沙石集
巻5第2話(38) 円頓の学解の益の事
校訂本文
中古に碩学の聞こえありて、円頓の信解(しんげ)も深く、人師(にんし)・探題の位に上がれる山僧ありけり。他界の後、住所不審なりければ、弟子ども、ねんごろに祈請しけり。
夢に、先師、鬼神の形にて来たれり。思はずにあさましく思え、「円頓の教法をもてあそび給ひしかば、『浄土にも往生し、人天にも生じ給ひつらん』とこそ思ひ奉るに、いかなる御ことにか」と問へば、「わが信解する円頓の法は、これにあり」とて、握れる拳(こぶし)を開くを見れば、宝珠の光明赫奕(かくやく)として、世界を照らすあり。「この玉をもつて、身にすりぬれば、苦患やすまる」と言ふ。さて、この光に映じて、鬼形と見えつる形も透き通りて、天人のごとくにして、飛び去りぬ。
されば、戒緩(かいくわん)のゆゑに悪趣に落つといへども、乗急(じようきふ)ならば、智慧も悟りもあるべきにや。在世に竜神・夜叉等の仏会につらなりて得益せし、この類なるべし。戒急なりとも、止観定慧の修因無くば、人天の善処に生じて、仏道に入りがたかるべしと見えたり。舎衛の三億、見ず・聞かず・着楽の、諸天の知らず来たらざりし、この類なり。教の本意は、「乗戒ともに急にして、人天の身にて仏の出世にあひ、悟りを開け」と教へたり。
まことしき解行立たずして、三悪八難に入りなば、出離解脱まことにかたかるべし。されば、止観修行の方便、二十五あれども、持戒清浄を宗とす。遺教経には、「若無浄戒、諸善功徳皆不得生。(若し浄戒無くば、諸善功徳皆生ずることを得ず。)」と説きて、戒行欠けぬれば、一切の善生じがたしと見えたり。また、戒によりて定を得(え)、定によりて智恵を得るは、仏法の通用修行の漸次(ぜんじ)なり。
この学者は、円頓の観行なんどありけるにこそ。されども、執心ありて異趣に滞りけるにや。さりながら、出離は近くこそ思ゆれ。
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円頓之学解之益事 中古ニ碩学ノ聞ヘアリテ円頓ノ信解モ深ク人師探題ノ位 ニアカレル山僧アリケリ他界ノ後チ住所不審ナリケレハ弟子 共ネンコロニ祈請シケリ夢ニ先師鬼神ノ形ニテ来レリ思ハス ニ浅猿ク覚ヘ円頓ノ教法ヲ翫ヒ給シカハ浄土ニモ往生シ人 天ニモ生シ給ヒツラントコソ思奉ルニ何ナル御事ニカト問ヘハ/k5-159l
我カ信解スル円頓ノ法ハ是ニ有トテニキレル拳ヲ開クヲ見レ ハ宝珠ノ光明赫奕トシテ世界ヲ照スアリ此玉ヲ以テ身ニスリ ヌレハ苦患ヤスマルトイフサテ此光ニ映シテ鬼形ト見ヘツル形モ スキトヲリテ天人ノコトクニシテ飛去ヌサレハ戒緩ノ故ニ悪趣ニ オツトイヘトモ乗急ナラハ智慧モ悟モアルヘキニヤ在世ニ龍神 夜叉等ノ仏会ニ列テ得益セシコノ類ナルヘシ戒急ナリ共止 観定慧ノ修因無クハ人天ノ善処ニ生シテ仏道ニ入リカタカ ルヘシト見ヘタリ舎衛ノ三億見ス聞ス著楽ノ諸天ノシラス 来ラサリシ此類ヒナリ教ノ本意ハ乗戒共ニ急ニシテ人天ノ身 ニテ仏ノ出世ニアヒ悟ヲ開ケト教タリ誠シキ解行タタスシテ三悪 八難ニ入ナハ出離解脱誠ニカタカルヘシサレハ止観修行 ノ方便二十五アレ共持戒清浄ヲ宗トス遺教経ニハ若無/k5-160r
浄戒諸善功徳皆不得生ト説テ戒行欠ケヌレハ一切ノ善 生シカタシト見ヘタリ又戒ニヨリテ定ヲヱ定ニヨリテ智恵ヲ得 ルハ仏法ノ通用修行ノ漸次也コノ学者ハ円頓ノ観行ナン トアリケルニコソサレ共執心有テ異趣ニトトコホリケルニヤサリ ナカラ出離ハ近クコソ覚ユレ/k5-160l