沙石集
巻2第3話(13) 阿弥陀の利益の事
校訂本文
鎌倉に町の局(つぼね)とやらん聞こへし徳人ありけり。近く使ふ女童(めのわらは)、しかるべき宿善やありけん、念仏を信じて、人目には忍びつつ、ひそかに数返しけり。この主(あるじ)はきひしくはしたなく物を忌み、祝ひ事けしからぬほどなり。
正月一日、荷用(かよう)しけるが、申しつけたることにて、心ならず、「南無阿弥陀仏」と申しけるを、この主、なのめならず怒り腹立ちて、「いまいましく、人の死にたるやうに、今日しも念仏申すこと、かへすがへす不思議なり」とて、やがて捕へて、銭を赤く焼きて、片頬(かたほう)に当ててけり。「念仏のゆゑには、いかなる咎(とが)にも当れ」と思ひて、それにつけても、仏をぞ念じ奉りける。思はずに痛みなかりけり。
さて、主、「年始の勤めなんどせん」とて、持仏堂に詣でて、本尊の阿弥陀仏、金色の立像を拝み奉れば、御頬に銭の形黒く付きて見えけり。あやしみて、よくよく見るに、金焼(かなやき)にしつる銭の形、この女郎(めらう)が顔のほどにあたりて見えけり。あさましなんど言ふばかりなくて、女郎を呼びて見るに、いささかも傷なし。
主、おほきに慚愧懺悔(ざんきざんげ)して、仏師を呼びて、金薄(きんぱく)を押さするに、薄(はく)は幾重(いくゑ)ともなく重なれども、傷はすべて隠れず。
当時もかの仏おはします。金焼仏(かなやきほとけ)と申しあひたり。まのあたり拝みて侍りし。当時は三角に見え侍る。たしかのことなり。
仏菩薩の境界、いづれも信心深くば、現当の望みむなしからじ。ただ、信敬も薄く、行業もおろそかなる時こそ、罪障の雲厚くして、感応の光隔たることに侍れ。世間の人の習ひ、重き主(しう)、なつかしき友1)に志を尽し、功を入るごとくに、仏に功を入れ、志をいたさば、利益疑ふべからす。しかるに、妻子をば細やかにはぐくみ、客人をばねんごろにもてなし、君父のためには命をも捨て、名利(みやうり)のためには身を亡ぼせども、仏法のために身命を捨つる人のなきこそ、まことに愚かなる心にて侍れ。
人は今生一旦(こんじやういつたん)の仮の友、仏は当来長夜(たうらいぢやうや)のまことの師なり。力をも尽し、功をも入れば、二世の利益にあづかるべし。先蹤(せんせう)これ多し。後輩疑ふことなかれ。
翻刻
阿弥陀利益事 鎌倉ニ町ノツホネトヤランキコヘシ徳人有ケリチカクツカフ女童 シカルヘキ宿善ヤ有ケン念仏ヲ信シテ人目ニハシノヒツツヒソカ ニ数返シケリ此アルシハキヒシクハシタナク物ヲイミイハヒ事ケシ/k2-42r
カラヌ程ナリ正月一日カヨフシケルカ申ツケタル事ニテ心ナラス 南無阿弥陀仏ト申ケルヲ此主ナノメナラスイカリハラタチテイ マイマシク人ノ死タル様ニ今日シモ念仏申事返々不思議也 トテヤカテトラヘテ銭ヲアカクヤキテカタホウニアテテケリ念仏ノユ ヘニハイカナルトカニモアタレト思テソレニ付テモ仏ヲソ念シ奉リ ケルヲモハスニイタミ無リケリサテ主年始ノ勤ナントセントテ持仏 堂ニ詣テテ本尊ノ阿弥陀仏金色ノ立像ヲ拝ミ奉レハ御ホ ウニ銭ノ形クロク付テ見ヘケリアヤシミテヨクヨク見ルニカナヤキニ シツル銭ノ形此メラウカカホノホトニアタリテ見ヘケリアサマシナン ト云ハカリナクテメラウヲヨヒテ見ルニイササカモキスナシ主シ大ニ 慚愧懺悔シテ仏師ヲヨヒテ金薄ヲオサスルニ薄ハイクヘトモ ナクカサナレトモ疵ハスヘテカクレス当時モ彼仏御座スカナヤキ/k2-42l
仏ト申アヒタリマノアタリヲカミテ侍リシ当時ハ三角ニ見ヘ侍ル 慥ノ事ナリ仏菩薩ノ境界イツレモ信心深クハ現当ノ望ミム ナシカラシ只信敬モウスク行業モヲロソカナル時コソ罪障ノ雲 アツクシテ感応ノ光ヘタタル事ニ侍レ世間ノ人ノ習オモキ主ナツ キカタシトモニ志ヲツクシ功ヲ入ルコトクニ仏ニ功ヲ入レ志ヲイ タサハ利益ウタカフヘカラス然ニ妻子ヲハコマヤカニハククミ客 人ヲハ懇ニモテナシ君父ノタメニハ命ヲモステ名利ノタメニハ身 ヲホロホセトモ仏法ノ為ニ身命ヲスツル人ノナキコソ誠ニヲロカ ナル心ニテ侍レ人ハ今生一旦ノ仮ノトモ仏ハ当来長夜ノマ コトノ師也力ヲモ尽シ功ヲモイレハ二世ノ利益ニアツカルヘシ 先蹤コレオホシ後輩ウタカフ事ナカレ/k2-43r
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=42&r=0&xywh=130%2C569%2C5335%2C3172