目次
撰集抄
巻4第5話(30) 顕基卿事
校訂本文
昔、中納言顕基1)と申す人いまそかりける。後冷泉院2)の御時、朝に仕へ給ひて、寵愛いやめづらかにして、多くの人を越えなんどして、二品(しな)の位にのぼり給へりけるが、つねは林下の戸ぼそを求めて、世をのがるる心深くなんおはしけるなんめり3)。しかあるを、心離るる縁の、いまだ尽きやり給はざりけるに、御門はかなくならせ給ひしかば、中納言、天台山4)に登りて、頭おろして、大原といふ所になん、行ひすましていまそかりける。
朝に仕へしそのかみより、ただ明け暮れは、「あはれ、罪無くして配所の月を見ばや」とて、涙を流し、「古墓、いづれの世の人ぞ。姓と名とを知らず。年々春の草のみしげし」と詠じて、けしからず涙を流しけるとかや。
めでたく行ひすまして、智行世に聞こえ給へりしかば、宇治の大殿5)、法縁あらまほしく思し召して、かの大原にみゆきして、中納言入道の庵(いほ)に一夜を明かさせ給ひて、御物語の侍りけるに、この世のことをばかけふれ聞き給はで、後生のことのみにて侍りけるなり。
暁になりて、「今は」とて、出でさせ給へりけるに、入道、庵の外に見送り奉りて、「子息にて侍る俊実6)は、不覚の者にてなん侍り」とはかりぞ申されける。
世を捨て給へども、恩愛の道のあはれさは、「俊実の卿を見捨てさせ給ふな」と申されけるにこそ。されば宇治殿の御あはれみにて、大納言、按察、心のままにかけられりと、承はり侍りき。
さて、中納言は、草の戸さし、しづかにして、いひしらずめでたく往生をし給へり。『遊心集』に載せられて侍りしを、見侍りしに、そのこととなく、涙の落ちてあやしきに、発心の始めことに澄みて思え侍り。「忠臣、二君に仕へず」と云ふ、世俗の風儀を守りて、飾りをおろし、大原の奥に居をしめて行ひ給ひける、いとありがたくぞ侍る。
所がら、ことに澄みて思え侍る。長山、四方(よも)にめぐりて、わづかに爪木こる斧の音の山彦ひびき、峰の呼子鳥(よぶこどり)のひめもすに鳴きわたり、秋の草、門を閉て、閨(ねや)に葛(かづら)のしげりて、虫の声、枕の下に聞こえけん。さこそ、心も澄みていまそかりけん。
ただ、人は、いかにも好む所を求むべきなり。心は所によりて住むべきにや。かの印度7)の竹林寺・波羅提寺、もしは、跋提河・尼蓮河などの澄めるさまを聞くには、かしこにそぞろに住みたく、唐土の江州終南山・廬山8)の恵遠寺などの、しづかなるさまを聞くに、「かしこに住む身と、などかならざりけん」とくちをしく思え侍り。大原・小野里・吉野の奥の住居(すまゐ)こそ、あらまほしく思えて侍れ。「罪無くして配所の月を見ばや」と願ひ給ひけん、げにげにあはれに侍り。元和十五年の昔、思ひ出だされて、心の中、そぞろに澄みても侍るかな。
古き世の墓、その姓名を知らず、年の移るごとに、春の草のみ生ひて、古き卒塔婆、霧朽ちて傾き立てるさま、思ひ入りて見侍れば、そぞろにあはれにも侍るかな。しばしは名をば埋まねども、それさへ末は、とぶらひきざみし卒塔婆も跡形なく、同じ上に焼け上り、同じ蕀(おどろ)が下に埋(うづ)み重ねて、焼けば煙とのぼり、埋めば土となるさまこそ、身にしみてあはれにも思ひ給ひけめと思はれて、今もまた、涙のいたく落ち侍る。大原の奥の糸すすき、露のよすがの秋来れば、さもこそ玉の緒をよはみ、末葉にすがり、かたぶくらめと、思え侍り。
翻刻
昔中納言顕基と申人いまそかりける後 冷泉院の御時朝に仕給て寵愛いやめ つらかにして多の人を越なんとして二しな の位にのほり給へりけるか常は林下の戸 ほそをもとめて世をのかるる心深なんおはし けるなんしか有を心離るる縁の未尽やり給 はさりけるに御門はかなく成せ給しかは中納言/k100r
天台山に登てかしらおろして大原と云所になん 行すましていまそかりける朝につかへし そのかみよりたたあけくれは哀罪無して 配所の月を見はやとて泪をなかし古墓何 の世の人そ性と名とを不知年々春の草 のみしけしと詠してけしからす泪をなかし けるとかや目出行すまして智行世に聞給 へりしかは宇治の大殿法縁あらまほしく 思召て彼大原にみゆきして中納言入道 のいほに一夜をあかさせ給て御物語の侍り/k100l
けるに此世事をはかけふれ聞給はて後生の 事のみにて侍りけるなり暁になりて今は とて出させ給へりけるに入道いほの外に見を くり奉て子息にて侍る俊実は不覚のもの にてなん侍りとはかりそ申されける世を捨給へ とも恩愛の道の哀さは俊実の卿を見すて させ給ふなと被申けるにこそされは宇治殿の 御哀にて大納言按察心のままに被懸け りと承侍きさて中納言は草のとさし 閑にしていひしらす目出往生をし給へり/k101r
遊心集に載られて侍りしを見侍りしに其事と なく涙のをちてあやしきに発心の始ことにすみて 覚え侍り忠臣二君不仕と云世俗の風儀をま もりて餝をおろし大原の奥に居をし めて行給けるいと有難そ侍る所から殊に すみて覚侍る長山よもに廻て僅に 爪木こるおのの音の山彦ひひき峰のよふ ことりのひめもすになきわたり秋の草 門を閉て閨に葛のしけりて虫のこゑ枕の 下に聞えけんさこそ心もすみていまそ/k101l
かりけんたた人はいかにもこのむ所をもとむへき なり心は所によりて可住にや彼印虫の竹林 寺波羅提寺もしは跋提河尼蓮河なとの すめるさまを聞にはかしこにそそろにすみた く唐土の江州終南山芦山の恵遠寺なと の閑なる様を聞にかしこにすむ身となと かならさりけんと口惜覚侍り大原小野 里吉野の奥のすまゐこそあらま ほしく覚て侍れ罪無して配所の 月を見はやと願給けんけにけに哀に侍り/k102r
元和十五年の昔思出されて心の中そそろ にすみても侍るかな旧世の墓其性名を不知 年のうつる毎に春の草のみ生て古き率 都婆霧くちて傾き立る様思入て見侍はそ そろに哀にも侍るかなしはしは名をはうつ まねともそれさへすゑは訪きさみし率都婆 も跡形なく同上に焼上同蕀か下にうつみ 重てやけは煙とのほり埋は土と成さま社 身にしみて哀にも思給けめと思はれて今 も又涙のいたくおち侍る大原の奥のいと薄/k102l
露のよすかの秋くれはさもこそ玉のををよはみ すゑ葉にすかりかたふくらめと覚侍り/k103r