沙石集
巻3第3話(23) 厳融房と妹の女房と問答の事
校訂本文
中ごろ、甲斐国に厳融房といふ学生ありけり。修行者おほく給仕奉事(きふじぶじ)して、学問しけり。
あまりに腹あしき上人にて、修行者ども、時非時、さばくり荷用(かよう)するに、湯の熱きも、ぬるきも叱り、遅きをも腹立ち、とく持て来たれば、「法師に物食はせじとするか」とて、食ひさして、うち置きて叱りけり。「そのあはひを見ん」とて、障子の隙(ひま)よりのぞけば、「あれは何を見るぞ」とて、いよいよよ腹立ててければ、常には心よからずのみありけれど、もよき学生なりければ、しのびて学問しけり。
妹の女房、最愛の一子におくれて、人の親の習ひといひながら、あながちに歎きければ、余所(よそ)の人も、とぶらひ、あはれみけるに、この上人、とぶらはざりけるを、「あらうたてや、このほどの歎きを、上人のとぶらはれぬよ。余所の人だにも、情をかくるに」と言ひけるを、弟子の中に聞きて、「かの女房の恨み申され候ひなるに、御とぶらひ候へかし」と言へば、例の腹立てて、「無下の女房かな。法師が妹なんどいはん者は、普通の在家人に似るべからず。生老病死の国に居ながら、愛別離苦の愁ひなかるべしと思ひけるか。あら不覚や。いふかひなき女房かな。いでいで、往きてつめふせて来ん」とて、かさかさとして行きぬ。
「まことにやは、女房の歎きを、法師とぶらはずとて恨み給ふなる」と言へば、「あまりの歎きに、心もあられぬままに、さることも申してや候ひけん」と言へば、「無下の人かな。さすがこの法師が親しきしるしには、世の常の人にや似給ふべき。生ある者は、必ず滅す。会者は、さだめて離る。南浮(なんぶ)は、もとより老少不定の国なり。前後相違、母子の別れ、世になきことか。はじめて歎き驚くべきにあらず。かへすがへすいふかひなし」と叱りければ、「かたのごとく、この道理は承り知りて侍れども、身を分けて出で、手付けて候ひつる上、心ざまもかひがひしく候ひつれば、何の道理も忘れて、ただ別れのみ悲しく覚え候ふ」とて、涙もかきあへず泣きければ、「あら愚痴や。道理知りながら、なほ歎くべきか。されば、それは知りたるかひか。あら不覚や」とて、いよいよ責め伏せけり。
とばかりありて、涙押しのごひて、「そもそも、人の腹立ち候ふことは、悪しきことか、また、苦しからぬことか」といへば、「それは貪瞋痴(とんじんち)の三毒とて、宗(むね)との煩悩の一つなり。疑ひにやおよぶ。恐しき過(とが)なり」と言ふ時、「など、さらばそれほどに御心得あるに、御腹はあまりにあしきぞ」と言ふに、はたと詰りて、言ひやりたることはなくして、「よし。さらば、いかにも思ふさまに歎き給へ」とて、叱りて出でにけり。まことに詰りてけり。学生の妹のしるしと聞こえけり。
およそ、物の理を知ると。知りかごとく行ずるは、道、異なり。されば、過(とが)を知りて、過をあらため、理をわきまへて、理を乱らざる、まことの賢人・智者なるべし。多聞広学なりとも。身の過をあらためず、心のひがみを直さずは、いたづらに他の宝を数ふるに似たり。されば、七種の聖財の中に、智慧と多聞とは別なり。
学生の才学あれども、いかでか知れるがごとく行ぜん。智者といふは、広くものを知らざれども、道理をわきまへて、知れるがごとく、過を恐れ、理を心得て、心あきらかに悟りあるを言ふなり。「如実の行は、多聞よりおこる」とて、多聞は実智を生ずる因縁とはなるなり。ある俗のいはく、「智慧なく愚痴なる在俗の、不当不善なるは、さるべきことにて候ふ。多聞広学の僧の中に、心得ぬことどものみ聞こえ候ふは、何を習ひ知り給へる、かひこそなけれ」と申ししを、この道理をもて知ると行ずるとは異(こと)なり。されば、書1)にいはく、「知ることの難きにはあらず。能くすることの難きなり」と言へり。
まづ、「世間に弓箭(ゆみや)を取る人、合戦の庭に名をも惜しまず、命をも捨てず、逃げ隠れ怖ぢふためくは、口惜しき恥とは知りて侍るか」と言ふに、「いかでか知らぬ者候ふべき」と答ふ。「さて、このこと知れる人は、人ごとに心も剛なりや」と言ふに、「さる人はまれなり」と言ふ時、されば、世間のことは、無始よりなれきて、名利をも思ひ、恥辱をわきまへて、駆け組み、打ち合ひ、身を忘れ、命を捨てんことは、多生になれきたることにて、よにやすかるべき道に、なほ心猛(たけ)きはまれに、不覚なるは多し。まして、仏法はその道高く、その理かすかなり。学び難く、惑ひやすし。知ること、なほたやすからず、行ずること、いよいよ難し。
無始より今に悟らずして、今日はじめてあへり。まれにも信じ行ずるこそ、ありがたけれ。仏の心を知り、仏の行を学ぶ、いかでかたやすからむ。「わが身にやすき世間のことを、知るままに、なすことの難きもて、仏法の習ひ難く、行じ難きことを推して、学者をそしるべからず」と申ししかば、道理にをれ侍りき。
この上人、この道理をわきまへずして、なかなか在家人に詰りけり。妹は多聞は劣り、智慧は勝りて、かへりて詰めてけるにこそ。
如来の在世にも、これに似たることありけり。質多居士(しつたこじ)といふ俗の、初果の聖者なるありけり。信心深くして、常に僧を供養しけるに、善法比丘(ぜんぼうふびく)といふ僧、常にかの家に行きて供養を受く。
ある時、遠国より客僧来たる。居士、ねんごろに供養しけり。善法比丘、これを見て、われをばかやうに供養せずして、他国の僧を重くすること、本意なく、そねましく思ひて、もとより腹あしき比丘にて、悪口をしけり。「今日の御供養こそ、めでたく見え候へ。山海の珍物、数を尽くされたり。ただ、無きものとては、油糟(あぶらかす)ばかりなり」と言ふ。居士、油を商ひて世を渡るよしを言へり。ここに居士、「ただ今、思ひ合はすること侍り。商ひのため諸国を歩(ある)きしに、ある国に、雛の形は世の常の鶏にて、鳴く音は烏の音なるありき、そのよしを問はば、『この鶏の母、烏にとついで生めり。よつて、形は母に似たり、音は父に似て候ふ。これを烏鶏と名付く』と言へりき。今、御形を見奉れば、沙門の御姿なり。仰せらるる御語は在家の語なり。かの烏鶏こそ思ひ出でられ候へ」と言ふ時、善法比丘、言葉なく腹を立てて、食せずして、座を立ち去りぬ。この厳融房の風情、かれに似たり。善法比丘の後身にてや侍りけん。
遺教経2)にいはく、「無智慧者既非道人。亦非白衣。無所名也。(智慧無き者すでに道人にあらず。また白衣にあらず。名づくる所無し)」。また、「被袈裟猟師。(袈裟を被(き)たる猟師。)」とも言へり。古人は、「釈眼儒心の者」と云ふ。
在世・上代、なほ如法の僧少なし。今の世には、ただ形ばかり僧にて、心も語も、ただ本の俗のごとくなるのみ多し。悲しき濁世なるべし。この中に、もし三業仏誡3)に従はば、まことに思ひ出でなるべし。
翻刻
沙石集巻第三 下 厳融房與妹女房問答事 中比甲斐国ニ厳融房トイフ学生有ケリ修行者オホク給仕 奉事シテ学問シケリアマリニ腹アシキ上人ニテ修行者共時 非時サハクリカヨウスルニ湯ノアツキモヌルキモシカリヲソキヲモ 腹立疾モテキタレハ法師ニ物クハセシトスルカトテクヒサシテ打 置テシカリケリ其アハヒヲ見ントテ障子ノヒマヨリノソケハアレハ ナニヲ見ルソトテ弥ヨ腹立ケレハ常ニハ心ヨカラスノミ有ケレト モヨキ学生ナリケレハ忍テ学問シケリ妹ノ女房最愛ノ一子ニ ヲクレテ人ノ親ノ習トイヒナカラアナカチニ歎キケレハヨソノ人モ トフラヒ哀ミケルニ此上人トフラハサリケルヲアラウタテヤ此程 ノ歎キヲ上人ノトフラハレヌヨ餘所ノ人タニモ情ヲカクルニト云/k3-98l
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