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text:senjusho:m_senjusho06-10

撰集抄

巻6第10話(58) 性空上人事

校訂本文

昔、播磨国、書写といふ山寺1)に、性空聖人といふ人いまそかりけり。本院の左府時平2)のむまご、時朝3)の大納言の侍(さぶらひ)に、仲太小三郎といふ男にてなんをはしける。

かの大納言の御もとに、昔より伝へて、めでたき硯侍り。錦の袋に入て置かれ侍り。司を給はるたびに、この硯をば見るに侍り。されば、おぼろげにては取り出ださるることも侍らず。

しかあるに、この殿、大納言にあがり給ひて、この硯を見給ひて、厨子に置き給ひてけり。仲太、この硯の見たく思えて、御子の若君の十になり給ふを、すかしこしらへて、忍びてこの硯を開けて見るほどに、足音のあららかに聞こえければ、心迷ひして、したため置かんとするほどに、取り外して、落して、あやなく二つにうち割りぬ。

仲太、「いかがせん」と騒ぐに、この若君のたまふやう、「いたくな歎きそ。『われ割り4)たり』と言はむ。われしたりと聞き給はば、おのづから、思ひゆるし給ふことも侍りなん」とのたまへば、仲太、手をすり悦びてのき侍りぬ。

さるほどに、大納言、「この硯をしたため置かん」とて、見給ふに、まさに二つに割れたり。あさましなどいふもおろかに思え給ひて、「誰が割りたるにや」と、まことに腹立ち、むつかり給へるに、この若君、うち涙ぐみて、「われ割りて候(さぶら)ふ」と聞こえ給ふに、大納言、大に叱り、「この硯は、大織冠の住吉に詣で給へりけるに、大明神御託宣ありて言ふ、『われ、この所に跡を留めて、年を送り月を重ぬれども、はかばかしき人5)誰も見え来たり給はざるに、嬉しくもとぶらひ給へり。この悦びには、この硯を奉る。これは、わが跡をうつす硯に侍り。身にとり極まることあらん時、見給ふべし』と託宣なりて、大織冠の左の袂にこの硯侍りけるを取りて、錦の袋に入れて置かれけるなり。かかる硯を割るものなれば、ただあるべきになし」とて、頸を切られにけり。

その時、仲太、あさましく悲しふ思えて、「かつは、若君の後世をもとひ奉らん、かつは、わが身の咎をもはるるばかり行はん」と思ひて、やがて飾りおろして、性空とぞ申し侍りける。常は、世の無常を観じて、涙を流し、六根を浄めて、法華を転読せり。播磨国書写山に庵結びて、読誦の功積りて、この身ながら六根清浄を得給ひにけり。されば、かの若君の得脱は、よもさはり侍らじと思えり。

最初、発心の時より、久修堅固の今まで、おこたりなく行ひ給へば、今は、かの若君は霊山浄土にもや生れてもいまそかるらん。また、この若君の、人のことにあたるべきことを、見わび給ひて、われと替へて命を失ひ給へるわざ、たとへなき心にぞ侍るべき。中にも、十の人の幼きには、このこと、「げに」と思はんやは。「あはれ、ながらへ給はましかば、いかなる人にか、おひ出で給ふべき」と、かへすがへすもゆかしく侍り。

さても、この聖人、「われ、法華読誦の功によりて、肉身にまのあたり六根清浄の功徳を得たりといへども、生身の普賢菩薩の尊像を拝み奉らぬこと、恨みの中の恨みに侍り」とて、七日祈念していまそかりけるに、七日の暁のうつつに、天童託していはく、「室の遊女が長者を拝め。それぞ、まことの普賢なる」と示して、失せ給ひぬ。

「不思議」と思ひ、おどろきて、急ぎ室6)へ至り給ひなんとす。「黒衣にては、『遊女見ん』と言はんこと悪しかりなん」とて、白き衣着給ひて、同じさましたる僧、五人具して、室の長者が庵(いほり)に至り着き、宿をとり給ふに、長者、出で合へり。長者、酌取り、聖人に酒をすすめ奉れり。「しひ申す」とて、舞を舞ふ。

  周防みたらしの沢辺に風のおとづれて

とかずふれば、並び居たる遊女ども、同じ声して、

  ささら波立つ やれかとつとう

と拍しけり。

されば、「これは生身の普賢にこそ」と思ひ給ひて、目をふさぎ、心を静めて、観念をし給ふ時、端厳柔和の生身の普賢、白象に居給ひて、

  法性無漏の大海には 普賢恒順の月光ほがらかなり

と、歌はせ給へり。

また、目をあきてこれを見給へば、遊女の長者なり。歌ふ声も、

  ささら波立つ

といふなり。

また、目をふさぎ、心を法界に澄ませば、長者、また生身の普賢にてましましけり。聖人、貴く憑もしくいまして、いとまを申して出で給ふほどに、一町ばかり去り給ひてのち、この長者、にはかに身まかりにけり。

この長者、遊女として年を送りしかども、誰かこれを生身の普賢とはつゆ思ひ侍りし。ただ、なめての女とこそ思ひけめ。まことの菩薩にておはしましけること、げにげにかたじけなくぞ侍る。

すべて、かかる御世(みよ)の仏たち、形を隠してうち出で給へども、眼に雲厚くして澄める月のあらはれぬに侍り。悲しきかなや、尊像に向ひながら、遊女と見ることを。恨しきかなや、妙なる御法を聞きながら、ささら波の詞と思ふことを。さてまた、この遊女のやがてはかなくなり給へりけること、いかなるやうのあるにや。「まことのあらはれぬ」とて去りいまそかりけるやらむ。また、聖人に拝まれ給ひぬれば、これや望みにていまそかりけん。このことは、『拾遺抄』に載せて侍る。ことの見すごしがたさに、書き載せぬるに侍るなり。見及ばざるにはあらず。

されば、悟りの前には、風の声、波の音、みな妙なる御法に侍ること、この遊女の歌の法文なるにて、ひしとげに思ひさだめて侍り。

あはれ、いささかの悟りを開きてみばや。いかにこの世に思ひを留め入れらん人の、おろかに思えん。ここに思ひを留むるも、火宅と知らざるほどの時なり。火宅と知りなんに、何としてか、「しばしも留まらん」と思ふこと侍らん。さても、都に心を留めて思ふに、見ず知らざる所はしばらくこれをおく。日本一州の分斉に、あらゆる人、いくそばくかあり。その中に、誰か一人として、この世にながらへ果つる。八十(やそぢ)の齢は、たもつ者まれなり。

そもそも、死して後、いづれの所へか行く。また、いづれの所にか留まり果てん。生じ生じて生の始めを知らず。死し死して死の終りをもわきまへず。三途、終(つひ)の栖(すみか)にあらず。廻り廻る所、みな、しばしのほどの宿りなり。ただ、蹴鞠の上下し、車の庭に廻るに似たり。何をさだむる所としてか、仮にも思ひを留めん。この身の形、また定相あること侍らず。人に生れば人身なり。鳥に報ひを受けぬれば、すなはち鳥の形なり。

されば、この身もはてしなければ、思ひをこれにも留むべからず。ただ、行きて留まり果つべきは、仏果円満の位受けて、姿をあらためざるは仏身なり。

しかあるに、留まり果て、受け果つべきをば願ふ心なくて、この仮なる宿りの中の、はかなき身に思ひを残さんこと、かへすがへすも愚かに侍り。

翻刻

昔幡磨国書写といふ山寺に性空聖人と
云人いまそかりけり本院の左府時平
のむまこ時朝の大納言の侍に仲太小三良
といふ男にてなんをはしける彼大納言の御
もとに昔より伝て目出硯侍り錦の袋
に入てをかれ侍り司を給はる度に此硯をは/k182r
みるに侍りされはおほろけにては取出さるる事
も侍らすしかあるに此殿大納言にあかり給て
此硯を見給て厨子におき給てけり仲太此
硯のみたく覚て御子の若君の十に成給ふ
をすかしこしらへて忍て此硯をあけて
見る程に足をとのあららかに聞えけれは心迷
してしたためおかんとする程にとりはつして
おとしてあやなく二にうちはりぬ仲太いかか
せんとさはくに此若君の給ふやういたくな歎
そ我わたりたりといはむ我したりと聞給はは/k182l
をのつから思ひゆるし給ふ事も侍りなんとの
給へは仲太手をすり悦てのき侍りぬ去程に
大納言此硯をしたためをかんとて見給ふに
正二にわれたり浅猿なといふもおろかに覚給
て誰かわりたるにやと実に腹立むつかり給へ
るに此若君うち涙くみて我破てさふらふ
と聞え給に大納言大にしかり此硯は大織
冠の住吉に詣て給へりけるに大明神御詫
宣ありて云我此所に跡を留て年を送
月を重ぬれ共はけしき人たれも見え来り給は/k183r
さるに嬉しくも訪給へり此悦には此硯を奉る
これは我跡をうつす硯に侍り身にとり極る事
あらん時見給へしと詫宣なりて大織冠の
左の袂に此硯侍りけるをとりて錦の袋に
入てをかれける也かかる硯をわるものなれは
たたあるへきになしとてくひを切れにけり
其時仲太浅猿悲ふ覚て且は若君の後世を
もとひ奉らん且は我身の咎をもはるるはかり
行はんと思ひて軈てかさりおろして性空と
そ申侍りける常は世の無常を観し/k183l
て泪をなかし六根をきよめて法花を転読
せり幡磨国書写山に庵結て読誦功積
て此身なから六根清浄を得給にけりされは
彼若君の得脱はよもさはり侍らしと覚へり
最初発心の時より久修堅固の今迄を
こたりなく行給へは今は彼若君は霊山浄土
にもや生れてもいまそかるらん又此若君の人の
事にあたるへき事をみわひ給て我と替て
命を失ひ給へるわさたとへなき心にそ侍へき
中にも十の人の幼なきには此事けにと思はん/k184r
やはあはれなからへ給はましかはいかなる人にかおひ出
給ふへきと返々もゆかしく侍りさても此聖人
我法花読誦の功に依て肉身にまのあたり
六根清浄の功徳を得たりといへ共生身の
普賢菩薩の尊像を拝み奉らぬ事恨の
中の恨に侍りとて七日祈念していまそかり
けるに七日の暁のうつつに天童詫して云室
の遊女か長者を拝めそれそ実の普賢なると
示して失給ぬ不思議と思ひをとろきて
いそき室へいたり給なんとす黒衣にて/k184l
は遊女見んといはん事悪かりなんとて白き衣
き給て同さましたる僧五人具して室の
長者かいほりに至りつきやとをとり給に
長者出合へり長者酌取聖人に酒をす
すめ奉れりしゐ申とて舞をまふ周防み
たらしの沢辺に風の音信てとかすふれは
ならひゐたる遊女共同声してささら浪立
つやれかとつとうと拍しけりされは是は
生身の普賢にこそと思給て目をふさき
心をしつめて観念をし給ふ時端厳柔/k185r
和の生身の普賢白象に居給て法性無
漏の大海には普賢恒順の月光ほからかなりと
うたはせ給へり又目をあきて是をみ給へは遊女
の長者也うたふ声もささら浪立と云也
又目をふさき心を法界にすませは長者又生
身の普賢にてましましけり聖人貴憑しく
いましていとまを申て出給ふ程に一町はかり
去給て後此長者俄に身まかりにけり
此長者遊女として年を送しかとも誰か是
を生身の普賢とは露思侍し只なめての/k185l
女とこそ思ひけめ実の菩薩にてをはしまし
ける事けにけに忝そ侍るすへてかかるみ
よの仏達形をかくしてうち出給へ共眼に
雲あつくしてすめる月のあらはれぬに侍りか
なしきかなや尊像に向なから遊女と見る事
を恨しきかなや妙なる御法を聞なからささら
浪の詞と思ふ事をさて又此遊女の軈て
はかなくなり給へりける事いかなるやうのある
にや実のあらはれぬとてさりいまそかりけるやら
む又聖人にをかまれ給ぬれは是やのそみにて/k186r
いまそかりけん此ことは拾遺抄に載て侍ること
のみすこしかたさに書のせぬるに侍也見およは
さるにはあらすされは悟のまへには風のこゑ浪の
音みな妙なる御法に侍る事此遊女の
哥の法文なるにてひしとけに思ひ定て侍り
あはれ聊のさとりを開てみはやいかに此世に
おもひをととめいれらん人のをろかに覚へん爰に
おもひをととむるも火宅としらさる程の
時也火宅としりなんに何としてかしはしも
留まらんと思ふ事侍らんさても都に心をとと/k186l
めて思ふに見すしらさる所は且く是ををく日
本一州の分斉にあらゆる人いくそはくかあり
其中に誰かひとりとして此世になからへはつる
八そちの齢はたもつ物まれなり抑死て後何所
へかゆく又何の所にかととまりはてん生し生
して生の始をしらす死し死して死のをはり
をもわきまへす三途つゐの栖にあらすめ
くりめくる所みなしはしの程のやとりなりたた
蹴鞠の上下し車の庭に廻に似たり何を
定る所としてか仮にも思をととめん此身形又/k187r
定相ある事侍らす人に生れは人身也鳥に報を
うけぬれは則鳥の形なりされは此身もはてし
なけれは思を是にもととむへからす只行て
留りはつへきは仏果円満の位うけて
姿をあらためさるは仏身なりしかあるにとと
まりはてうけはつへきをはねかふ心なくて
此かりなるやとりの中のはかなき身に思を
のこさん事返々も愚に侍り/k187l
1)
書写山円教寺
2)
藤原時平
3)
藤原時朝となるが、不明
4)
「割り」は底本「わたり」。諸本により訂正
5)
「はかばかしき人」は底本「はけしき人」。諸本により訂正。
6)
播磨国室津
text/senjusho/m_senjusho06-10.txt · 最終更新: 2016/08/03 11:17 by Satoshi Nakagawa