さて、検断の職は半分の得分なり。その所につつじのおろし枝一つ取るべし」と言ふに、「絹を進ずべし」とて惜しみけれども、おして取りてけり。
ともにやさしくこそ。かのつつじ、今にあり。近代はかかる人、ありがたくこそ聞こゆれ。
一、「奈良の都は、八重桜」と聞こゆる、当時も東円堂の前にあり。そのかみ、時の后、上東門院7)、興福寺の別当に仰せて、かの桜を召しければ、掘りて、車に入れて参らせけるを、大衆(だいしゆ)の中に見あひて、ことの子細を問へば、「しかじか」と答へければ、「名を得たる桜を、さうなく参らるる別当、かへすがへす不当なり。ひがごとなり。かつは色もなし。后の仰せなればとて、これほどの名木(めいぼく)を、いかでか参らすべき。とどめよ」とて、やがて、貝吹き大衆催して、「うちとどめ、別当をもはらふべし」と、ののしりけり。「このことによりて、いかなる重科に行はれば、わが身、張本(ちやうぼん)に出づべし」とぞ言ひける。
このこと、女院聞こし召して、「奈良法師は心なき者」と思ひたれば、「わりなき大衆なり。まことに色深し」とて、「さらば、この桜をば、わが桜と名付けん」とて、伊賀国に余野といふ庄を寄せて、花垣(はながき)の庄と名付けて、墻(かき)をせさせられ、花の盛り七日宿直(とのゐ)をして、これを守らせらる。今にかの庄、寺領たり。昔もかかるやさしきことありけりとぞ。
翻刻
芳心有人事 武州ニ世間ユタカナル地頭アリ先世ノ布施ノ因縁ニヤ福徳 ノアルウヘ慈悲モフカク芳心有トキコユ洛陽ノ人トカヤ承シ 近所ノ地頭世間不階ニシテ所領ヲ年々ニウリケルヲタヒタヒニ 皆買取テケリサテカノ地頭世間モヲトロヘツヰニ身マカリヌ只 一人アリケル子息財宝モ所領モナケレハユツルニ及ズヒタスラ マトヒ者ニテソ侍ケルサスカ一門ヒロキ者ニテシタシキアタリニ 通ヒアリキテ命ヲツキケリ其レモミナ小名ナレハ哀ミナカラ思 アツル事マテハナカリケリサスカニ見ルモカハユカリケルニヤ一門/k6-228r
ノ者共ヨリアヒテ申談シケルハソレカシノ子息マトヒハテテ侍ル 事不便ノ次第也彼親ノ所領買タル人ハ芳心モアリ慈悲 深キ人也世間不足ナケレハ各列参シテ屋敷一所乞テトラ セハヤサリトモ空シカラシトイフサルヘシトテ一門集テユキテケリ アルシ対面シテ酒ススメナントシケリ訴訟申ヘキ事候テ一門列 参仕レリトイフ何条事ニカトイフ被知食テ候ソレカシト申シ シ者ハ各カ一門ニテ候シカ世間不調ニシテ僅ノ所領悉ク沾 却仕キ是ニメサレテ候トコソ承候ヘ彼子息ノ只一人候カマ トヒ者ニテ候ヲ不便ニ存ジ候ヘトモヲノヲノカ身モ云甲斐ナク 候ママニ見タスクルニ及候ハス且ハ親ノカタミニモ彼所領ノ中 ニ屋敷一所思食アテサセ給ナンヤ面々ニ各御恩ヲ蒙リタリ トコソ存シ候ハンスレトイフニ其殿ハイツクニマシマスソト問是/k6-228l
ニ相具シテ参テ候ヘトモ便宜ヲ伺ヒテ左右ナク召サストイヘハイ カニ是ヘコソ申サセ給ハメ相計候ヘシトタノモシケニソ云ケルサ テヨヒ入テ後来トテ酒ススメテ引出物マイラセントテ内ヘ入 ツツタヒタヒニ買取タル文書ヲ皆トラセテ乍恐子息トコソ憑ミ 奉ラメト云ケレハアマリニ思ハスノ事ニテアキレテソアリケル是ホト ノ御計ハ思モヨリ候ハストテ各悦テ帰ヌサテ彼子息親トモ 主トモ一筋ニタノミ入テ当時アリト聞ユ末代ニモ是ホトノナ サケアル人承ヲヨハスマメヤカニアリカタク覚テ書置キ侍ルナリ 一 故葛西ノ壱岐ノ前司トイヒシハ帙父ノスヱニテ弓箭 ノ道エタリシ人也輪田ノ左衛門世ヲミタリシ時葛西ノ兵 衛トイヒテアラ手ニテ鬼ココメノヤウナリシ輪田カ一門ヲカケ チラシタリシ武士也心モタケクナサケモ有ケル人也故鎌倉ノ/k6-229r
右大将ノ御時武蔵ノ江所子細アリテ彼ノ江所ヲメシテ葛 西ニタヒケルヲ葛西ノ兵衛申ケルハ御恩ヲ蒙リ候ハ親キ者 共ヲモカヘリミンタメナリ身一ハトテモカクテモ候ヌヘシ江所シ タシク候事僻事候ハハメシテ侘人ニコソタヒ候ハメト申ニイカテ 給ハラサルヘキモシ給ハラスハ汝ガ所領モ召取ヘシトシカリ給 ケレトモ御勘当蒙ルホトノコトハ運ノキハマリニテコソ候ハメ力 ヲヨハスサレハトテ給ハルマシキ所領ヲハ争カ給ヘキト申ケレハ 江所モヱトリ給ハス上代ハ君モ臣モ仁義アリ芳心アリ末代 ハ父子兄弟親類骨肉アタヲムスヒタテヲツキ問注対決シ境ヲ 論ジ処分ヲ諍事年ニシタカヒテ世ノオホク聞ユ仁王経ニハ 六親不和天神不祐ト説テ父子兄弟等ノ不和ナル時ハ 天神地祇モ人ヲタスケマホリ給ハスサルママニハ飢饉疾疫兵/k6-229l
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