目次
古本説話集
第28話 曲殿の姫君の事
曲殿姫君事
曲殿の姫君の事
校訂本文
今は昔、五条わたりに古宮原の御子、兵部の大輔なる人おはしけり。心ばえあてに、古めかしければ、世にさし出でもせず、父(てて)宮の御家のこ高う大きなるに、あばれ残りたる東(ひんがし)の対(たい)にぞ住み給ひける。
年は五十余になりぬるに、娘の十余ばかりなるが、えもいはずをかしげなる、髪よりはじめ、姿・様体(やうたい)、ここはと見ゆるところなく、心ばへ、けはひ、らうたげに美し。人様のかくめでたければ、さるべき公達(きみたち)などにあはせ給へらむに、おろかにつゆ思ふべきにもあらず。
世に人、かくめでたしともえ知らざりければ、ことに言ふ人の無きままに、「これには、いかえか進みては言はむ。今言ふ人あらば」など、古めかしうおぼしつつみておはするに、気高き交らひもせさせまほしうおぼせど、かくうちあらぬ身のありさまなれば、思ひもかけず、心にかかりて、父(てて)も母も、ただ二人のなかに臥せて教ふることをのみなむ、し給ひける。
乳母の心ばへのふさはしからずのみありければ、「我らが年は老いにたり。頼むべき乳母の心ばへ、うち解くべくもあらず。たのむべき兄人(せうと)だにあらば、うしろめたなくおぼゆまじきを」。ただ二所(ふたところ)して嘆き給ふ事より他になし。
かかるほどに、父・母うちつづき失せ給ひぬれば、姫君の御心、ただ推し量るべし。あはれに悲しく置き所なくおぼさるる事、例へむ方なし。はかなくて、服なと脱ぎつ、明け暮れ親たちのうしろめたなき物にのたまひしかば、この乳母、うちも解けられず、何となくて、年来経るほどに、さるべき調度どもも、あまたありしかど、この乳母、人に言ひほらされて、はかもなく、やうやうし失いつ。世の中にあるべくもあらず、心細くおぼゆる事限りなし。
かくてあるほどに、乳母言ふやう、「おのが兄人なる法師に付けて、言はせ給ふなり。某(なにがし)の前司の御子の、年十余歳ばかりなるが、かたちも良く、心ばへも良きにおはすなり。父殿は受領におはすれど、近き上達部の子にて、貴(あて)なる人なり。通ひ給はむに、賤しかるべき人にもあらず。かくて心すごくておはしますよりは」など言ふ。姫君は髪を振りかけて泣き給ふより他の事なし。
乳母、かくて文たびたびとり伝ふれど、姫君、見も入れ給はず。ことわりなり。女房などに、姫君の御文とおぼしく、返り事はしつつやる。文、たびたびになりぬれば、その日と定めて来させつ。来初めぬれば、いふかひなくて通ひ歩かす。女の御有様は、かくめでたうおはすれば、男のこころざし、思ひ聞こえさする事、ことはりなり。また男君も、さすがに貴(あて)人の子なれば、けはひも貴やかに、有様ことに細やかにて、貴になむありける。
頼もしき人も無きままに、頼みてあるほどに、男君の父殿、陸奥国(みちのくに)の守になりぬ。春、急ぎて下るに、男君、とまるべきことならねば、親の供に下るに、この女君を置きて行かむ事、わりなくおぼゆれど、親に知られてうち解けたる仲らひにもあらねば、具せむこと恥づかしくてえ言はず。
その日になりて、いみじきことども契りおきて、泣く泣く別れて陸奥国へ去ぬ。国へ下り着きて、「いつしかと文上げむ」と思ふに、たしかなる便りもなし。
かく過ぐる間に年月も過ぎにけり。任果てての年、いつしか上らむとするに常陸の守なる人の、はなやかなるあり。それが「婿にせむ」とて、人々おこせて迎へければ、親、「いとかしこきことなり」と喜びて遣りつ。陸奥国に五年ゐて、また常陸に行きて三・四年とゐたる間、七八年ははかなくてなりぬ。
この常陸の女は、にくからず愛敬づきなどはしたれど、京の人には似るべくもあらねば、心を京に遣りつつ、恋ひ迷へどもかひなし。
たびたび出したてて、消息を遣れど、「え尋ねず」とて、消息を持て返り、又、京にやがて使ひはとまりて、返り事も持てこずなどしてあるほどに、任も果てて上るほどに、道すがら、「いつしか」と思ふ。
粟津に来て、「日次で悪し」とて、二三日ゐたるに、おぼつかなき事限りなし。
からうじて、よろしかりける日、京に入る。「昼は見苦し」とて、日暮してなむ入りけるに、入るや遅きと妻(め)をば常陸の家に送り置きて、さりげなきやうにて、旅装束しながら、五条に急ぎ行きてみれば、築地(ついぢ)こぼれこぼれもありしに、多うは小家ゐにけり。
四足(よつあし)の門(かど)のありしも跡形も無し。寝殿・対などの有りしも、一つ見えず。政所屋のありし板屋なん、ゆがむゆがむ残りたる。池は水も無くて、葱(なぎ)といふ物を作りて水も無し。多かりし木も、所々切り失なひたり。
「この辺に知りたる物やある」と尋ねさすれど、さらになし。政所屋のこぼれ残りたる所に、人の住むやうに見ゆ。人を呼べば、女法師、一人出できたり。月の明かきに見れば、樋洗(ひすまし)にてありし物の母にて、国名つきてありし物なりけり。
寝殿の柱の倒(たう)れて残りたるがあるに、尻うち掛けて、この尼を呼び寄せて、「ここに住み給ひし人」と問へば、尼、はかばかしくも言はず。「言ふまじきなむめり」と思ひて、そのころ、十月、中の十日ごろなれば、女もいと寒げなり。着たる衣(きぬ)を一つ脱ぎて取らすれば、女、手惑ひをして、「こはいかなる人の、かうはしめ給ふにかあらむ1)」と言へば、「我は、しかじかの人にあらずや。女は見忘れにたるか。おのれをば、若狭とこそ言ひしか。いつ法師にはなりしぞ。したみつとてありしおのが娘は、いづちか去にし。我をば忘れたるか。我はさらに忘れず」と言へば、女、むせかへり泣く事限りなし。
女、「知らぬ人かとてこそ隠し申しつれ、ありのままに申し候はむ。尋ねもし奉らせ給へかし。国に下らせ給し一年ばかりは、候し人々も、「御消息やある」と、待ち聞こえさせしに、さることもかき絶えて、候はざりしかば、「忘れ果てさせ給ひたるなめり」と、さぶらひし人々も思ひて候ひしかども、おのづから候ひしほどに、御乳母、おとと2)も二年ばかりありて失せ給ひにしかば、知り奉る人、つゆ候はで、みなちりぢりにまかり失せ候ひて、寝殿は殿の内の下人の焚き物にてこぼち候しかば、倒(たふ)れ候ひにき。おはしましし対も、道行人のこぼち物にて、それも一年の大風に倒れ候ひにき。御前は侍(さぶらひ)の廊になむ、二間・三間ばかりしつらひて、おはしますにもあらでおはしますに、女はしたみづか男して、「京にては誰かは養はむ。いざ」とてまかりしかば、但馬にまかりて、去年(こぞ)なむまかり上りて候ひしに、跡形も無う殿もなり、おはしましにけむ方も知り奉らで、人々にも言ひつけ、自らも尋ね奉れど、おはします方も知り奉らず」と言ひて泣くこと限りなし。男君も、かく聞くままに、いみじく泣きて帰りぬ。
家に来て、この人あらであるべくもおぼえねば、物詣でのやうに、藁沓(わらうづ)を履き、笠を着て、所々尋ね歩けど、何しかはあらむかし。「西の京の辺にやあらむ」と思ひて、二条より西ざまに、大垣に沿ひて行くほどに、時雨のいたうすれば、「西の曲殿3)に立ち隠れん」とて寄りたれば、連子の内に人の気配のするを、やをら寄りて覗けば、筵・薦の汚なげなるをひき廻らして、女法師一人、若き人の痩せさらぼいたる、色青みて影のやうにて、あやしのやうなる筵の破れに牛の衣(きぬ)のやうなる布の衣を着たり。破れたる筵を腰に引き掛けて、手枕(たまくら)をして臥したり。「さすがに、いみしげながら、貴(あて)なる物よ」と見立てり。なほあやしく見ゆれば、寄りて近き壁の穴より覗けば、あやしく、この失なひたる人に見なしつ。
目も暗れて、あさましくおぼゆれば、やをらゐて目守りゐたり。女のいみじく貴に、らうたき声してかく言ふ。
手枕のすきまの風も寒かりき身はならはしの物にぞありける
かく言ふを聞きて、筵を戸にしたるをかかげて、「かくてはいかでおはしけるぞ」と言ひて、寄りて抱けば、顔を見合せて「遠う去にし人なりけり」と思ふに、えや堪へざりけむ、やがて絶え入りて、冷えすくみにけり。
男、はかなく見なしつれば、愛宕に行きて、髻(もとどり)切りて、法師になりにけり。
このことは、詳しからねど、古今に書かれたり。
翻刻
いまはむかし五条わたりにふる宮はら の御こひやうふのたいふなる人おはしけり 心はえあてにふるめかしけれはよにさし いてもせすてて宮の御家のこたかふおほきなる/b82 e42
にあはれのこりたるひんかしのたいにそすみ 給けるとしは五十よになりぬるにむすめ の十よはかりなるかえもいはすをかしけ なるかみよりはしめすかたやうたいここはと みゆるところなくこころはへけはひらうた けにうつくしひとさまのかくめてたけれ はさるへききみたちなとにあはせ給へらむ にをろかにつゆ思ふへきにもあらすよにひと かくめてたしともえしらさりけれはことに いふひとのなきままにこれにはいかてかすすみ/b83 e42
てはいはむいまいふ人あらはなとふるめか しうおほしつつみておはするにけた かきましらひもせさせまほしうおほせと かくうちあらぬみのありさまなれは思ひも かけす心にかかりてててもははもたたふたり のなかにふせてをしふることをのみ なむし給けるめのとのこころはへのふさ はしからすのみありけれは我らかとしはをひ にたりたのむへきめのとの心はへうちとくへ くもあらすたのむへきせうとたにあらは/b84 e43
うしろめたなくおほゆましきをたたふた ところしてなけきたまふ事よりほかに なしかかるほとにててははうちつつきうせ給ぬ れはひめ君の御心たたをしはかるへしあはれ にかなしくおきところなくおほさるる事 たとへむかたなしはかなくてふくなとぬき つあけくれおやたちのうしろめたなき物に のたまひしかはこのめのとうちもとけられ すなにとなくてとしころふるほとにさる へきてうととももあまたありしかとこのめのと/b85 e43
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なくなくわかれてみちのくにへいぬくにへ くたりつきていつしかとふみあけむと思 ふにたしかなるたよりもなしかくすく るあひたにとし月もすきにけりにむはてて のとしいつしかのほらむとするにひたちのかみ なるひとのはなやかなるありそれかむこにせ むとて人々をこせてむかへけれはをやいと かしこきことなりとよろこひてやりつみち のくにに五年ゐてまたひたちにゆきて三 四年とゐたるあひた七八年ははかなくてなりぬ/b89 e45
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からうしてよろしかりける日京にいるひる はみくるしとてひくらしてなむいりけるに いるやをそきとめをはひたちの家におくり をきてさりけなきやうにてたひしやうそく しなから五条にいそきゆきてみれはついちこほ れこほれもありしにおほうはこいゑゐにけり よつあしのかとのありしもあとかたもなし しむてんたいなとの有しもひとつみえすまむ ところやのありしいたやなんゆかむゆかむのこり たるいけはみつもなくてなきといふ物を/b91 e46
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をきたりやれたるむしろをこしに ひきかけてたまくらをしてふしたりさ すかにいみしけなからあてなる物よとみ たてりなをあやしくみゆれはよりて ちかきかへのあなよりのそけはあやしく このうしなひたる人にみなしつめも くれてあさましくおほゆれはやをらゐて まもりゐたり女のいみしくあてにらう たきこゑしてかくいふ たまくらのすきまの風もさむかりき/b98 e50
身はならはしの物にそありける かくいふをききてむしろをとにしたるを かかけてかくてはいかておはしけるそといひて よりてたけはかほをみあはせてとをう いにし人なりけりと思ふにえやたえさ りけむやかてたえいりてひえすくみにけり をとこはかなくみなしつれはあたこに ゆきてもととりきりてほうしになりに けりこのことはくはしからねと古今に かかれたり/b99 e50