沙石集
巻5第4話(40) 慈心ある者、鬼病を免るる事
校訂本文
中ごろ三井寺1)に式部・侍従とて、若き僧二人ありけり。式部房は学生(がくしやう)にて、法器の聞こえあり。侍従房は学問非器の者なり。ただ心操(こころばせ)おだしく、万人にうけられ、慈悲あり、情けある者にて、小児どもの始めて上りて、ありも付かぬには、絵なんど見せ、遊び戯れてあり付けるままに、寺中に始めたる児上れば、必ず呼びけり。また、人の中の悪(わろ)きをも、えも言はず言ひ直し、闘諍(とうじやう)がましきことあれば、中に入りて、こともなくなだめなんどしければ、ずいぶんの名人の若大人(わかおとな)にて、人も恥ぢ思ひけり。
ある僧綱、新羅明神(しんらみやうじん)に参籠す。夢に見けるは、異類異形の鬼神、御宝前2)に参ず。神官一人、出で向ひて、「『侍従をば助けて、式部をば賜はれ』と仰せなり」と言ふ。この僧綱、夢の中に思ひけるは、「侍従はさせる法器の者にもあらず。式部は器量の者、学生なるに、この仰せこそ心得がたけれ」と思ひて、神官を呼びて、「しかじか」と申し入れければ、神官、このよし申し入れて、御返事とおぼしくて申しけるは、「『式部はまことに学生なれども、自利の心にて、人のため益あるまじき者なり。侍従は慈悲なるものにて、わが寺に住すまじき者、かれゆゑに住せる者、百人に余れり。不便(ふびん)に思し召すなり』と仰せにて候ふ」と言ふと思ひて、夢覚めぬ。
不思議に思えて、使者を侍従房がもとへやりて、「何事かある」と問はせければ、「この両三日、重病に取り臥せられて侍りつるが、この暁より汗出でて、心地助かりて思え候ふ」と言ひけり。式部房のもとへ使ひをやりて聞けば、「この暁より、重病を受けて大事なるよし申しけるが、つひに失せにけり」。
天狗、人に詫していはく、「慈悲ある人は恐しくして、いかにも犯しがたし。いかなる善事を行ずれども、我相憍慢ある人をば、『あはれ、わが伴党よ』と思ふゆゑに、心やすく思ゆ」と言へり。
大乗の行者、もつぱら無所得をもつて方便とする、まことの解脱の因縁なるべし。我相人相を離れ、空無相の観心の用意、これを心にかくる、真実の道人の形なるべし。諸法の空を観じ、慈悲ある人、今世・後世、仏道に近し。もつとも信仰すべし。
されば、智慧こそいみじかるべけれども、自利の心なるは、小乗に共して、利生の徳なし。学解の多聞は世智なれば、いよいよその益少し。慈悲は菩薩の体、仏の心なり。少分なる時は仁と言ひ、広大なる時は慈悲と名付く。譬へば、火をもつて物を焼く。火の体は同じけれども、小さき薪を焼く時は、火の用少なし。大なる薪には火の用激しきがごとく、慈悲の心、その境の狭(せば)き時は、痴愛とも、情とも、仁とも言はる。この心、やうやく大にして、法界の衆生を利する心ならば、全く菩薩の慈悲、諸仏の心なり。
三身仏性の中の因縁の種、応身の徳とあらはる。観経3)には、「仏心者大慈悲心是也。(仏心は大慈悲これなり。)」と言へり。法華4)には、「如来室といふは、一切衆生の中の大慈悲心これなり」と言へり。瑜伽論には、「菩薩は何を以て体とすと問はば、慈悲を以て体とすと答ふべし」と言へり。
昔、鹿野苑に鹿王ありけり。五百の群鹿を領ず。これ釈迦菩薩の因行(いんぎやう)なり。また鹿王あり。同じく五百の群鹿を領ず。提婆達多なり。国王、狩して一日の中に多くの鹿を殺し給ふことを、菩薩の鹿王、悲しみて、進み出でて、国王に申す。「少事をもつて多くの鹿の命を失ひ給ふこと、不便に侍り。毎日に一つの鹿を奉りて、供御すべき」よしを申すに、「しかるべし」とて、次をもつて一つの鹿を日々に奉りけるに、調達が群鹿の中に、孕(はら)める鹿、次に当たる。孕める子を悲しみて、「わが身は逃るる所なし。子は次に当たらず。余りの鹿をさしかへて、子を生みて後に、われを出だし給へ」と申しけれども、「誰(たれ)か命を惜しまざる。次いたらば参るべし」とて、嗔り5)ければ、菩薩の鹿王に参りて、こののよしを歎き申すに、あはれみ給ひて、これを帰し遣はし、鹿王、代りて王宮へ参り給ふ。
金色の文ある鹿なれば、人見知りて、王に、「鹿王こそ参りて侍れ」と申すに、「すでに群鹿尽きたるにや」と問ひ給ふに、鹿王、ことの子細をくはしく申していはく、「慈をもつて苦厄を救ふは、功徳無量なり。もし、人、慈なくば狐狼と何ぞ異ならん」と申しければ、王、驚きて座を立ちて、偈を説きていはく、「我はこれまことに畜生なり。人頭鹿(にんづのろく)と名付く。なんぢはこれまことに人なり。鹿頭人と名付く。慈をもつて人とす。形をもつて人とせず」とて、永く殺生をやめて、鹿を返し遣はす。
また、沙羅林にして、釈尊の御入滅の時、純陀長者、一鉢の飯を仏に供養せし志、法界の衆生のためなりしかば、広大の慈心にこたへて、一鉢の飯、十二由旬の大会(だいゑ)に供養せしに、乏(とも)しからず。その心を、仏、説き給ひしかば、人天大会、異口同音に、「南無純陀、身は人身なりといへども、心は仏心に同じ」と讃めけり。これになぞらふれば、貪瞋・愚痴・憍慢・嫉妬などの心あらば、身は人身なりといふとも、心は地獄・餓鬼・虎狼・毒蛇などの心なるべし。
されば、心の和(やはら)かなるは、菩薩の心なるゆゑに、みづからその徳ありて、魔縁もこれを悩まさず、災害これを犯さず、藤・柳のやわらかにして、風にしたがふゆゑに損ぜさるに譬ふ。「慈心三昧に入りぬれば、一切の毒害犯さず」と言へり。
昔、天竺に、王の后、慈悲深くして、一切をあはれみ心いさきよくして三宝を敬ひ給ひけるを、国王、邪見にして、これを猜(そね)み、弓を引きて射給ひけるに、后、少しも怨みあたむ心おはせずして、いよいよ慈心をおこして、王の邪見をあはれみ給ひけるゆゑに、矢返りて、王の胸に立ちて、死し給ひぬ。
世間の諺(ことわざ)にも、「握れる拳、笑める面に当たらず」とて、「悪(にく)ひけなく、心の底よりうち笑ひて向へる者には、すでに握れる拳を開きて、心を止む」と言へり。されば、「仏性をあらはさん」と思はん人、慈悲を心に、習ひ好むべきなり。
翻刻
慈心有者免鬼病事 中比三井寺ニ式部侍従トテ若キ僧二人アリケリ式部房 ハ学生ニテ法器ノ聞ヘアリ侍従房ハ学問非器ノ者也只心 操ヲタシク万人ニウケラレ慈悲アリ情アル者ニテ小児共ノ始 テノホリテ有リモ付カヌニハ絵ナント見セ遊ヒ戯レテアリ付ケル ママニ寺中ニ始タル児ノホレハ必ヨヒケリ亦人ノ中ノワロキヲ モヱモイハス云ナヲシ闘諍カマシキ事アレハ中ニ入テ事モナク宥 ナントシケレハ随分ノ名人ノ若ヲトナニテ人モ恥思ケリ或僧 綱新羅明神ニ参籠ス夢ニ見ケルハ異類異形ノ鬼神御實 前ニ参ス神官一人出向テ侍従ヲハ助テ式部ヲハタマハレ ト仰也ト云此僧綱夢ノ中ニ思ケルハ侍従ハサセル法器ノ者/k5-163r
ニモ非ス式部ハ器量ノ者学生ナルニ此仰コソ心エカタケレト 思テ神官ヲ呼テシカシカト申入ケレハ神官コノヨシ申入テ御 返事トオホシクテ申ケルハ式部ハ誠ニ学生ナレ共自利ノ心ニ テ人ノタメ益アルマシキ者ナリ侍従ハ慈悲ナルモノニテ我寺ニ 住スマシキモノ彼レ故ニ住セルモノ百人ニアマレリ不便ニ思食 也ト仰ニテ候ト云ト思テ夢覚ヌ不思議ニ覚ヘテ使者ヲ侍 従房カ許ヘヤリテ何事カ有ト問セケレハ此両三日重病ニ 取フセラレテ侍ツルカ此暁ヨリアセ出テ心地タスカリテ覚ヘ候 ト云ケリ式部房ノモトヘ使ヲ遣テ聞ハ此暁ヨリ重病ヲ受テ 大事ナルヨシ申ケルカ終ニ失ニケリ天狗人ニ詫シテイハク慈悲ア ル人ハヲソロシクシテ何ニモ犯難シイカナル善事ヲ行スレトモ我 相憍慢アル人ヲハ哀レ我伴党ヨト思故ニ心ヤスク覚ユトイヘ/k5-163l
リ大乗ノ行者専ラ無所得ヲ以テ方便トスル誠ノ解脱ノ因 縁ナルヘシ我相人相ヲ離レ空無相ノ観心ノ用意是ヲ心ニ カクル真実ノ道人ノ形ナルヘシ諸法ノ空ヲ観シ慈悲アル人 今世後世仏道ニ近シ尤信仰スヘシサレハ智慧コソイミシカル ヘケレトモ自利ノ心ナルハ小乗ニ共シテ利生ノ徳無シ学解ノ 多聞ハ世智ナレハイヨイヨ其益少シ慈悲ハ菩薩ノ体仏ノ心 ナリ少分ナル時ハ仁トイヒ広大ナル時ハ慈悲ト名ク譬ハ火 ヲ以テ物ヲヤク火ノ体ハ同シケレ共小キ薪ヲ焼ク時ハ火ノ用 少ナシ大ナル薪ニハ火ノ用ハケシキカコトク慈悲ノ心其境ノセ ハキ時ハ痴愛トモ情トモ仁トモ云ハルコノ心漸大ニシテ法界ノ 衆生ヲ利スル心ナラハ全ク菩薩ノ慈悲諸仏ノ心ナリ三身 仏性ノ中ノ因縁ノ種応身ノ徳トアラハル観経ニハ仏心者大/k5-164r
慈悲心是也ト云リ法華ニハ如来室トイフハ一切衆生ノ中ノ 大慈悲心是也ト云リ瑜伽論ニハ菩薩ハ何ヲ以テ体トス ト問ハハ慈悲ヲ以テ体トスト答フヘシト云リ昔鹿野苑ニ鹿 王アリケリ五百ノ群鹿ヲ領ス是釈迦菩薩ノ因行也又鹿 王アリ同ク五百ノ群鹿ヲ領ス提婆達多也国王狩シテ一日 ノ中ニ多ノ鹿ヲ殺シ給フ事ヲ菩薩ノ鹿王悲テ進ミ出テ国 王ニ申ス少事ヲ以テ多ノ鹿ノ命ヲ失ヒ給フコト不便ニ侍リ 毎日ニ一ノ鹿ヲ奉テ供御スヘキヨシヲ申スニ然ルヘシトテ次 ヲ以テ一ノ鹿ヲ日々ニ奉ケルニ調達カ群鹿ノ中ニ孕メル鹿 次ニ当ルハラメル子ヲ悲テ我身ハノカルル所ナシ子ハ次ニ当ラ ス餘ノ鹿ヲサシカヘテ子ヲウミテ後ニ我ヲ出シ給ヘト申ケレト モ誰カ命ヲオシマサル次イタラハ参ヘシトテ愼リケレハ菩薩ノ/k5-164l
鹿王ニ参テ此ノヨシヲ歎キ申ニアハレミ玉テ是ヲ帰シ遣ハシ 鹿王カハリテ王宮ヘマイリ玉フ金色ノ文有ル鹿ナレハ人見 知テ王ニ鹿王コソ参テ侍レト申ニ既ニ群鹿尽タルニヤト問 給フニ鹿王事ノ子細ヲ委ク申テイハク慈ヲ以テ苦厄ヲスク フハ功徳無量也若シ人慈ナクハ狐狼ト何ソ異ナラント申ケ レハ王驚テ座ヲ立テ偈ヲ説テ言ハク我ハ是実ニ畜生ナリ人 頭鹿ト名ク汝ハ是レ実ニ人ナリ鹿頭人ト名ク慈ヲ以テ人ト ス。形ヲ以テ人トセストテナカク殺生ヲ止テ鹿ヲ返シ遣ス又沙 羅林ニシテ釈尊ノ御入滅ノ時純陀長者一鉢ノ飯ヲ仏ニ供 養セシ志シ法界ノ衆生ノ為ナリシカハ広大ノ慈心ニコタヘテ 一鉢ノ飯十二由旬ノ大会ニ供養セシニトモシカラス其心ヲ 仏説キ給シカハ人天大会異口同音ニ南無純陀身ハ人身/k5-165r
也トイヘトモ心ハ仏心ニ同ト讃メケリ此ニ准レハ貪瞋愚痴憍 慢嫉妬等ノ心アラハ身ハ人身也トイフトモココロハ地獄餓鬼 虎狼毒蛇等ノ心ナルヘシサレハ心ノ和カナルハ菩薩ノ心ナル ユヘニ自ラ其徳有テ魔縁モ是ヲ悩サス災害コレヲオカサス藤 柳ノヤワラカニシテ風ニ随フユヘニ損セサルニ譬フ慈心三昧ニ 入ヌレハ一切ノ毒害ヲカサストイヘリ昔天竺ニ王ノ后慈悲 深クシテ一切ヲ哀レミ心イサキヨクシテ三宝ヲ敬ヒ給ヒケルヲ国 王邪見ニシテ是ヲ猜ミ弓ヲ引テ射給ヒケルニ后スコシモ怨ミア タム心オハセスシテイヨイヨ慈心ヲ発シテ王ノ邪見ヲアハレミ給ヒケ ルユヘニ矢返テ王ノムネニ立テ死シ給ヒヌ世間ノ諺サニモニキ レル拳シ咲ル面ニアタラストテ悪ヒケ無ク心ノ底ヨリ打チ咲テ ムカヘル者ニハ既ニニキレル拳ヲ開テ心ヲ止ト云リサレハ仏性/k5-165l
ヲ顕ハサント思ハン人慈悲ヲ心ニ習ヒ好ムヘキナリ/k5-166r