沙石集
巻5第19話(55) 権化の和歌を翫び給ふ事
校訂本文
東大寺の縁起をあらあら承りしは、良弁僧正、幼少の時、鷲に養はれて、木の上に住みて、「この所に大伽藍を建立せん」といふ誓願を起こして、「国王の力を離れては、なしがたかるべし」と思ひて、「聖朝安穏。天長地久。」と祈り申しける音(こゑ)、聖武天皇の御耳に聞こし召しければ、勅使をつかはして、音の聞こふ所を尋ねしめ給ふに、当時の東大寺の、昔深山なりけるに、大木の上に小童ありて、このことを祈り申しけり。伝には東山の仙人と言へり。勅使、ことのよしを尋ぬるに大願の心を語る。
勅使、帰り参りて、このよしを奏す。これによりて、帝王、御感ありて、行基菩薩をして、勧進の聖人として、諸国の人を勧め、帝王、大檀那として御建立あり。
御供養の導師は行基菩薩と仰せありけれども、辞し申し給ひて、供養の日、近付きて、百僧ならびに伶人を引き具して、難波の津に行き向ひて、雅楽を調べ、閼伽の器を海上に浮かべ、手に香炉を持ちて、西に向て待給ふに1)、婆羅門僧正、天竺より、船に乗りて来たり給ふ。閼伽の器、迎へに参りて、導きて返りけり。
さて、婆羅門僧正、行基菩薩の百僧の末に立ち交はりておはしますを、かきわけて、手を取りて、涙を流し給ふ。行基菩薩、歓喜のあまり、かくぞ詠じ給ひける。
霊山の釈迦のみもとに契りてし真如朽ちせずあひ見つるかな
御返事
迦毘羅衛に契りしことのかひありて文殊の御顔あひ見つるかな
さて、婆羅門僧正、供養し給ふ。
東大寺を「四聖同心の寺」と言へるは、婆羅門僧正(普賢)・行基菩薩(文殊)・聖武天皇(観音) ・良弁僧正(弥勒)。天竺の菩薩も、わが国の大聖も、和歌をもてあそび給へり。これすなはち、境の風たるゆゑ2)にや。道のたよりたるよしにや。
一、聖徳太子は用明天皇の御子、御形をやつして、童子の中におはしましけるを、高麗の日羅来たりて、礼して、「敬礼救世観世音、伝灯東方粟散王」と唱へしより、観音の化身垂迹たる御こと、世もつて隠れなく、人みな知れり。
ある時、片岡山を過ぎ給へるに、御馬進まず。あやしみをなして見給へば、異僧一人、飢ゑて臥せり。御馬より下りて、御物語ありて、紫の上の衣(きぬ)を脱ぎて覆ひ、また、歌を給はりける。
しなてるや片岡山の飯(いひ)に飢ゑて臥せる旅人あはれ親なし
御返事
いかるがや3)富の緒川の絶えばこそわが大君の御名は忘れめ
かの飢ゑ人は達磨大師なり。平氏が太子伝4)に、太子、先生(せんじやう)には、大唐の衡州衡山におはしけり。慧思禅師これなり。達磨大師、勧め給はく、「かの東海の人、因果を知らず、仏法を聞かず、生を殺して食とし、生を殺して衣とす。君、かの国に因縁います。かの国に生まれて、仏法を広め、衆生を利し給へ」と勧め給ひけるゆゑに、太子、わが国に生まれ給へり。されば、本朝に仏法広まりて、われらまで三宝の名字を聞き、因果の道理をわきまふること、ひとへに太子の御恩徳なり。その源を尋ぬれば、達磨大師の御勧めより起これり。かの御方便、まことにかたじけなし。
達磨大師をば、漢家には観音5)と言へり。日本の口伝には文殊6)と言ひ伝へたり。文殊・観音は大日7)の悲智の方便なれば、いづれにてもかたじけなし。文殊と見えたる方には、真実の智慧より無縁の大悲は起こるゆゑに、文殊の智門を方便より、観音の大悲の利益あるにこそ。
また、経には、「一切如来の初発心は文殊の教化の力」と言へり。観音の利生も、かの勧めを待ち給ふにや。また、華厳8)の五十三の知識にも、文殊を最初とし、円覚の十二の菩薩にも、文殊上首たり。法華9)の序品の六瑞をば、文殊灯明の往事を引きて、衆の疑ひを開き、首楞厳10)の二十五の円通をも、文殊これを判じて、勝劣を分かつ。また、大乗の寺には文殊を聖僧とす。かたがた、仏家の棟梁、法門の樞鍵(すうけん)なり。いづれの宗の人か、この尊の利益を離れん。
しかれば、わが国の仏法の濫觴、文殊達磨大師の善巧(ぜんげう)より起これるにや。かかる因 縁なれば、禅門もつともあがむべし。
しかるに、近代、禅門世に盛りなるを、諸家の学者の中に、少々怪しみそねむことあり。まことに心得がたし。されば、ある人の歌にも、
らちのほか達磨を破する人をこそ法知らずとは言ふべかりけれ
禅教の差別は方便の位にあり。実証の所は異なるべからずと見えたり。ゆゑに、古徳のいはく、「教は仏の言、禅は仏の心。諸仏は身口相応す」と言へり。また、「なんぢは行じて知る。われは知りて行ず」とも言へり。諸教は、文字を立て文字をやり、念想をかりて念想を除く。機情をまぼり生熱を待ちて、浅きより深きに進め、有相より無相へ入ること、これ多くは中下の根(こん)を摂する方便なり。禅門は、迦葉、正法眼蔵を伝へしより、単伝密印不立文字の宗として、初めより文字を立てず、義理を存せず。この風情、諸教の方便に超えたり。
教は至極の所をこそ、廃詮談旨とも、言語道断とも言へども、次位を立て、階級を存ず。なほし、霊亀の尾を引くにたとふ。文字忘れがたく、覚観おこりやすし。このゆゑに、達磨、西来して、直示の宗を広め、ひとへに心印を伝ふ。心をもつて心を伝へ、門戸を立てず、軌則を存ぜす。多く上々の機を接す。
「無門は解脱門、無意は道人の意(こころ)」と言へり。しかれども、禅と教と方便を尋ぬれば、隔たりて、同ずべからず。証理を論ぜば、隔てて異(こと)にすべからず。当世の学者、宗風をうかがはざる輩は、そしり嘲ること、まづ謗法の失、恐るべし、慎しむべし。
また禅者も、教門の義理の甚深なるを、一宗をだにわきまへずして、「教浅し」とすずろにそしる。その失、大なるべし。機をひく方便は異なりといへども、道を悟る実理・理、何ぞ異ならん。末代偏学の輩、偏執忘れぬにこそ。大乗の心は、煩悩と菩提と、なほし相即せり。禅門と教門と、何ぞまことに隔てあらん。古人いはく、「痴愛も妄染(まうぜん)も、野分(のわき)の払ひ尽くすことありといへども、煩悩と菩提と、関屋(せきや)の還りて隔て果つることなし」。
ただ、上古の先達の心を学びて、近代の学者の情に、とものふべからず。教と禅とは、父母のごとし。禅は父、教は母なり。父は礼義を教へ、あららかなり。母は細やかになつく。教門の 細やかなるがごとし。また、教は飢ゑて食するがごとし。禅は腹ふくれたるに、瀉薬(しややく)をもつて下すがごとし。ともに益あり。
むなしく行ひて、満ちて帰るとて、ものを知らぬ者の、因果の道理をも知り、迷悟凡聖の差別をも知れるは、大切なり。飢ゑたる者、食するがごとし。また、知見・解会・仏見・法見、ともに放下して、仏法に相応する禅門の方便は、腹ふくれたるに、下し薬にて助くるがごとし。また、教もつひには捨つれば、瀉薬を飲みて補薬を服するがごとし。禅・教、あいたすけて、仏法はめでたかる。
翻刻
権化之和歌翫ヒ給フ事 東大寺ノ縁起ヲ粗承リシハ良弁僧正幼少ノ時鷲ニ養レテ 木ノ上ニ住テ此所ニ大伽藍ヲ建立セント云誓願ヲ起シテ国 王ノ力ヲ離レテハ成シカタカルヘシト思ヒテ聖朝安穏天長地/k5-189l
久ト祈リ申ケル音聖武天皇ノ御耳ニ聞食ケレハ勅使ヲツ カハシテ音ノ聞フ所ヲ尋シメ玉ニ当時ノ東大寺ノ昔深山ナリ ケルニ大木ノ上ニ小童アリテ此事ヲ祈リ申ケリ伝ニハ東山ノ 仙人トイヘリ勅使事ノ由ヲ尋ルニ大願ノ心ヲ語ル勅使帰 リ参リテ此ヨシヲ奏ス是ニ依テ帝王御感アリテ行基菩薩 ヲシテ勧進ノ聖人トシテ諸国ノ人ヲススメ帝王大檀那トシテ 御建立アリ御供養ノ導師ハ行基菩薩ト仰アリケレトモ辞 シ申給ヒテ供養ノ日近付テ百僧并ニ伶人ヲ引具シテ難波ノ 津ニ行向テ雅楽ヲ調ヘ閼伽ノ器ヲ海上ニウカヘ手ニ香炉ヲ 持テ西ニ向テ持給フニ婆羅門僧正天竺ヨリ船ニ乗テ来リ 給フ閼伽ノ器迎ニマイリテ導引テ返リケリサテ婆羅門僧正 行基菩薩ノ百僧ノスヱニ立交リテ御座スヲカキワケテ手ヲ取/k5-190r
テ涙ヲ流シ給フ行基菩薩歓喜ノ餘リカクソ詠シ給ヒケル 霊山ノ釈迦ノミモトニ契リテシ真如朽セス相ミツルカナ 御返事 迦毘羅衛ニチキリシコトノカヒアリテ文殊ノ御顔アヒミツ ルカナサテ婆羅門僧正供養シ給フ東大寺ヲ四聖同心ノ寺 トイヘルハ婆羅門僧正(普賢)行基菩薩(文殊)聖武天皇(観音) 良弁僧正(弥勒)天竺ノ菩薩モ我国ノ大聖モ和歌ヲ翫ヒ 給ヘリ是スナハチ境ノ風タルヱヘニヤ道ノ便リタルヨシニヤ 一 聖徳太子ハ用明天皇ノ御子御形ヲヤツシテ童子ノ 中ニ御坐ケルヲ高麗ノ日羅来テ礼シテ敬礼救世観世音伝 燈東方粟散王ト唱シヨリ観音ノ化身垂跡タル御事世以 テカクレナク人皆シレリ或時片岡山ヲ過給ヘルニ御馬ススマ/k5-190l
スアヤシミヲナシテ見給ヘハ異僧一人飢テ臥リ御馬ヨリ下テ御 物語アリテ紫ノウヘノキヌヲヌキテオオヒ又歌ヲ給リケル シナテルヤカタオカ山ノ飯ニウヱテフセル旅人アハレヲヤナシ 御返事 イカナルヤ冨ノ緒川ノ絶ハコソ我カ大君ノ御名ハワスレ メ彼飢人ハ達磨大師也平氏カ太子伝ニ太子先生ニハ大 唐ノ衡州衡山ニヲハシケリ慧思禅師是也達磨大師ススメ 給ハク彼東海ノ人因果ヲシラス仏法ヲ聞カス生ヲ殺シテ食ト シ生ヲ殺シテ衣トス君彼国ニ因縁イマス彼国ニ生テ仏法ヲヒ ロメ衆生ヲ利シ給ヘトススメ給ヒケルユヘニ太子我国ニ生レ 給ヘリサレハ本朝ニ仏法ヒロマリテ我等マテ三宝ノ名字ヲ 聞キ因果ノ道理ヲ弁ル事ヒトヘニ太子ノ御恩徳也ソノ源ヲ/k5-191r
尋レハ達磨大師ノ御ススメヨリ起レリカノ御方便誠ニカタシ ケナシ達磨大師ヲハ漢家ニハ観音トイヘリ日本ノ口伝ニハ 文殊ト云伝タリ文殊観音ハ大日ノ悲智ノ方便ナレハイツ レニテモ忝シ文殊ト見ヘタル方ニハ真実ノ智慧ヨリ無縁ノ大 悲ハヲコルユヘニ文殊ノ智門ヲ方便ヨリ観音ノ大悲ノ利益 アルニコソ又経ニハ一切如来ノ初発心ハ文殊ノ教化ノ力ト 云リ観音ノ利生モカノススメヲ待給フニヤ又華厳ノ五十三 ノ知識ニモ文殊ヲ最初トシ円覚ノ十二ノ菩薩ニモ文殊上 首タリ法華ノ序品ノ六瑞ヲハ文殊燈明ノ往事ヲ引テ衆ノ 疑ヲ開首楞厳ノ廿五ノ円通ヲモ文殊是ヲ判シテ勝劣ヲ分 ツ又大乗ノ寺ニハ文殊ヲ聖僧トス旁仏家ノ棟梁法門ノ 樞鍵ナリイツレノ宗ノ人カ此尊ノ利益ヲ離レン然ハ吾国ノ/k5-191l
仏法ノ濫觴文殊達磨大師ノ善巧ヨリ起レルニヤカカル因 縁ナレハ禅門尤モアカムヘシ然ニ近代禅門世ニサカリナルヲ諸 家ノ学者ノ中ニ少々アヤシミソネム事アリ誠ニ心得カタシサ レハアル人ノ歌ニモ ラチノ外達磨ヲ破スル人ヲコソ法シラストハイフヘカリケ レ禅教ノ差別ハ方便ノ位ニアリ実証ノ所ハコトナルヘカラス ト見ヘタリ故ニ古徳ノ云ク教ハ仏ノ言禅ハ仏ノ心諸仏ハ 身口相応スト云リ又汝ハ行シテ知ル我ハ知テ行ストモ云リ 諸教ハ文字ヲ立テ文字ヲヤリ念想ヲカリテ念想ヲ除ク機情 ヲマホリ生熱ヲ待テ浅ヨリ深ニススメ有相ヨリ無相ヘ入事是 多ハ中下ノ根ヲ摂スル方便ナリ禅門ハ迦葉正法眼蔵ヲ 伝シヨリ単伝密印不立文字ノ宗トシテ初ヨリ文字ヲタテス義/k5-192r
理ヲ存セス此風情諸教ノ方便ニ超タリ教ハ至極ノ所ヲコソ 廃詮談旨トモ言語道断トモ云ヘトモ次位ヲ立テ階級ヲ存 ス猶シ霊亀ノ尾ヲ引ニタトフ文字難忘覚観オコリヤスシ此 故ニ達磨西来シテ直示ノ宗ヲ弘単ヘニ心印ヲ伝フ心ヲ以テ 心ヲ伝ヘ門戸ヲ立テス軌則ヲ存セスオホク上々ノ機ヲ接ス 無門ハ解脱門無意ハ道人ノ意ト云リ然トモ禅ト教ト方便 ヲ尋ヌレハヘタタリテ同スヘカラス証理ヲ論セハヘタテテ異スヘ カラス当世ノ学者宗風ヲ伺ハサル輩ハソシリ嘲ル事先謗法 ノ失恐ルヘシ慎ムヘシ亦禅者モ教門ノ義理ノ甚深ナルヲ一 宗ヲタニ弁ヘスシテ教浅トススロニソシル其失大ナルヘシ機ヲヒ ク方便ハ異ナリトイヘトモ道ヲサトル実理々何ソ異ナラン末 代偏学ノ輩偏執ワスレヌニコソ大乗ノ心ハ煩悩ト菩提ト/k5-192l
猶シ相即セリ禅門ト教門ト何ソ実ニ隔テアラン古人云痴 愛モ妄染モ野分ノ払尽ス事アリトイヘトモ煩悩ト菩提ト関 屋ノ還テ隔ハツル事ナシ唯上古ノ先達ノ心ヲ学テ近代ノ学 者ノ情ニトモノフヘカラス教ト禅トハ父母ノ如シ禅父教ハ母 ナリ父ハ礼義ヲヲシヘアララカナリ母ハコマヤカニナツク教門ノ コマヤカナルカ如シ亦教ハ飢テ食スルカコトシ禅ハ腹フクレタル ニ瀉薬ヲ以テ下スカ如シ共益アリ空ク行テ満テ帰トテ物ヲシ ラヌモノノ因果ノ道理ヲモ知リ迷悟凡聖ノ差別ヲモシルハ大 切ナリ飢タルモノ食スルカコトシ亦知見解会仏見法見共ニ 放下シテ仏法ニ相応スル禅門ノ方便ハ腹フクレタルニ下薬ニ テ助ルカ如シ亦教モ終ニハ捨レハ瀉薬ヲ飲テ補薬ヲ服スルカ コトシ禅教相資テ仏法ハ目出カル/k5-193r