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沙石集
巻5第16話(52) 歌の故に命を失へる事
校訂本文
長能卿1)、三月小なりける年、「秀歌詠みてこそ侍れ」とて、公任卿2)に語り申しける。
心憂き年にもあるかな二十日あまり九日といふに春は暮れけり
公任卿に、「春は三十日候ふにや」と難ぜられて、胸塞(ふさ)がりて思えけるほどに、やがて病付きて、つひに失せにけり。道を重んずる執心にや。
一、天徳の御歌合の時、兼盛3)・忠見4)、左右に番(つが)ひてけり。初恋 といふ題を給ひて、忠見、「秀歌詠み出だしたり」と思ひて、「兼盛も、いかでこれほどの歌詠むべき」と思ひける。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に、
つつめども5)色に出でにけりわが恋はものをや思ふと人の問ふまで
共に秀名歌6)なりければ、小野宮殿7)、しばらく天気を伺ひ給ひけるに、御門8)、兼盛が歌を微音に両三返御詠ありけり。よつて、「天気、左にあり」とて、兼盛勝ちにけり。忠見、心憂く思えて、胸塞がりて、それより不食の病つきて、頼みなきよし聞こえて、兼盛、とぶらひければ、「別の病にあらず。御歌合の時、秀名歌9)詠み出でて思え侍りしに、殿の、『ものや思ふと人の問ふまで』に、あはと思ひて、あさましく思えしより、胸塞がりて、かく重り侍り」とて、つひに身まかりにけり。
執心こそよしなけれども、道を執する習ひ、げにもと思えて、あはれに侍るなり。ともに名歌にて、拾遺10)に入りて侍るにや。
翻刻
歌ノ故ニ命ヲ失ヘル事 長能卿三月小也ケル年秀歌ヨミテコソ侍レトテ公任郷ニ 語リ申ケル 心ウキ年ニモ有カナ廿日餘九日ト云ニ春ハクレケリ 公任卿ニ春ハ三十日候ニヤト難セラレテ胸塞リテ覚ヘケル/k5-185r
程ニ軈テ病付テツヰニ失ニケリ道ヲ重スル執心ニヤ 一 天徳ノ御歌合ノ時兼盛忠見左右ニ番テケリ初恋 ト云題ヲ給テ忠見秀歌ヨミイタシタリト思テ兼盛モイカテ是 ホトノウタヨムヘキト思ヒケル コヒステフ我カ名ハマタキ立ニケリ人シレスコソオモヒソメ シカサテ既ニ御前ニテ講シテ判セラレケルニ兼盛カウタニ ツツメトモ色ニ出ケリ我コヒハモノヲヤ思フト人ノ問マテ 共ニ(秀/名)歌ナリケレハ小野宮殿シハラク天気ヲ伺ヒ給ケルニ 御門兼盛ウタヲ微音ニ両三返御詠アリケリ仍テ天気左ニ有 トテ兼盛勝ニケリ忠見心ウク覚テ胸フサカリテ其ヨリ不食ノ 病付テタノミナキヨシ聞テ兼盛訪ヒケレハ別ノ病ニアラス御歌 合ノ時(秀/名)歌ヨミ出テ覚ヘ侍シニトノノ物ヤ思ト人ノ問フマテ/k5-185l
ニアハト思テアサマシク覚ヘシヨリムネフサカリテカクオモリ侍トテ ツヰニ身マカリニケリ執心コソヨシナケレトモ道ヲ執スル習ヒケ ニモト覚ヘテ哀レニ侍ナリ共ニ名歌ニテ拾遺ニ入テ侍ルニヤ/k5-186r
text/shaseki/ko_shaseki05b-16.txt · 最終更新: 2018/12/19 21:41 by Satoshi Nakagawa