沙石集
巻2第4話(14) 薬師・観音の利益に依りて命を全くする事
校訂本文
尾張国山田の郡に、右馬允明長(うまのぜうあきなが)といふ俗ありけり。承久の乱の時、京方にて、杭瀬川の戦ひに傷あまたかうぶりて、すでにとどめさして、うち捨てて、武士ども、京へ馳せ上りぬ。
友達の二人、落ちてその辺に忍びてありけるが、夜に入りて、「屍(かばね)を取りて孝養せん」とて、戦(いくさ)の庭(ば)を見るに、手はあまた負ひながら、命はいまだ絶えざりき。さて肩に引きかけて、青墓の北の山へ具して行きぬ。
あまたの傷の中に、からぶえを突き通して、土につきつけたりける傷、むねと大事なりけり。「いかさまにも助かるべからず。頭(かうべ)を取りて行け」と言へども、それもさすがにかはゆければ、「もしや助かる」と見るほどに、「落人尋ぬ」とて、武士うち散りてののしり、夜も明け方になりぬれば、かなふべくもなくて、大なる木のうつをに、手負ひをば隠して、二人はまた忍びぬ。武士、血をとめて、そのあたり、あなぐり求めけり。されども、求めかねて去りぬ。
その後、黒衣着たる僧一人、「横倉より来たれり」とて、草の葉を揉みて賜びければ、これを服して、腹の中の血あるほど下して、身も軽(かろ)く、心地も助かりて思えける。さて、この僧は見えず。二人、また来て、木の中より抱(いだ)き出だしつ。
「かかることのありて、身も軽く思ゆ。歩みて行かん」とて、本国へ下るほどに、下津川水まさりて、かなはずしてやすらふほどに、関東へ下る武士、見合ひて、怪しみてからめ捕りぬ。一度に死ぬべかりつる身の、恥さらさんこと、口惜しく思えて、「川に身を投げん」とて、川の端へ歩み寄る時、若き僧一人、「龍山寺より来れり。死ぬまじきぞ。自害なせそ」と仰せられけり。夢かと思へばうつつなり。されども、傷も痛く日も暑し。耐へがたく思えけるままに、なほ、「身投げん」とて歩み寄るに、またこの僧、縄をひかへて、「死ぬまじきぞ。あるべからず」と制し給ひければ、思ひとどまりぬ。
熱田宮1)の講衆・神官なんど、みな知りて、「申し預かるべし。社頭に講行なんど勤めて、奉公の仁にて候ふ、しかじかと申す者なり」と申しければ、「名人なりけり」とて、許さずして、鎌倉へ具して参りて、義時2)の見参に入る。「とくとく首をはぬべし」とて、湯井の浜3)へつかはす。また、例の僧出で来て、「な歎きそ。死ぬまじきぞ」とのたまへども、「今は最後」と思ひて、一心に念仏しけり。
さて、乱橋(みだればし)といふ橋のもとに、年ごろの知音行き合ひて、「あれはいかに」とて、馬をひかへて物語する。杭瀬川にて死ぬべかりし身の、せめても恥をさらさんとて、かかるやうにて、ただ今こそ首をはねられんとて、浜へまかり候へ。最後の見参こそ嬉しき」とて、涙を流す。この人申しけるは、「これは年来の知音にて候ふ。相模殿4)へ参じて、申し預かるべし。しばらく待ち給へ」とて、馬を早めて、参じて申しければ、「預かるべし」といふ御文を給ひて、やがて馳せ帰りて、あひ具して、さまさまにいたはり、命助かりて、はるかに年たくるまで、本国にありけり。からぶえの傷ゆゑに、声はしはがれたりけり。
孫なんど、今にあり。その養子にてありし入道、語りき。たしかのことなり。上代はかかるためしもありしとも、末代はありがたく、めでたくこそ思え侍れ。夢だにもありがたきに、うつつに現じて助け給ひける利益、たとへかたじけなし。
「美濃国横倉の薬師は、根本中堂5)の薬師の御衣の木の切れにて造り奉れり」と申し伝へて、霊験あらたに聞こゆ。年ごろ常に参詣しけり。尾張国龍山寺は、昔、龍王の、一夜の中に造り、供養せる寺なり。夜明けければ6)、「塹(ほり)は掘りさしたり」とて、当時もその跡見え侍り。馬頭観音にて、霊仏にておはします。年ごろ月詣(つきまうで)して、十八日ごとに三十三巻読みて奉りける。かかる因縁を以て御助けありけるにこそ、かへすがへすかたじけなし。
観音は久住娑婆(くぢうしやば)の菩薩の中に、施無畏者(せむゐしや)の名を得給へり。今、この娑婆世界は、耳根利(にこんり)にして、聞法の因縁をもつて道を悟る。観音、昔、耳根得道(にこんとくだう)の菩薩として、この界の能化とおはします。首楞厳7)の中に、「文殊、このことを讃め給へり。分きては日域(じちいき)の仏法の濫觴(らんしやう)、聖徳太子、救世観音の御方便なり。密教の習、弥陀は権(かり)の用(ゆう)を示して、穢土を捨てて、浄土を選び、修行して道を成り給へる。形、出家の相なり。因位(いんゐ)の観音は実態なり。穢土を出でずして、自性清浄の道理を表し、俗形にして本性を動ぜず。金の涅にくろまず、蓮の水に染まぬごとくなり。されば、得自性清浄法性如来(とくじしやうしやうじやうほつしやうによらい)と名付く。蓮華をもつて三昧耶形(さんまやぎやう)とし給へり。ゆゑあるにこそ。
一切衆生の心中に、覚悟の蓮華ありと言ふは、本性の観音なり。一切衆生の仏性は弥陀・観音になるべき性なり。仏菩薩、ことに蓮華に座し給へり。観音の本誓8)にあらざる仏の慈悲・智慧なしと心得(こころう)べし。されば、一切仏の心は慈悲なり。一切の慈悲は観音なり。また、妙法蓮華経9)も観音をもつて体とす。かたがた本朝には、一乗、弥陀・観音有縁の国なり。深く信をいたすべし。
まづしくして、世にありわびたる若き女房ありけり。清水10)へ常に詣でけるが、功積りて、示現に老僧の告げ給ひけるは、「その傍らなる人の衣を盗め」と仰せらると見て、夢覚めぬ。
「このこと、いかがあるべからん」と、かへすがへす思ひわづらひけれども、たしかの示現なれば、「たとひ、いかなる恥がましきことありとても、いかにせんぞ」と思ひ切りて、傍らの屏風に白き衣をうちかけたるを、引き落して、うちかづきつつ、やがて下向するほどに、五条の橋に大番衆とおぼしき武士、勢々として行き合ひぬ。
「いかなる人ぞ。ただ一人おはします」と言へば、物詣(ものまうで)の下向のよし答ふ。「いざさせ給へ。田舎へ具し参らせん」となほざりに言ひかけければ、「たよりなき身にて侍れば、御あはれみあるべくは、いづへくも参らん」と言ふ。「まことにや」と問へば、まめやかに思ふよし言ひけり。月の光に見れば、若き女房の、見目(みめ)・形なびらかなりければ、「さては」とて、やがて引き馬にうち乗せて下りぬ。
しかるべき契にやありけん。また観音の御助けとや、互ひの志浅からずして、年経(としへ)、子息なんども出で来、たのしくさかへて、奥州のなにとかや11)といふ所にありけり。
さて、十年ばかり過ぎて、次の大番に、この女房あひ具して上りけり。都にゆかりもなくなり果ててけるを、ありのままに言はむも、さすが人げなく思えて、親しき者もあるよし言ひつつ、すでに京へ入りて、ある家のたのしげなる前を過ぐとて、「これこそ、わが伯母御前(をばごぜん)のもと」とて、輿(こし)かき入れぬ。
この女房、内へさし入りて、主(あるじ)を尋ねて申しけるは、「もとは京の者には侍りしが、ゆかりありし者もみな失せぬ。親しき者もなきままに、『これぞ、わが伯母御前』と申して候ふなり。御心得あれ。見参の始め、ことさらに」とて、懐(ふところ)より金を五十両取り出でて取らせければ、兎角(とかく)の子細なし。「姪御前の入らせ給ひたる」とて、かひがひしくもてなしけり。家も足らひて、たのしかりければ、ゆゆしくきらめきてけり。
さて、酒なんど勧めて後、こと静まりて、主、この女房に申しけるは、「そもそも、いかなる御ことにて、都に人こそ多きに、かく親しくなり参らせつらん。ありがたき互ひの契(ちぎり)かな」と言ふほどに、この女房、「まことに、これも一世の事には侍らじ。さだめて、昔の契も深くこそ。かかるにつけては、わが身のこと、ありのままに語り申すべし」とて、始めより、細々(こまごま)と語りければ、主、手をはたと打ちて、「あら不思議のことや。かの衣(きぬ)は、わらはが衣にてありしを、盗人にあひて後は、仏をも恨めしく思ひ奉りて、常にも詣でざりける心の愚かさよ。かかる御はからひにて末めでたかるべしと、知らざりける凡夫の心の愚かさよ。観音の御慈悲・方便、まめやかにまめやかにかたじけなくこそ」とて、互ひに袖をしぼりつつ、いよいようちつれて、清水へ詣でける。
さて、互ひに憑(たの)みつつ、田舎よりも国の物上(のぼ)せ、京よりも色々の物下しなんどして、まことの親しき人も、いかでかこれに過ぎんとぞ見えたる。大聖の方便、かたじけなくこそ侍れ。
およそ、在家・出家をいはず、有智・無智を論ぜず。人ごとに仏にも仕へ、経をも読み侍るぞかし。しかるに、信心清浄にして、精誠をいたせば、感応むなしからず。不信懈怠にして、等閑(なほざり)なるは、利益とどこほる。されば、わが信心の至らぬ咎(とが)を戒むべし。仏菩薩を恨み奉るべからず。
すべては、仏に真身・応身おはします。また、衆生に妄心・智心あり。仏の真心は無相常住の法身なり。妄心をもつて縁すべからず。智心、これを照らす。無相無念の観智、理と相応する時、法身を縁する義あり。応身は、情識の中に妙用の方便を仰(あふ)ぐ。信深くして父母をなつかしく思ひ、師君を重く憑(たの)むがごとく、志をいたし功を入るる時、世間の利益にあづかる病苦を助け、危難を除き、悪趣をまぬかれ、善趣に生るる方便これなり。
まづ、応用をもつて情識を助け、障(さは)り除(のぞ)こり、罪消えて、人天浄土に生まれ、やうやく智性あらはるれば、引きて真身を見せしむ。しかれば、先づ妄心の中に妙用の徳をあつく憑み、次に観智の前に真身の体照すべし。この心を得ざれば、あるいは応化の身をのみ信じて、無相の法身を信ぜず、あるいは無相の法身を崇めて、応用の方便を軽(かろ)しむるは、ともに痴なり。慈悲の応身は波のごとく、光に似たり。水を離れて波なく、灯を離れて光なし。体用無礙(たいゆうむげ)にして、不二一体(ふにいつたい)なり。分別をなすことなかれ。衆生の心も、真心(しんしん)は体なり。水のごとし。情識は用なり。波に似たり。ただ、波をしづめて水を得(え)、応を信じて真を観ずべし。
これのゆゑに、内には、常住の法身を感じて能所を忘れ、外には、慈悲の妙用を信じて感応を憑むべし。これ行者の肝要、行修の用意なり。
翻刻
依薬師観音利益命全事/k2-43r
尾張国山田ノ郡ニ右馬允明長ト云俗有ケリ承久ノ乱ノ 時京方ニテ弋瀬河ノタタカヒニ疵アマタカウフリテ既ニトトメサ シテウチステテ武士共京ヘハセノホリヌトモタチノ二人オチテ其 辺ニ忍テ有ケルカ夜ニ入テカハネヲトリテ孝養セントテイクサノ 庭ヲ見ルニ手ハアマタオヒナカラ命ハイマタ絶サリキサテ肩ニ引 カケテ青墓ノ北ノ山ヘ具シテユキヌアマタノ疵ノ中ニカラフヘヲ ツキトヲシテ土ニツキツケタリケル疵ムネト大事也ケリ何サマニモ タスカルヘカラスカウヘヲトリテユケトイヘトモソレモサスカニカワユケ レハモシヤタスカルト見ルホトニ落人タツヌトテ武士ウチチリテノ ノシリ夜モアケカタニ成ヌレハ叶フヘクモナクテ大ナル木ノウツヲ ニ手オヒヲハカクシテ二人ハ又忍ヌ武士血ヲトメテ其アタリアナ クリ求ケリサレトモ求カネテサリヌ其後黒衣キタル僧一人横/k2-43l
倉ヨリ来レリトテ草ノ葉ヲモミテタヒケレハ是ヲ服シテ腹ノ中ノ 血有ホトクタシテ身モカロク心地モタスカリテ覚ケルサテ此僧ハ 見ヘス二人又来テ木ノ中ヨリイタキ出シツカカル事ノ有テ身 モカロク覚ユアユミテユカントテ本国ヘ下ルホトニ下津河水マサ リテカナハスシテヤスラフ程ニ関東ヘ下ル武士見アヒテアヤシミテ カラメトリヌ一度ニシヌヘカリツル身ノ恥サラサン事口惜ク覚テ 河ニ身ヲナケントテ河ノハタヘアユミヨル時若キ僧一人龍山 寺ヨリ来レリ死ヌマシキソ自害ナセソト仰ラレケリ夢カト思ヘハ ウツツナリサレトモキスモイタク日モアツシタヘカタク覚ヘケルママニ 猶身ナケントテアユミヨルニ又此僧縄ヲヒカヘテ死マシキソアルヘ カラスト制シ給ケレハ思トトマリヌ熱田宮ノ講衆神官ナント 皆知テ申アツカルヘシ社頭ニ講行ナントツトメテ奉公ノ仁ニテ/k2-44r
候シカシカト申者也ト申ケレハ名人也ケリトテユルサスシテ鎌倉ヘ 具シテ参テ義時ノ見参ニ入ルトクトク首ヲハヌヘシトテ湯井ノ浜 ヘツカハス又例ノ僧出来テナ歎ソ死マシキソトノ給ヘトモ今ハ 最後ト思テ一心ニ念仏シケリサテ乱橋トイフ橋ノ本ニ年来 ノ知音ユキアヒテアレハイカニトテ馬ヲヒカヘテ物語ル弋瀬河ニ テ死ヘカリシ身ノセメテモ恥ヲサラサントテカカルヤウニテ只今コ ソ首ヲハネラレントテ浜ヘマカリ候ヘ最後ノ見参コソウレシキトテ 涙ヲナカス此人申ケルハ是ハ年来ノ知音ニテ候相模殿ヘ参 シテ申アツカルヘシ暫マチ給ヘトテ馬ヲハヤメテ参シテ申ケレハア ツカルヘシトイフ御文ヲ給テヤカテハセ帰テアヒ具シテサマサマニイタ ハリ命タスカリテハルカニ年タクルマテ本国ニ有ケリカラフヘノ疵 故ニ声ハシハカレタリケリ孫ナント今ニ有其養子ニテ有シ入道/k2-44l
語キタシカノ事也上代ハカカルタメシモ有シトモ末代ハ有カタク 目出クコソ覚侍レ夢タニモ有難キニウツツニ現シテタスケ給ケ ル利益タトヘカタシケナシ美濃国横蔵ノ薬師ハ根本中堂ノ 薬師ノ御衣木ノ切ニテ造リ奉レリト申伝テ霊験アラタニキコ ユ年来常ニ参詣シケリ尾張国龍山寺ハ昔龍王ノ一夜ノ 中ニ造リ供養セル寺也夜アケケレニ塹ハホリサシタリトテ当時 モ其跡見ヘ侍リ馬頭観音ニテ霊仏ニテ御坐年来月詣シテ十 八日毎ニ三十三巻ヨミテ奉リケルカカル因縁ヲ以テ御タスケ 有ケルニコソ返々忝シ観音ハ久住娑婆ノ菩薩ノ中ニ施無 畏者ノ名ヲ得給ヘリ今此娑婆世界ハ耳根利ニシテ聞法ノ因 縁ヲ以道ヲサトル観音昔耳根得道ノ菩薩トシテ此界ノ能 化ト御坐ス首楞厳ノ中ニ文殊此事ヲホメ給ヘリワキテハ日/k2-45r
域ノ仏法ノ濫觴聖徳太子救世観音ノ御方便也密教ノ 習弥陀ハ権ノ用ヲ示シテ穢土ヲステテ浄土ヲヱラヒ修行シテ道 ヲ成リ給ヘル形出家ノ相也因位ノ観音ハ実態ナリ穢土 ヲ出スシテ自性清浄ノ道理ヲ表シ俗形ニシテ本性ヲ動セス金ノ 涅ニクロマス蓮ノ水ニソマヌ如クナリサレハ得自性清浄法性 如来ト名ク蓮華ヲ以三昧耶形トシ給ヘリ故アルニコソ一切 衆生ノ心中ニ覚悟ノ蓮華有トイフハ本性ノ観音也一切衆 生ノ仏性者弥陀観音ニ成ヘキ性ナリ仏菩薩コトニ蓮華ニ 座シ給ヘリ観音ノ本擔ニアラサル仏ノ慈悲智慧ナシト心ウヘ シサレハ一切仏ノ心ハ慈悲也一切ノ慈悲ハ観音也又妙法 蓮花経モ観音ヲ以体トス方々本朝ニハ一乗弥陀観音有 縁ノ国ナリ深ク信ヲ至スヘシマツシクシテ世ニ有ワヒタルワカキ/k2-45l
女房有ケリ清水ヘ常ニ詣ケルカ功ツモリテ示現ニ老僧ノ告 給ケルハ其カタハラナル人ノ衣ヲヌスメト仰ラルト見テ夢サメヌ 此事イカカ有ヘカラント返々思ワツラヒケレトモ慥ノ示現ナレ ハタトヒイカナル恥カマシキ事有トテモイカニセンソト思キリテ傍 ノ屏風ニ白キ衣ヲウチカケタルヲ引落シテウチカツキツツヤカテ 下向スル程ニ五条ノ橋ニ大番衆トオホシキ武士勢々トシテ行 アヒヌイカナル人ソ只一人御坐ストイヘハ物詣テノ下向ノヨ シ答フイササセ給ヘ田舎ヘ具シマイラセントナヲサリニ云ヒカケケ レハタヨリナキ身ニテ侍レハ御哀アルヘクハイツヘクモ参ラントイ フ実ニヤト問ヘハマメヤカニ思ヨシイヒケリ月ノ光ニ見レハワカキ 女房ノミメカタチナヒラカナリケレハサテハトテヤカテ引馬ニウチノ セテ下リヌ然ルヘキ契ニヤ有ケン又観音ノ御タスケトヤ互ノ志/k2-46r
アサカラスシテトシヘ子息ナントモイテキタノシクサカヘテ奥州ノイニ トカヤト云所ニ有ケリサテ十年計スキテ次ノ大番ニ此女房 相具シテノホリケリ都ニユカリモナクナリハテテケルヲ有ノママニイハ ムモサスカ人ケナク覚テシタシキ者モ有ヨシイヒツツ既ニ京ヘ入テ 或家ノタノシケナルマヘヲスクトテ是コソ我ヲハ御前ノ本トテ輿 カキ入ヌコノ女房内ヘサシ入テアルシヲ尋テ申ケルハ本ハ京ノ 者ニハ侍シカユカリアリシ者モ皆ウセヌシタシキ者モナキママニ是 ソ我伯母御前ト申テ候ナリ御心エアレ見参ノ始メコトサラニ トテフトコロヨリ金ヲ五十両取イテテトラセケレハ兎角ノ子細 ナシメイ御前ノイラセ給タルトテカヒカヒシクモテナシケリ家モタラ ヒテタノシカリケレハユユシクキラメキテケリサテ酒ナントススメテ後 事シツマリテアルシ此女房ニ申ケルハ抑イカナル御事ニテ都ニ/k2-46l
人コソオホキニカクシタシク成マイラセツラン有カタキタカヒノ契カ ナト云程ニ此女房誠ニ是モ一世ノ事ニハ侍ラシ定テ昔ノ契 モフカクコソカカルニツケテハ我身ノ事アリノママニ語申スヘシト テ始ヨリコマコマト語ケレハアルシ手ヲハタトウチテアラ不思議ノ 事ヤ彼衣ハワラハカ衣ニテ有シヲ盗人ニアヒテ後ハ仏ヲモウラ メシク思奉テ常ニモ詣テサリケル心ノヲロカサヨカカル御計ヒニ テ末目出タカルヘシトシラサリケル凡夫ノ心ノヲロカサヨ観音 ノ御慈悲方便マメヤカニマメヤカニ忝ナクコソトテ互ニ袖ヲシホリツツ 弥ヨ打ツレテ清水ヘ詣ケルサテタカヒニ憑ツツ田舎ヨリモ国ノ 物ノホセ京ヨリモ色々ノ物クタシナントシテ実ノシタシキ人モ争カ 是ニスキントソ見ヘタル大聖ノ方便忝コソ侍レ凡ソ在家出 家ヲイハス有智無智ヲ論セス人毎ニ仏ニモツカヘ経ヲモヨミ/k2-47r
侍ソカシ然ニ信心清浄ニシテ精誠ヲイタセハ感応ムナシカラス不 信懈怠ニシテ等閑ナルハ利益トトコホルサレハ我信心ノイタラヌ トカヲイマシムヘシ仏菩薩ヲ恨奉ルヘカラス都テハ仏ニ真身応 身御坐ス又衆生ニ妄心智心アリ仏ノ真心ハ無相常住ノ 法身ナリ妄心ヲ以縁スヘカラス智心是ヲ照ス無相無念ノ 観智理ト相応スル時法身ヲ縁スル義アリ応身ハ情識ノ中 ニ妙用ノ方便ヲ仰ク信深クシテ父母ヲナツカシク思師君ヲオ モク憑カ如ク志ヲイタシ功ヲ入ル時世間ノ利益ニアツカル病 苦ヲタスケ危難ヲノソキ悪趣ヲマヌカレ善趣ニ生ルル方便是 ナリ先応用ヲ以情識ヲタスケサハリノソコリ罪消テ人天浄土 ニ生レヤウヤク智性アラハルレハ引テ真身ヲ見セシム然レハ先 妄心ノ中ニ妙用ノ徳ヲアツク憑ミ次ニ観智ノ前ニ真身ノ体/k2-47l
照スヘシ此心ヲ得サレハ或ハ応化ノ身ヲノミ信シテ無相ノ法 身ヲ信セス或ハ無相ノ法身ヲ崇テ応用ノ方便ヲカロシムル ハトモニ痴ナリ慈悲ノ応身ハ波ノ如ク光ニニタリ水ヲハナレテ 波ナク燈ヲハナレテ光ナシ体用無礙ニシテ不二一体也分別ヲ ナス事ナカレ衆生ノ心モ真心ハ【体也水ノ如シ情識ハ用也 波ニニタリ只波ヲシツメテ水ヲ】得応ヲ信シテ真ヲ観スヘシ是ノ 故ニ内ニハ常住ノ法身ヲ感シテ能所ヲワスレ外ニハ慈悲ノ妙 用ヲ信シテ感応ヲタノムヘシコレ行者ノ肝要行修ノ用意也/k2-48r