沙石集
巻1第7話(7) 神明、道心を貴び給ふ事
校訂本文
南都に学生1)ありけり。学窓に臂(ひぢ)をくだして、蛍雪の功、年積もりて、碩学2)の聞こえありけり。
ある時、春日の御社3)に参籠す。夢に、大明神、御物語あり。瑜伽・唯識の法門なんど不審申し、御返答ありけり。ただし、御面(かほ)をば拝せず。
夢の中に申しけるは、「修学の道にたづさはりて、稽古年久しく侍り。唯識の法灯をかかげて、明神の威光を増し奉る。しかれば、かくまのあたり尊体をも拝し、慈訓をも承はる。これ、一世のことには侍らじと、宿習までも悦(よろこ)び思ひ侍るに、同じくは御貌(かほ)を拝し奉りたらば、いかばかり歓喜の心も深く侍らん」と申しければ、「まことに修学(しゆがく)の功のありがたく思ゆればこそ4)、かく問答もすれ。ただし、道心の無きがうたてさに、面は向へたうもなきなり」と仰せ有りと見て、夢覚めて、慚愧の心、肝に通り、歓喜(くわんぎ)の涙、袖にあまりて思えけり。
「まことに、仏法は、いづれの宗も、生死を解脱せんためなり。名利を思ふべからず。しかるに、南都北嶺の学侶(がくりよ)の風儀、ひとへに名利を先途に思ひて、菩提をよそにするゆゑに、あるいは魔道に落ち、あるいは悪趣に沈むにこそ、口惜しき心なるべし」とて、やがて遁世の門に入りて、一筋に出離の道を勤めける。
昔、三井寺、山門5)のために焼き払はれて、堂塔・僧坊・仏像・経巻、残る所なく、寺僧も山野にまじはり、人もなき寺になりにけり。寺僧の中に、一人、新羅明神(しんらみやうじん)へ参りて通夜したりける夢に、明神、御戸を挑(かか)げて、よに御心地良げにて見えさせ給ひければ、夢の中に思はずに思えて、「われ、『寺の仏法守(まぼ)らんと御誓ひあるに、かく失せ果てぬること、いかばかり御歎きも深かるらん』と思ひ給ふに、その気色なきこと、いかに」と申しければ、「まことに、いかでか歎き思し召さざらん。されども、このことによりて、真実(しんじち)の菩提心をおこせる寺僧、一人あることの喜ばしきなり。堂塔・仏経は、財宝あらば作りぬべし。菩提心をおこせる人は、千万人の中にもありがたくこそ」と仰せられけると見て、かの僧も発心して侍りけるとこそ、申し伝へたれ。
神明の御心、菩提心をおこし、まことの道に入るを悦び給ふこと、いづれの神も変り給はじかし。「今生のことを祈り申さんは、神慮にはかなはじ」とこそ、思ゆれ。
先世の果報にて、貧富定まりあり。あながちに現世のこと、神明・仏陀に申さんは、かつは恥かしかるべし。まことに愚かにこそ思ゆれ。同じ行業を菩提に向けて廻向し、かなはざらんまでも、道心をば祈り申すべきなり。
東塔の北谷に、貧しき僧ありけり。日吉6)へ百日参詣して、祈り申しけるに、「あひはからふべし」と仰せある示現を蒙りて、悦び思ひて過ぐすほどに、いささかのことによりて、年来の房主に追ひ出だされて、寄る方(かた)もなかりけるままに、西塔の南谷なる房に同宿してけり。示現蒙りて後は、ものを待つ心地にてありけるに、させることなきのみにあらず、房主にも追ひ出だされぬ。面目なく思えて、また参籠して祈請(きせい)申すほどに、示現に蒙りけるは、「先業つたなくして、いかにも福分なきゆゑに、東塔の北谷は寒き房なれば、西塔の南谷の暖かなる房へやりたるなり。これこそ、小袖一つの恩と思ひはからひたれ。このほかの福分、わが力の及ぶべきにあらず」と示し給ひける上は、思ひ切りて祈り申さず。
先業の決定(けつぢやう)して、逃れがたきは、仏神の御力もかなはず。されば、「神力、業力に勝たず」と言へり。
仏7)の在世に、五百の釈種、吠瑠璃太子8)に打たれしを、釈尊、え助け給はず。目連、神通をもつて救ふべきよし申すを、仏、許し給はず。「釈尊の御親類なれば、いかなる神通をも運びて、助け給ふべきに」と、人、不審(ふしん)申せしかば、その不審を開かんために、一人の釈種を御鉢の中に入れて、天上に隠し置かせ給ひしも、余(よ)の釈種の打たれける日、自然(じねん)として、御鉢の中にして死せり。
かの因縁を説き給へるは、「五百の釈種、昔、五百人の網人9)として、一つの大きなる魚を、海中より引き上げて、害したりしゆゑなり。かの大魚といふは、今の瑠璃太子10)なり。われ、その時童子として、、草の葉をもつて、魚の頭を打ちたりしゆゑに、今日頭痛きなり」と仰せられて、釈尊もその日御悩ありけり。いはんや、凡夫の位に、因果(いんぐわ)の理(ことわり)、遁れなんか。
利軍支比丘といひけるは、羅漢の聖者なりけれども、あまりに貧しくて、乞食すれども食を得ず。仏、教へて、塔の塵を掃かせさせ給ひければ、その日はその福分にて、乞食をしえけり。ある時、朝寝をして遅く掃きけるを、余りの比丘11)、これを掃きてけり。その後乞食するに得ずして、七日が間、食せずして、沙(いさご)を食し水を飲みて、餓ゑ死にしぬ。
仏、因縁を説き給ひけるは、「過去に、母のため不孝にして、母が餓ゑて食物を乞ひける時、『沙をも食ひ、水をも召せかし』と言ひて、七日食を与へずして、母を亡ぼし殺したる業なり。聖者となれども12)、なほ報ふなり」とこそ、説き給ひけれ。
かかる因縁なれば、貧しく賤しきも、難にあひ、苦あること、みなわが昔の咎(とが)なり。世をも人をも恨むべからず。ただ、わが心を恥ぢしめて、今より後、長く罪なき身となりて、浄土菩提を乞ひ願ふべし。
二条院の讃岐13)、この心を詠めるにや、
憂きもなほ昔のゆゑと思はずはいかにこの世を恨みはてまし
およそ、仏神の感応も、少しきの因縁をもつてこそ加することに侍れ。今生、夢の世の栄花は、いかでもありなん。後世、菩提のことをかなはぬまでも祈り申さん所、神慮にもかなひぬべき。
桓舜僧都14)と申しける山僧も、あまり貧しくて、日吉に参籠して、祈請15)しけれども、示現も蒙らず、山王大師16)をも恨み奉りて、離山して、稲荷17)に詣でて申しけるに、いくほどもなくて、千石といふ札を額(ひたい)に押させ給ふと見て、悦び思ふほどに、また、夢に稲荷の仰せられけるは、「日吉の大明神の御制止あれば、先(さき)の札は召し返しつ」と仰せらる。
夢の中に申けるは、「われこそ、御はからひなからめ。よその御恵みをさへ御制止あるこそ、心得がたく侍れ」と申せば、御返事に、「われは小神にて、法味を悦びて、そのほかのこと思ひも分かず。かれは太神にておはしますが、『桓舞は、今度生死離るべき者なり。もし、今生の栄華あれば、障(さは)りとなりて、出離かたかるべきゆゑに、いかに申せども聞きも入れぬに、何しに賜ぶぞ』と仰せらるれば、取り返すなり」と仰られけりと見て、「さては深き御慈悲にこそ」とて、夢の中にもかたじけなく思えて、驚きて、やがて本山へ帰りて、一筋に後世菩提の勤めのみ怠らずして、往生したりとなん申し侍れば、神にも仏にも申さんことは、示現なくとも空(むな)しからじ。いかにも、御はからひあるべきにこそ。ただ信をいたし、功を入れて、冥(みやう)の益(やく)を頼むべきなり。
行基菩薩の御遺誡にいはく、「一世の栄花利養、多生輪廻の基(もとゐ)なり18)」。
宝地房の証真法印、夢に、西坂本より十禅師の上らせ給ふに参りあひぬ。手輿(たごし)に召して、御眷属、済々としておはします。「何事をか申さまし」と思ひて、老母の貧しきことを思ひ出でて、「かの老母、養ふほどの御ことはからひ候へ」と申しけれは、御色ざし、まことにめでたく、御心地よげに見えさせ給ひけるが、このことを聞かせ給ひて、しほしほと痩せ衰へて、物思ふ姿にならせ給ふ。「まことや、世間のことを申すによりて、御心にかなはぬにこそ」と思ひ返して、「老母のことは、いくほどあるまじき世にて候へば、いかでも候ひなん。後世菩提のこと、いかが仕(つかまつ)り候ふべき。御助け候へ」と申しければ、御気色もとのごとくにならせ給ひて、御心地よげにて、うち笑みて、うなづかせ給ふと見て、道心の色も深くして、終りめでたかりけり。
世間のことをのみ心にかけて、神仏に祈り申すは、かへすがへす愚かなり。和光の御本意は、仏道に入れんためなり。世間の利益は暫くの方便なるべし。このこと、かの孫弟子の、永海法印の物語なり。たしかのことにこそ。
止観19)にいはく、「和光同塵は結縁の初め、八相成道はもつてその終りを論ず」。いかにも仏意を仰(あふ)ひで、成道の化儀を待つべし。世間の善には、孝養は最上の福なり。しかれども、菩提心にた比ぶれば劣れり。浄土に生まれて引導せんこと、まことの孝養なり。善根の優劣は、譬へば星の光あれども月の光に及ばず。月明らかなれども、日に及ばず。かくのごとく、孝養も菩提心に及ぶべからざるなり。
翻刻
沙石集巻第一 下 神明道心貴給事 南都ニ学生有ケリ学窓ニヒチヲクタシテ蛍雪ノ功年ツモリテ 硯学ノキコエアリケリ或時春日ノ御社ニ参籠ス夢ニ大明神 御物語有リ瑜伽唯識ノ法門ナント不審申シ御返答有ケリ 但シ御面ヲハ拝セス夢ノ中ニ申ケルハ修学ノ道ニタツサハリテ 稽古年久ク侍リ唯識ノ法燈ヲカカケテ明神ノ威光ヲ増奉 ル然ハカクマノアタリ尊体ヲモ拝シ慈訓ヲモ承ル是一世ノ事ニ ハ侍ラシト宿習マテモ悦ヒ思ヒ侍ニ同御貌ヲ拝シタテマツリタ ラハイカハカリ歓喜ノ心モフカク侍ラント申ケレハ誠ニシユカクノ 功ノ有難ク覚フレハコソカク問答モスレ但シ道心ノナキカウタテ サニ面ハムカヘタウモナキナリト仰有トミテ夢サメテ慚愧ノ心ロ/k1-17l
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