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目次
蒙求和歌
第6第8話(98) 相如題柱
校訂本文
相如題柱 蜀郡人也
漢の司馬相如は、成都の人。蜀城1)の北七里、昇遷橋といふ橋あり。相如、始めて都へ向ふに、これを過ぎけるに、あやしく貧しき姿を「憂し」と思ひて、「われ、大夫として、大車肥馬に乗らずは、またこの橋を渡らじと誓ひて、柱に書き付けてけり。
後に、武帝、相如が才智を讃めて、武騎常侍とす2)。重ねて、中郎将に3)移りて、使(つかひ)として蜀郡に入るに、郡守、向へに来たり。
郡の令(つかさ)、弓矢を負ひて前駆す。蜀の人、これを見て、目を驚(おどろ)かしけり
うれしくも道ある御世にあふみかな瀬田の唐橋踏みもたがへず
翻刻
相如題柱 蜀郡人也 漢の司馬相如は成都の人蜀成の北七里昇遷橋といふ はしあり相如はしめてみやこへむかふにこれをすきけるにあやしくまつ しきすかたをうしとをもひてわれ大夫として大車肥馬にのらすは 又このはしをわたらしとちかひてはしらにかきつけてけり後に/d1-48r
武帝相如か才智をほめて武騎常侍すかさねて中郎 将□うつりてつかひとして蜀郡にいるに郡守むかへにきたり 郡の令(つかさ)ゆみやををひて前駈す蜀の人これをみてめををとろかしけり うれしくもみちあるみよにあふみかなせたのからはしふみもたかへす/d1-48l
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka06-08.txt · 最終更新: 2017/12/22 01:17 by Satoshi Nakagawa