沙石集
巻5第1話(37) 円頓の学者鬼病を免るる事
校訂本文
中ごろ、ある山僧1)、日吉の大宮2)に参籠す。夜半ばかりに、夢にもあらず、うつつにもあらずして、見れば、行疫神(ぎやうやくしん)の異類異形なる、数知らず参りて、「天下一同の災ひにて候ふ。山僧少々給ふべし」と申すに、神人出で向ひて申しけるは、「山門の学者をば許すべからず。ただし、住山者の中に、『わが山に住せよかし』と思ふに、近く本国へ下るべき僧あり。かれを悩まして、暫くにても留むべし。命は奪ふべからず。その谷のその坊にあり。名をば某と言ふと仰すなり」と言ひければ、疫神ども、はらはらと出でぬ。
件(くだん)の坊に行きて、入らんとするに、この僧、国へ下るべきにて、山の名残も惜しく思えければ、夜更くるまで心を澄まして、「円頓者、初縁実相。造境即中、無不真実。繋縁法界、一念法界、一色一香無非中道。已界及仏界衆生界亦然。陰入皆如、無苦可捨。無明塵労即是菩提、無集可断。辺邪皆中正、無道可修。生死即涅槃、無滅可証。無苦無集、故無世間。無道無滅、故無出世間。純一実相。実相外更無別法。法性寂然名止、寂而常照名観。雖言初後、無二無別。是名円頓止観」といふ文を誦しければ、鬼神、いかにも近付くことあたはずして、さて、御社へ返り参て、このよしを申すに、「さては無力の事」と言ふ仰せにて、鬼類ども去りぬと見て、この僧、かの住山者のもとに行きて、「かかることをまのあたり見侍りつる」と語りければ、「神慮さやうに思し召したる御事のかたじけなさよ」とて、本国へ下ること思ひとどまりて、永く山にぞ住してける。
この文は、天台大師3)、南岳大師4)に三種の止観を伝へ給ふ中の、円頓止観の肝心の文なり。止観の第一の巻にあり。円頓の解行、この文に極まる。深く観ずれば、無明をすら断じ、あるいは五品六根にもかなひぬべし。それほどの益は言ふに及ばず、わづかに信心をいたし、学解(がくげ)の分なれども、世間の利益かくのごとくのことはあるべきなり。
法界等流(ほふかいとうる)の音声(おんじやう)、真善妙有の文字なり。日光の霜露を消ち、薬王の病患を癒すごとく、災難おのつから除こり、業障必滅すべし。心あらむ人、この文を習ひて、常に口にも誦し、心にも観ずべし。よつて本文を書き侍るなり。天台の学者は、みな口に付けたり。心を悟るまでなくとも、なほし益あるべし。
涅槃経には、「この大涅槃の光明、常に衆生の毛孔(もうく)より入りて、菩提の縁となる」と言へり。また梵網経には、「一切の畜類を見ん時は、『汝是畜生発菩提心』と言ふべし」と説く。下劣の有情、たとひ領解(りやうげ)なくとも、法音、毛孔より入りて、遠く菩提の因縁となると言へり。
また、先徳のいはく、「泥木(でいもく)の形像(ぎやうぞう)は大智よりおこり、紙墨の経巻は法界より流る」と。まことに、仏智を仮りて形像を刻み、法界を全くして文字にあらはす。これゆゑに、仏像を拝すれば、おのづから益を得(え)、経巻に向へば、必ず罪を除く。
しかれば、いたづらに人畜に向ひて、愛恚(あいい)の心をおこさんよりは、常に仏像に向ふべし。よしなき世間の文字を読みて、妄慮を増さんよりは、同じくは経巻を見るべし。人に善性あり、悪性あり。勝縁たる三宝の境に向へば、妙用あらはれやすし。悪縁たる六塵の境に対すれば、妄業作りやすし。すべからく善知識の縁に近付きて、深く大乗の益を信ずべし。
華厳経に多聞を誹(ひ)すること、「日夜数他宝、自無半銭分。(日夜に他の宝を数へて、自ら半銭分無し。)」と。これは行を勧めんためなり。多聞ばかりも、なほなほ業の種子となる。七種の聖財(しやうざい)の一つなり。一向いたづらに思ふべからず。荊渓5)いはく、「如実智従多聞起(如実智は多聞より起こる)云々」。
耆婆、薬草等を取り集めて童子を作り、これを薬童と名付く。病人これを見て、軽(かろ)き病は形を見るに癒え、重病は近付きて、手を取り、言を交へて、すなはち癒えけり。遊行言語すること、生ける人のごとし。仏像をこれに喩へたり。見奉らば、おのづから罪障滅すべし。信心の厚薄、観念の浅深によりて、その益異なるべし。
青丘の太賢師、梵網経の「汝是畜生発菩提心と誦すべし」と言へる文を釈していはく、「下劣有情設無領解、声入毛孔遠作菩提之因縁。(下劣の有情はたとひ領解無くとも、声毛孔に入りて遠く菩提の因縁を作らん)」となり。
翻刻
沙石集巻五 上 円頓之学者免鬼病事 中比或山僧日吉ノ大宮ニ参籠ス夜半計ニ夢ニモアラス覚 ニモアラスシテ見レハ行疫神ノ異類異形ナル数不知参テ天下 一同ノ災ニテ候山僧少々給ヘシト申ニ神人出向テ申ケル ハ山門ノ学者ヲハ許スヘカラスタタシ住山者ノ中ニ我山ニ 住セヨカシト思ニ近ク本国ヘ下ヘキ僧アリカレヲ悩シテ暫ニテモ 留ヘシ命ハ奪フヘカラス其谷ノ其坊ニアリ名ヲハ某ト云ト仰 也ト云ケレハ疫神共ハラハラト出ヌ件ノ坊ニ行テ入ラントスル ニコノ僧国ヘ下ルヘキニテ山ノ名残モ惜ク覚ケレハ夜フクルマ テ心ヲスマシテ 円頓者初縁実相造境即中無不真実繋縁法界一念法/k5-157l
界一色一香無非中道已界及仏界衆生界亦然陰入皆 如無苦可捨無明塵労即是菩提無集可断辺邪皆中正 無道可修生死即涅槃無滅可証無苦無集故無世間無 道無滅故無出世間純一実相実相外更無別法法性寂 然名止寂而常照名観雖言初後無二無別是名円頓止 観トイフ文ヲ誦シケレハ鬼神イカニモ近ツク事アタハスシテサテ 御社ヘ返参テコノヨシヲ申ニサテハ無力事トイフ仰ニテ鬼類 共サリヌトミテ此僧彼住山者ノモトニ行テカカル事ヲマノアタ リ見侍ツルト語リケレハ神慮サヤウニ思食タル御事ノカタシケ ナサヨトテ本国ヘ下ル事思トトマリテ永ク山ニソ住シテケル此文 ハ天台大師南岳大師ニ三種ノ止観ヲ伝給フ中ノ円頓止 観ノ肝心ノ文也止観ノ第一ノ巻ニ有リ円頓ノ解行コノ文/k5-158r
ニキハマル深ク観スレハ無明ヲスラ断シ或ハ五品六根ニモ叶 ヒヌヘシソレホトノ益ハイフニ及ハスワツカニ信心ヲイタシ学解 ノ分ナレトモ世間ノ利益カクノコトクノ事ハアルヘキナリ法界 等流ノ音声真善妙有ノ文字ナリ日光ノ霜露ヲケチ薬王ノ 病患ヲ愈スコトク災難ヲノツカラ除リ業障必滅スヘシ心アラ ム人コノ文ヲ習テ常ニ口ニモ誦シ心ニモ観スヘシ仍本文ヲ書 侍ルナリ天台ノ学者ハ皆口ニ付タリ心ヲサトルマテナクトモ猶 シ益有ヘシ涅槃経ニハコノ大涅槃ノ光明常ニ衆生ノ毛孔 ヨリ入テ菩提ノ縁トナルト云リ又梵網経ニハ一切ノ畜類ヲ 見ン時ハ汝是畜生発菩提心ト云ヘシト説ク下劣ノ有情設 ヒ領解ナクトモ法音毛孔ヨリ入テ遠ク菩提ノ因縁トナルト 云ヘリ又先徳云泥木ノ形像ハ大智ヨリヲコリ紙墨ノ経巻/k5-158l
ハ法界ヨリ流トマコトニ仏智ヲ仮テ形像ヲ刻ミ法界ヲ全ク シテ文字ニ顕ス是故ニ仏像ヲ拝スレハヲノツカラ益ヲヱ経巻ニ 向ヘハ必罪ヲ除ク然レハ徒ニ人畜ニ向テ愛恚ノ心ヲオコサン ヨリハ常ニ仏像ニ向ヘシ由ナキ世間ノ文字ヲヨミテ妄慮ヲマ サンヨリハ同クハ経巻ヲ見ルヘシ人ニ善性アリ悪性アリ勝縁 タル三宝ノ境ニムカヘハ妙用顕レヤスシ悪縁タル六塵ノ境ニ 対スレハ妄業ツクリヤスシ須ク善知識ノ縁ニチカツキテフカク 大乗ノ益ヲ信スヘシ華厳経ニ多聞ヲ誹スル事日夜数他宝 自無半銭分ト是ハ行ヲススメンタメナリ多聞ハカリモ猶々業 ノ種子ト成ル七種ノ聖財ノ一也一向徒ニ思ヘカラス荊渓 云如実智従多聞起云云耆婆薬草等ヲ取集テ童子ヲツクリ 是ヲ薬童ト名ク病人是ヲ見テ軽キ病ハ形ヲミルニイヱ重病/k5-189r
ハ近付テ手ヲ取リ言ヲ交ヘテ即イヱケリ遊行言語スル事生 ケル人ノ如シ仏像ヲ是ニタトヘタリ見タテマツラハヲノツカラ罪 障滅スヘシ信心ノ厚薄観念ノ浅深ニヨリテ其益コトナルヘシ 青丘太賢師梵網経ノ汝是畜生発菩提心ト誦スヘシ ト云ル文ヲ釈云下劣有情設無領解声入毛孔遠作菩提 之因縁也/k5-159l