沙石集
巻6第5話(63) 栄朝上人の説戒の事
校訂本文
上野国新田の庄、世良田(せらだ)1)の本願、釈円房の律師栄朝上人は、慈悲深く、智慧かしこくして、顕密ともに学し、説法・説戒まことに尊(たつと)かりければ、近国の道俗、帰依渇仰して聴聞しけり。
ある時の説戒に、「わが国、辺地(へんぢ)にして、仏法、時を追ひて廃れ、如法の僧の無きこ との悲しさ。僧といふは、戒・定・慧の三学を宗(むね)として、出家の五衆といふは、比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼・式叉摩尼なり。在家の二衆は、優婆塞・優婆夷なり。その位にしたがひて、五戒・八戒をも持(たも)ち、十戒・具足戒・菩薩戒なんど持つに、出家の形となれるも、戒も持ち守(まぼ)ることなし。学し知らざれば、ただ俗のごとし。『出家は三衣一鉢を持して、戒をもととして、その上に定慧の修行、顕密・禅教を習ふべし』と見えたり。三国の風儀、変るべからず。しかるに、わが国も上代は、鑑真和尚、唐朝より来たりて、如法受戒の作法ありけれども、久しからずして廃れつつ、ただ髪を剃り、衣を染めて、受戒と言ひて、戒壇走りめぐりたるばかりにて、化制(けせい)の掟(おきて)も知らず、受随(じゆずゐ)のしなもわきまへずして、むなしく臈次(らつし)をかずへ、いたずらに信施を受くる僧のみ国に満てり。さるままに、異類・異形の法師、世間に多し。なまじひに仏弟子の名を得ながら、あるいは妻子を帯し、あるいは兵仗(ひやうぢやう)をよこたへ、狩漁(かりすなどり)・殺生・偸盗なさずといふことなし。かかるままに、布薩(ふさつ)なんどいふことは、名をも知らぬ者もあり。この座にも見え侍り。男かと見れば、さすがに袈裟に似たるものの候ふぞや」と、山臥のありけるを見て、のたまひければ、僧どもは、「かかる心つきなきこと、のたまふものかな。山臥は、たてだてしき2)ものを。あさましきことなり」と思ひ合へり。
されども、真実の慈悲をもて、悪口の心はなくて、仏法の道理を思ひ入れて説き給けるゆゑに、その感ありて、この山臥、方丈へ参じて、「今日の御説戒、聴聞つかまつり候へば、げにも、かかる形、仏法の教へにかなひても思え侍らず。いかがつかまつり候ふべき」と、まめやかに思ひ入れたる気色にて、うちくどき泣く泣く申しければ、「さらば、持斎して、この寺におはせかし」とのたまひければ、「しかるべく候ふ」とて、やがて遁世してけり。
かの徳もいみじく、山臥も宿習ありけり。あはれにこそ。
翻刻
栄朝上人之説戒事 上野国新田ノ庄世良田ノ本願釈円房ノ律師栄朝上人 ハ慈悲フカク智慧カシコクシテ顕密トモニ学シ説法説戒マコト ニタツトカリケレバ近国ノ道俗帰依渇仰シテ聴聞シケリ或時ノ 説戒ニ我国辺地ニシテ仏法時ヲ追テスタレ如法ノ僧ノナキコ トノカナシサ僧ト云ハ戒定慧ノ三学ヲ宗トシテ出家ノ五衆ト イフハ比丘比丘尼沙弥沙弥尼式叉摩尼也在家ノ二衆ハ 優婆塞優婆夷也其位ニシタカヒテ五戒八戒ヲモタモチ十 戒具足戒菩薩戒ナント持ツニ出家ノ形トナレルモ戒モタモ チマホルコトナシ学シシラサレハタタ俗ノ如シ出家ハ三衣一鉢 ヲ持シテ戒ヲ本トシテ其上ニ定慧ノ修行顕密禅教ヲ習ベシトミ/k6-215l
ヱタリ三国ノ風儀カハルヘカラス然ルニ我国モ上代ハ鍳真 和尚唐朝ヨリ来テ如法受戒ノ作法有リケレトモ久カラスシテ スタレツツ只髪ヲソリ衣ヲ染テ受戒トイヒテ戒壇ハシリメクリ タルハカリニテ化制ノヲキテモシラス受随ノシナモワキマヘスシテ空 ク臈次ヲカスヘイタスラニ信施ヲ受ル僧ノミ国ニミテリサルママ ニ異類異形ノ法師世間ニ多シナマシヰニ仏弟子ノ名ヲヱナ カラ或ハ妻子ヲ帯シ或ハ兵仗ヲヨコタヘ狩スナトリ殺生偸盗 ナサストイフ事ナシカカルママニ布薩ナントイフ事ハ名ヲモシラ ヌ者モ有リ此座ニモミエ侍ヘリ男カト見レハサスカニ袈裟ニ似 タルモノノ候ソヤト山臥ノアリケルヲ見テ宣ヒケレハ僧共ハカカル 心ツキナキ事ノ玉フモノカナ山臥ハタテタテシキ物ヲアサマシキ事/k6-216r
ナリト思アヘリサレトモ真実ノ慈悲ヲモテ悪口ノ心ハナクテ仏 法ノ道理ヲ思入テトキ給ケル故ニソノ感アリテコノ山臥方 丈ヘ参シテ今日ノ御説戒聴聞仕候ヘハケニモカカル形仏法ノ ヲシヘニカナヒテモ覚ヘ侍ラスイカカ仕候ヘキトマメヤカニ思入 タル気色ニテウチクトキナクナク申ケレハサラハ持斎シテ此寺ニヲ ハセカシトノ給ヒケレハ然ヘク候トテヤカテ遁世シテケリ彼ノ徳モ イミシク山臥モ宿習有ケリ哀ニコソ/k6-216l