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text:shaseki:ko_shaseki02a-01

沙石集

巻2第1話(11) 仏舎利感得の人の事

校訂本文

河内の国に、生蓮といふ入道ありけり。年ごろ、まことの仏舎利感得(ぶつしやりかんとく)の志深くして、不空三蔵の一心頂礼の舎利礼の文を唱へて、毎日五百返、五体投地の礼拝をして祈念しけり。

十四・五年の後、太子1)の御廟に詣でて、ことに精誠(せいぜい)をいたして祈請しける示現に、御廟窟より、老僧一人出でて、「なんぢが所望する御舎利は、その傍らなる者に乞へ」と仰せらるると見て、うちおどろきて、傍らを見れば、歩き巫(みこ)の、髪肩にかかりて、色白く、たけ高きが、齢二十二・三ばかりなるが臥したるほか人なし。

「これしも、御舎利持ち奉らんや」と思ひながら、「やや」とおどろかして、「ただ今、かかる示現を蒙りて、かく申すなり。御舎利や持ち給へる。渡し給ひてんや」と言へば、「浄土堂へおはせ。渡し奉らん。やすき事なり2)と言ふ。

思はずに思えて、連れて、堂の後戸へ行きぬ。脇3)にかけたりける守りの袋より、水精の塔の、六・七寸ばかりなるを取り出だせり。灯(ともしび)の光も及ばず、御戸へ光明かかやきけり。まづ身の毛立ちて覚ゆるなり。御舎利十粒ばかり出だし奉りて、「この中に一粒、えりて取り給へ」と言へば、「われに有縁の御舎利おはしまさば、その相を示し給へ」とて、掌(たなごころ)を合はせて、祈念しければ、御舎利一粒、虫の這ふやうに這ひ寄り給ひけり。「これこそ」とて、渡し奉りぬ。感涙おさへがたかりけり。

御廟の御前へ帰りて、「そもそも、いかなる人にておはしますぞ。住所はいづくぞ。御名は何と申すぞ。夜明けなば、宿房へおはしませ。よくよく申し契らん」と、ねんごろに語らひければ、「さして住所はなし。名をば寂静とこそ申す」とて、返事少なにて、うち休みけり。

ちとまどろみて、あけぼのに見ければ、この巫(みこ)見えず。あさましく思えて、あまねく尋ねけれども、つひになかりけり。人に問ひければ、「この七・八日見えつれども、いづくより来たり、いかなる者とも知らず」とぞ答へける。変化4)の人にこそ。さて、その後も礼し付けて、五百返の礼拝怠らざりけり。

ある上人、たしかに、かの御舎利拝みて、ことの子細、よくよく聞きたるよし、語られき。無下に近きことなり。

されば、ただ、人は信心のあるべきにこそ。この入道、無智の在家人なれども、真実の信心ありければ、感応むなしからず。経には、「信は道の源、功徳の母」と説き、「『宝の山に入りて、手をむなしくす』といふは、信の手のなきゆゑ」と見えたり。

信に二つあり。解信(げしん)は、智慧門より法の道理を解了(げれう)して信ず。深信(じんしん)は、ただ少しも疑はず、仏経をひらに信ず。行門には深信ことに入りやすし。大乗の仏法、識情の及ばぬところをば、まづ深信をもて仰ぎて信じて、深き悟りにも入るなり。法華5)には、「舎利弗も信をもつて入れり」と説き、信なき者をば、「一闡提(いちせんだい)」と名づけて、仏にならぬ者と言へり。

ある在家人、山寺の僧を信じ、世間出世深く頼みて、病むこともあれば、薬までも問ひけり。この僧、医骨もなかりければ、よろづの病に、「藤の疣(いぼ)を煎じて召せ」とぞ教へける。信じてこれを用ふるに、よろづの病癒えずといふことなし。

あるとき、馬を失ひて、「いかが仕(つかまつ)るべき」と言へば、例の、「藤の疣を煎じて召せ」と言ふ。心得がたけれども、「やうぞあるらん」と信じて、あまりに取り尽して近々には無かりければ、山の麓(ふもと)を尋ねけるほどに、谷のほとりにて、失せたる馬を見付けてけり。これも信のいたす所なり。

ある経の中に、「魔ありて、仏身を現じて、仏道を退転せしめんがために、説きていはく、『なんぢが身の皮を剥ぎて紙とし、血を出だして墨とし、骨を折りて筆とせば、仏法を説くべし』と。時に信心深くして、言ふがごとくする時、まことの信心あるゆゑに、魔は去りぬ。仏現じて法を説き給ふに、道を悟ると言へり。

また、在世に、晩出家の老比丘、寺に来たりて、信心深くして、「われに道果を賜べ」と言ふに、若き比丘6)、あざむきすかして、「斎営(ときいとな)まば7)与はん」と言ふ。言ふがごとく営みけり。

さて、禅鞠(ぜんきく)とて、座禅の時、眠を覚まさんがために頂(いただき)に置く手鞠のやうなる物を、「これこそ初果よ」とて頂に置くに、深く信じて、まことに初果を得つ。「初果はすでに得たり」と言ふに、また、「二果よ」とて置く。次第に第四果までまことに得て、道品の功徳を自在に説きければ、比丘ども、恥ぢ恐れて咎(とが)を謝しけり。

鳥羽法皇、山8)へ御幸ありけるに、前唐院宝蔵を開きて、大師9)の御宝物、叡覧ありける中に、円なる物の投ぐれば声あるありけり。御尋ねありけるに、山僧これを知らず。「大師の御時より御宝物とてあり」とばかり申しけり。少納言入道信西10)申しけるは、「あれは禅鞠と申して、止観の座禅の時、頂に置きて、眠る時は落ち候ふ。それに11)おどろきて座禅し候ふものなり」と申す。また、杖の先に円なる綿を包みて付けたる物あり。これをも、「法杖(ほふぢやう)と申して、座禅の時、身の不調なるを、これにて刺し突き候ふなり」と申す。また、木を枷(かせ)のやうにしたるをも、「助老と申して、老僧の座禅の時、苦しければ脇をかけて休み候ふ。だいたい脇足(けふそく)の風情なり」と申しける。才覚してめでたけれ。まして、家のこと、いかにあきらかなりけん。宇治の物語12)にあり。

13)の御弟子須利盤特(しゆりはんとく)14)は、あまりに鈍根(どんこん)にして、わが名をも忘れけり。止観の法門の喩へに、「観は箒(はうき)のごとし。止は掃ふがごとし」と教へけるに、箒の名を覆すれば掃は忘れ、掃を覆すれば箒を忘るるほどなりけり。

仏、あはれみて、五百の羅漢を師として、一夏九旬の間に、一偈を教へ給へり。「守口摂意身莫犯。如是行者得度世」と。文の意は、「口を守(まぼ)りて妄語等せず、意を修めて妄念なく、身に咎(とが)を犯すことなかれ。かくのごとく行ずる者、生死を離るべし」となり。盤特、これを信じ行ひて、羅漢の果を得たり。

されば、才智の多からんよりは、信じて行ぜば、一偈一句の下に道を得べし。経にも、「千章を誦せんよりは、しかじ、一句を聞きて道を得んには」と言へり。またいはく、「常正其心、不学余事」。心を正しくして、一切のこと習はざれとなり。

正といふは、一切の邪念なく分別なきなり。有念は、みな邪なり。無念は、すなはち正なり。この信深くは、道に入りぬべし。

翻刻

沙石集巻第二 上
  仏舎利感得人事
河内ノ国ニ生蓮トイフ入道有ケリ年来真ノ仏舎利感得ノ
志深クシテ不空三蔵ノ一心頂礼ノ舎利礼ノ文ヲ唱テ毎日
五百返五体投地ノ礼拝ヲシテ祈念シケリ十四五年ノ後太
子ノ御廟ニ詣テテ殊ニ精誠ヲ至テ祈請シケル示現ニ御廟窟
ヨリ老僧一人出テ汝カ所望スル御舎利ハソノカタハラナル者
ニコヘト被仰ト見テウチオドロキテカタハラヲ見レハアルキミコノ
髪肩ニカカリテ色白クタケタカキカ齢二十二三計ナルカ臥タ
ル外人ナシ是シモ御舎利持奉ランヤト思ナガラヤヤトオトロカ
シテ只今カカル示現ヲ蒙テカク申也御舎利ヤ持給ヘル渡給
テンヤト云ハ浄土堂ヘオハセ渡奉ランワキ事ナリトイフ思ハスニ/k2-38l

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覚テツレテ堂ノ後戸ヘユキヌ牛ニカケタリケル守ノ袋ヨリ水精
ノ塔ノ六七寸バカリナルヲ取イダセリ燈ノ光モ不及御戸ヘ光
明カカヤキケリ先身毛立テ覚也御舎利十粒計出シ奉テ
此中ニ一粒ヱリテ取給ヘト云ヘハ我ニ有縁ノ御舎利御坐
サバ其相ヲ示シ給ヘトテ掌ヲ合テ祈念シケレバ御舎利一粒
虫ノハフ様ニハヒヨリ給ケリコレコソトテ渡奉ヌ感涙オサヘカタカ
リケリ御廟ノ御前ヘ帰テ抑イカナル人ニテ御坐ゾ住所ハイツク
ソ御名ハナニト申ソ夜明ナハ宿房ヘ御坐セ能々申シ契ト懇
ニカタラヒケレハサシテ住所ハナシ名ヲハ寂静トコソ申トテ返事
スクナニテウチヤスミケリチトマトロミテアケホノニ見ケレハ此ミコ
見ヘスアサマシク覚テアマネクタツネケレトモツイニナカリケリ人ニ
トヒケレハ此七八日見ヘツレトモイツクヨリ来リイカナル者トモ/k2-39r
シラストソ答ヘケル変他ノ人ニコソサテ其後モ礼シ付テ五百
返ノ礼拝ヲコタラサリケリ或上人慥ニ彼御舎利オカミテ事ノ
子細能々キキタルヨシカタラレキ無下ニ近キ事也サレハタタ人
ハ信心ノ有ヘキニコソ此入道無智ノ在家人ナレトモ真実ノ
信心有ケレハ感応ムナシカラス経ニハ信ハ道ノ源功徳ノ母ト
説キ宝ノ山ニ入テ手ヲムナシクストイフハ信ノ手ノナキユヘト見
ヘタリ信ニ二有リ解信ハ智慧門ヨリ法ノ道理ヲ解了シテ信
ス深信ハタタスコシモウタカハス仏経ヲヒラニ信ス行門ニハ深信
コトニ入ヤスシ大乗ノ仏法識情ノヲヨハヌ処ヲハ先深信ヲモ
テ仰テ信シテ深キ悟ニモ入也法華ニハ舎利弗モシンヲ以テ入
レリト説キシン無キ者ヲハ一闡提ト名テ仏ニナラヌ者トイヘリ
或在家人山寺ノ僧ヲシンシ世間出世フカクタノミテ病事モ/k2-39l

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有レハ薬マテモ問ケリ此僧医骨モナカリケレハヨロツノ病ニ藤
ノ疣ヲ煎シテメセトソヲシヘケルシンシテコレヲモチフルニヨロツノ病
イヘストイフコトナシ或時馬ヲウシナヒテイカカ仕ルヘキトイヘハ
例ノ藤ノ疣ヲセンシテメセトイフ心得カタケレトモヤウソ有覧ト
シンシテアマリニ取尽シテ近々ニハ無カリケレハ山ノ麓ヲ尋ケルホ
トニ谷ノホトリニテウセタル馬ヲ見ツケテケリ是モ信ノイタス所
也或経ノ中ニ魔有テ仏身ヲ現シテ仏道ヲ退転セシメンカタ
メニ説テ云ク汝カ身ノ皮ヲハキテ紙トシ血ヲイタシテ墨トシ骨
ヲ折テ筆トセハ仏法ヲ説クヘシト時ニ信心フカクシテ云カコトク
スル時マコトノ信心有ル故ニ魔ハサリヌ仏現シテ法ヲ説キ給
ニ道ヲ悟ト云リ又在世ニ晩出家ノ老比丘寺ニ来テ信心フカ
クシテ我ニ道果ヲタヘトイフニ若キ比丘ニアサムキスカシテ斎営ニ/k2-40r
ハ与ント云フ云カコトクイトナミケリサテ禅鞠トテ座禅ノ時眠ヲ
サマサンカタメニ頂ニヲク手鞠ノヤウナル物ヲ是コソ初果ヨトテ
頂ニヲクニ深ク信シテ誠ニ初果ヲ得ツ初果ハ既ニ得タリトイ
フニ又二果ヨトテヲク次第ニ第四果マテ誠ニ得テ道品ノ功
徳ヲ自在ニ説ケレハ比丘共ハチオソレテトカヲ謝シケリ鳥羽
法皇山ヘ御幸アリケルニ前唐院宝蔵ヲ開テ大師御宝物叡
覧アリケル中ニ円ナル物ノナクレハ声アルアリケリ御尋アリケル
ニ山僧コレヲシラス大師ノ御時ヨリ御宝物トテ有トハカリ申
ケリ小納言入道信西申ケルハアレハ禅鞠ト申テ止観ノ坐禅
ノ時頂ニヲキテ眠ル時ハオチ候ソレハヲトロキテ坐禅シ候者也
ト申又杖ノサキニ円ナル綿ヲツツミテツケタル物アリコレヲモ法
杖ト申テ坐禅ノ時身ノ不調ナルヲコレニテサシツキ候也ト申/k2-40l

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又木ヲカセノヤウニシタルヲモ助老ト申テ老僧ノ坐禅ノ時苦シ
ケレハ脇ヲカケテヤスミ候大体脇足ノ風情ナリト申ケル才覚
シテメデタケレマシテ家ノ事イカニアキラカナリケン宇治ノ物語ニ
アリ仏ノ御弟子須利盤特ハアマリニ鈍根ニシテ我カ名ヲモワス
レケリ止観ノ法門ノタトヘニ観ハ箒ノコトシ止ハ掃カコトシト
教ヘケルニ箒ノ名ヲ復スレハ掃ハワスレ掃ヲ復スレハ箒ヲワスル
ルホトナリケリ仏哀ミテ五百ノ羅漢ヲ師トシテ一夏九旬ノ間
ニ一偈ヲ教ヘ給ヘリ守口摂意身莫犯如是行者得度世ト
文ノ意ハ口ヲマホリテ妄語等セス意ヲオサメテ妄念ナク身ニト
カヲオカス事ナカレ如是行スル者生死ヲハナルヘシトナリ盤特コ
レヲ信シオコナヒテ羅漢ノ果ヲ得タリサレハ才智ノオホカランヨ
リハ信シテ行セハ一偈一句ノ下ニ道ヲ得ベシ経ニモ千章ヲ/k2-41r
誦センヨリハシカシ一句ヲ聞テ道ヲ得ンニハト云ヘリ又云ク常
正其心不学餘事心ヲタタシクシテ一切ノ事ナラハザレトナリ正
ト云ハ一切ノ邪念ナク分別ナキナリ有念ハミナ邪也無念ハ
則正也此信深クハ道ニ入ヌヘシ/k2-41l

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1)
聖徳太子
2)
「やすきことなり」は底本「ワキ事ナリ」。諸本により訂正。
3)
「脇」は底本「牛」。諸本により訂正。
4)
「変化」は底本「変他」。諸本により訂正。
5)
法華経
6)
底本「比丘ニ」。諸本「比丘」で衍字とみてニを削除。
7)
「斎営まば」は底本「斎営ニハ」。諸本により訂正
8)
比叡山延暦寺
9)
慈覚大師円仁
10)
藤原通憲
11)
「それに」は底本「ソレハ」。諸本により訂正
12)
散逸宇治大納言物語を指すか
13)
釈迦
14)
周利槃特・周利槃陀伽・周利槃陀迦とも。略して槃特ともいう。
text/shaseki/ko_shaseki02a-01.txt · 最終更新: 2018/07/25 11:06 by Satoshi Nakagawa