ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:shaseki:ko_shaseki03b-04

沙石集

巻3第4話(24) 禅師の問答、是非の事

校訂本文

草河の故真観長老は、教院に六年、禅院に七年、在唐十三年、天台禅門の観心の用意、心にくく思はれたりし人にて、帰朝の後、洛陽の学者道人、縁をとり、便をうかがひて、問ひとぶらひける中に、遁世の僧、齢五旬にあまれるが、「見参に入らん」とあながちに申すありけり。

たやすく人に対面することなく、法門なんど申さるることもまれなりけるが、さて、この僧に対面して、「何事の御用にや」と問はる。「天台の法門を、かたのごとく承りて候ふにつけて、草木成仏のこと、不審に候ふ」といふ。やや久しく返事なし。

とばかりありて、「草木の成仏はしばらくおき候ふ。御辺の成仏は、いかが御存知候ふ」と問はるるに、「そのことは、いまだ何とも存ぜず」と言ふ。「まづ、その御用があるべく候ひける」とて、立ち入られにけり。この僧、言葉なく、苦りてぞ出でける。

道人の問答は、生死の一大事を心にかけて、無始の輪廻を断ち、五陰(ごうん)の重担を捨てんと思ひて、直(ぢき)に問ひ、直に答ふ。これ、参禅学道の姿なり。古人の仏法を問ひし、みなこの心なり。

昔、大珠和尚1)、馬祖2)に参ず。祖のいはく、「何のために来たれる」。大珠いはく、「仏法を求めんためなり」。祖いはく、「なんぢが自家の宝蔵を捨てて、外(ほか)に求めて何かせん」。大珠いはく、「いかなるか、これ慧海が自家の宝蔵」。祖いはく、「なんぢがわれに問ふもの、これなんぢが宝蔵なり」と。大珠、言下に道を悟る。それより後に、学人、仏法を問ふことあれば、「自己の宝蔵を開き、自己の家財を用ひよ」と教へき。

かくのごとく、生死の疑根を断ち、自己の本分を明らむる問答、これ道人の風情なるに、この客僧、生死の大事をさしおきて、他事を論ずるゆゑに、「志なし」と見て、立ち入られけり。

わが国の学問、名利のため、広学をこととして、真実の道を悟り、如説(によせつ)の行を修すること、中古より廃れて侍るにや。諸寺諸山の学問、ひとへに名利を心として、解脱を期する志なし。

しかれども、教門に眼(まなこ)をさらし、学の功の積るは、智慧の方便にて、発心する人、おのづからあるにや。慧心僧都3)、菩提心をおこして後、名利の二字を拝まれけるとかや。名利の心をもちて稽古して、学問の力によりて道心をおこすことを思ひとりて4)、「もし名利に心なくば、学問すべからず。学なくば、智恵あらじ。智慧なくば、道心おこりがたし」と思はれけるゆゑにこそ。

浄名経5)に、「欲の釣(つりばり)をもて、引きて後に道に入る」と言へる。まことなるかな。せめては、名利のためにも学すべし。順逆皆縁となる。ただし、遠近・遅速あるべし。同じくは、道に近き参学、もつとも肝要なるべし。

翻刻

  禅師之問答是非事
草河ノ故真観長老ハ教院ニ六年禅院ニ七年在唐十三
年天台禅門ノ観心ノ用意心ニクク思ハレタリシ人ニテ帰朝
ノ後洛陽ノ学者道人縁ヲトリ便ヲウカカヒテ問トフラヒケル/k3-101l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=100&r=0&xywh=-1782%2C568%2C5233%2C3091

中ニ遁世ノ僧齢五旬ニアマレルカ見参ニ入ントアナカ
チニ申有ケリタヤスク人ニ対面スル事ナク法門ナント申サルル
事モマレナリケルカサテ此僧ニ対面シテ何事ノ御用ニヤト問ハ
ル天台ノ法門ヲカタノコトク承テ候ニ付テ草木成仏ノ事不
審ニ候トイフ良久返事ナシトハカリ有テ草木ノ成仏ハシハラ
クヲキ候御辺ノ成仏ハイカカ御存知候ト問ハルルニ其事ハイ
マタ何共存セストイフ先其御用カアルヘク候ケルトテ立入
ラレニケリコノ僧コトハナクニカリテソ出ケル道人ノ問答ハ生死
ノ一大事ヲ心ニカケテ無始ノ輪廻ヲタチ五陰ノ重担ヲステン
ト思テ直ニ問直ニ答是参禅学道ノスカタナリ古人ノ仏法ヲ
問シ皆此心也昔大珠和尚馬祖ニ参ス祖ノ云ク何ノタメニ
来レル大珠云仏法ヲモトメンタメ也祖云汝カ自家ノ宝蔵ヲ/k3-102r
ステテ外ニモトメテ何カセン大珠云イカナルカ是慧海カ自家ノ
宝蔵祖云汝カ我ニ問モノ是汝カ宝蔵ナリト大珠言下ニ道
ヲ悟ルソレヨリ後ニ学人仏法ヲ問事アレハ自己ノ宝蔵ヲ開
キ自己ノ家財ヲ用ヒヨト教キカクノ如ク生死ノ疑根ヲタチ自
己ノ本分ヲアキラムル問答是道人ノ風情ナルニ此客僧生
死ノ大事ヲサシヲキテ他事ヲ論スル故ニ志シナシト見テ立入
ラレケリ我国ノ学問名利ノタメ広学ヲ事トシテ真実ノ道ヲサ
トリ如説ノ行ヲ修スル事中古ヨリスタレテ侍ニヤ諸寺諸山ノ
学問ヒトヘニ名利ヲ心トシテ解脱ヲ期スル志ナシ然トモ教門
ニ眼ヲサラシ学ノ功ノツモルハ智慧ノ方便ニテ発心スル人自
ラアルニヤ慧心僧都菩提心ヲオコシテ後名利ノ二字ヲオカマレ
ケルトカヤ名利ノ心ヲモチテ稽古シテ学問ノ力ニヨリテ道心ヲオ/k3-102l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=101&r=0&xywh=-2289%2C349%2C5841%2C3451

コス事ヲ思トキテ若名利ニ心ナクハ学問スヘカラス学ナクハ
智恵アラシ智慧ナクハ道心ヲコリカタシト思ハレケル故ニコソ
浄名経ニ欲ノ釣ヲモテ引テ後ニ道ニ入ルト云ヘルマコトナルカ
ナセメテハ名利ノタメニモ学スヘシ順逆皆縁トナル但シ遠近
遅速アルヘシ同クハ道ニチカキ参学尤モ肝要ナルヘシ/k3-103r

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=102&r=0&xywh=-253%2C392%2C5841%2C3451

1)
大珠慧海
2)
馬祖道一
3)
恵心僧都源信
4)
「思ひとりて」は底本「思ヒトキテ」。諸本により訂正。
5)
維摩経
text/shaseki/ko_shaseki03b-04.txt · 最終更新: 2018/09/15 00:09 by Satoshi Nakagawa